近江聖人 中江藤樹生誕の地「安曇川町」
昨今にみられる企業の不祥事や犯罪の凶悪化、低年齢化など、倫理が崩壊したモラルハザードの時代の中で、この混迷した時代を生き抜く羅針盤として、日本陽明学の祖といわれる近江聖人「中江藤樹」生誕の地、琵琶湖湖西地区の高島市「安曇川町」を紹介します。
  「人は誰も生まれながらに美しい心(良知)をもっている
  その心をけがさずに鏡のようにきれいにしておくことが大切である」

中江藤樹の言葉「致良知」より

◆安曇川町
◇安曇川町は滋賀県北西部の高島市の中心部にあり、北は新旭町、西は今津町・朽木村に接し、東は琵東西13.5km 南北12km 面積48.47kmの町である。鉄道はJR湖西線、広域道路網は京都市と敦賀市を結ぶ国道161号線が鉄道と同様に南北に通過しており、また地方道小浜朽木高島線が通過し、背後地の町村と国道161号を結んでいる。
◇周辺高島市4町1村は湖西地域広域町村圏を形成し、安曇川町は圏域の商業拠点、地場産業の一つとして位置づけられている。また日本陽明学の祖といわれる近江聖人中江藤樹生誕の地であり、上小川地区には町民とともに学んだ建物「藤樹書院」がある。人口は一万五千人達成を目前に控えており、今後も「みどりと文化のふるさと安曇川町」実現をめざしている。
<<歴史散策>>

彦主人王御陵

安産もたれ石

玉泉寺

<<周辺散策>>


エカイ沼

県立びわ湖子供の国

近江白浜
<<匠の技と伝統>>

高島硯

雲平筆

扇骨
◆中江藤樹(ナカエ トウジュ)

JR安曇川駅前 中江藤樹之像
江戸時代初期の儒学者晩年は明代の儒学者王陽明の唱えた「致良知」の説を最高の教学として示したことから日本陽明学の祖とされている。名は原、字は惟命、通称は与右衛門自宅の藤の木にちなみ藤樹先生と呼ばれた。
中江藤樹 略年譜
西 暦
年 号
年 齢
ことがら
1608
慶長13
3月7日 近江国 高島郡小川村に生まれる
1616
元和 2
米子藩主 加藤貞泰の家臣であった祖父吉長の養子となり米子に移住
1617
10
加藤貞泰の転封により伊予大洲へ移住
1621
14
曹渓院天梁和尚に書道や漢字を学ぶ
1624
寛永 元
17
京都から来た禅僧に「論語」を学ぶ
1625
18
1月4日 父 吉次卒
1628
21
「大学啓蒙」を著す
1632
25
近江に帰省し、母に大洲での同居を勧めるが拒否される
1634
11
27
藩に辞職願を提出するも拒否され脱藩し、京都に潜伏後、近江に帰郷する
1637
14
31
「持敬図説」「原人」を著す 大野了佐入門、のちに彼のために「捷径医筌」を著す
1644
正保 元
37
「陽明全集」をはじめて入手する 「神方奇術」を著す
1646
39
1月25日長男 仲樹誕生 4月30日婦人 久卒
1648
慶安 元
41
8月25日中江藤樹卒(年齢は数え年)
*その他の著書:『持敬図説』『捷径医筌』『翁問答』『孝経啓蒙』『鑑草』「小医南針』『神方奇術』など

<<陽明学と陽明園>>

<<陽明学>>
 陽明学とは心の陶冶する、鍛えることの大切さを主張した教え。万物一体の考え方を理解し、心の中の葛藤をなくし、不動心を確立する教え。
  <<陽明園>>
 王陽明(1472-1528)生誕である中国浙江省余姚市と中江藤樹生誕の地、滋賀県安曇川町との友好のシンボルとして建てられた中国式庭園。

陽明園の龍瓦

太湖石と陽明亭

王陽明 石像
<<中江藤樹記念館>>
  中江藤樹生誕380年を記念し、旧安曇川町が滋賀県<小さな世界都市づくりモデル事業>の補助を受けて、昭和61年に建立する。
藤樹神社宝物、中江藤樹之遺品、遺墨を中心に常設展示し、図書室には中国哲学の漢籍をはじめとする専門書一万冊を収蔵し、閲覧することができる。

「致良知」掛軸

展示物

絵で見る藤樹物語

藤樹書院模型
近江聖人 中江藤樹の教え
〜 五事を正す〜
  「貌」(ぼう)…顔かたち 心をこめてやさしく和やかな顔つきで人と接しましょう
「言」(げん)…言葉づかい 温かく思いやりある言葉で相手に話しかけましょう
「視」(し)…まなざし 心をこめて温かいまなざしで人を見、物を見るようにしましょう
「聴」(ちょう)…よく聞く 相手の話に心をかたむけてよく聞くようにしましょう
「思」(し)…思いやり まごころをこめて相手のことを思いましょう
<<藤樹神社と玉林寺(藤樹墓所)>>
  中江藤樹を祭神とし、藤樹神社創立協賛会(会長:当時の滋賀県知事 堀田義次氏)が中心になって大正11年設立された。
神社の創建に際しては、すべて寄付金でまかなわれ、寄付者は日本全国はもちろんのこと、中国や朝鮮にまで及んだ。

藤樹神社

玉林寺

藤樹墓所
<<藤樹書院跡>>
  中江藤樹屋敷地に開かれた私塾で、慶安元年(1648)の春、門人たちによって創建されたもので、近世における私塾のさきがけといえる。

藤樹書院跡門構え

院内講堂

講堂内

院内庭の藤の樹

学び舎の陽だまり
<<藤樹の里あどがわ周辺>>

JR安曇川駅前通りの藤の樹

国道161号線沿いの看板

町立青柳小学校の藤樹少年像
アクセスマップ
 
(資料提供)中江藤樹記念館/安曇川町商工会
(取材) 渡辺 秀雄  2008年1月
【 追 記 】
わが国の社会事象に見られる青少年の暴力や犯罪の増加などが、新聞紙上を賑わし、日本の将来に暗い影を落としている。こうした現実を直視するとき、これまでの教育のあり方をめぐって国民的議論が展開されようとしていますが、何よりも大切な視点は「一人ひとりの人間としての心とその生き方」にあるのではないでしょうか?と中江藤樹は教えてくれる。