「秀吉がつくった町、長浜」

長浜は私が高校時代3年間過ごした町です。当時は人口5万人以下の小さな地方都市で繊維産業とヤンマーディーゼルがあるだけの寂しくなる一方の街でした。
その後、観光に力を入れ始め1983年に長浜城が再建され、1989年には明治時代に銀行として建てられた古ぼけた建物を「黒壁ガラス館」としてオープン。その周辺を「黒壁スケア」として再開発。町おこしが始まりました。
それが成功して地方都市の再開発モデルとして高い評価を受け「国土庁長官賞」、「まちづくり功労者建設大臣賞」などを受賞しました。
以前は人通りのなかった「大手門通り」「京極」「表参道」「元町」も今では観光客でいっぱいです。
現在は合併もあって人口82千人の観光都市になっています。
同窓生の呉服屋さん、電気屋さんや元市会議員などから、観光客を呼び込む様に頼まれています。是非一度、のんびりと田舎町の散策を楽しんでみて下さい。

「長浜城歴史博物館」

 

天正元年(1573年)織田信長が浅井、朝倉軍を破った時の功により、羽柴秀吉が今浜に長浜城を築城、地名を長浜としました。秀吉39歳の時でした。秀吉にとって初めての城持ち。出世のスタート点であり「出世城」と言われています。
現在の城は1983年に市民の熱意の寄付金などで「豊公園」の中に建てられたものです。
城内は歴史博物館になっています。
桜の名所でもあります。
「黒壁スケア」
1988年第三セクター(株)黒壁を設立。1989年に1〜3号館を開店。以降文化活動とマッチさせながら拡大。現在では黒壁28号館まであります。町おこしの優秀事例として有名になる。
町全体がアンティークな雰囲気で統一され、ガラス製品、オルゴール、古美術品、陶芸品などのお店が並んでいます。
 

黒壁1号館(ガラス製品)

海洋堂フィギュアミュージアム

この地方は絹の産地。浜ちりめんで有名
「大通寺」(通称 長浜御坊さん)

本堂・阿弥陀堂(重文)
  1574年大通寺の前身が設けられ、その後1649年彦根藩主井伊直孝の援助を受け、現在の場所に拡大移転。浄土真宗大谷派の別格別院として7千坪の広大な敷地。この地方の信仰の要となる。

本堂・阿弥陀堂は、大谷派本願寺が分立した際に伏見城の殿舎を御影堂として移された。その御影堂を承応年間(1652〜1654)に当寺に移して本堂とした。
  市指定の山門は、文化5年(1808年)起工して、33年後に落成。総けやき造りで近世大型建築としては、県内屈指の名作である。

山門(市指定)

含山軒庭園

蘭亭庭園
「馬酔木(あせび)の盆栽」
  「あせび」の盆栽展が大通寺で今年は2月10日〜4月18日行われます。
「慶雲館」
  盆梅展が行われます。今年(2008年)は1月10日〜3月10日
「国友鉄砲の里資料館」
   1543年種子島に鉄砲が伝来しました。その翌年すでに近江国友村で鉄砲を作り始める。
70軒の鍛冶屋と500人の職人がいた。当時ねじの加工技術が無く苦労をした。
織田信長、秀吉、家康に重用される。資料館は高速長浜ICの近く。
「曳山祭り」
  秀吉に長男が誕生したお祝いに長浜曳山が始まったと言われている。
毎年、4月9日〜17日。14日が昇り山、15日が戻り山でクライマックス。
現在13基の山がある。山の舞台で演じられる子供歌舞伎は素晴らしい。
「長浜出世祭り」
  9月下旬〜11月上旬
長浜きもの大園遊会、火縄銃大会、豊公まつり、アートインナガハマなどが開催されます。
今年(2008年)の日程はまだ公表されていません。

約1500人の着物美人で町中が溢れます

種子島と国友の両鉄砲隊の競演
「長浜びわこ大仏」
湖岸道路走って長浜に近づくと山側に見えてきます。
平安山良疇寺は、北条時頼が旅する途中に泊まったところです。
境内にあるのが寺の開創700年を記念してつくられた大仏。現在は二代目で高さは28m・青銅で造られています。
「JR長浜駅」  
私が利用していた頃は木造平屋で、だるまストーブに当たりながら、2時間に一本のディーゼルカーを待っていた。
 
「長浜港」
長浜―竹生島の高速船が1日7便出航。(片道30分間)
取材 西岡 壮  2007年12月