『 大 津 と 芭 蕉 』

 俳聖と仰がれた松尾芭蕉(1644〜1694年)が初めて大津を訪れたのは貞亨2年(1685)の春、「野ざらし紀行」の旅の途次であった。

 以降、芭蕉は琵琶湖を抱く近江の風光をこよなく愛し、また近江の門人たちとも心温まる交流を重ねたのである。

 芭蕉は大津の優れた風情を数多く詠んでおり、また遺言により大津の義仲寺に墓があります。
ここでは芭蕉ゆかりの大津の社寺・旧跡を紹介します。

〔大津での芭蕉の足跡〕
貞保2年 3月中旬(1685年) 伊賀上野から大津へ。千那宅・尚白宅に宿泊、のち江戸へ帰る。
貞保5年 6月5日 (1688年) 大津奇香宅にて俳諧。この頃瀬田にて蛍見。江戸へ帰る。
元禄2年 12月  (1689年) 大津智月宅で俳諧。膳所で越年。
元禄3年 3月中旬(1690年) 膳所義仲寺の無名庵に滞在。
  4月 1日 石山寺に参詣し、「源氏の間」を見る。
     6日 国分山の幻住庵に入庵。
    28日 堅田本福寺に千那を訪問。
  7月23日 幻住庵を出て大津に移る。この後しばらくして「幻住庵記」の初稿が完成。
  8月15日 膳所義仲寺の無名庵に在庵。月見の会を持つ。
元禄4年 1月上旬(1691年) 江戸に行く乙州のために餞別俳席。
  8月15日 新築された無名庵で月見の俳席。
    16日 堅田の成秀宅で月見の会。
元禄7年 10月12日(1694年) 大阪、南御堂前の花屋仁右衛門の貸座敷で死去。
遺骸は船に乗せて淀川を伏見まで運ぶ。
  10月13日 昼過ぎ頃、膳所の義仲寺に入り、翌日夜に境内にある木曽義仲公の塚の隣に埋葬。
〔幻住庵記〕

“石山の奥、岩間の後ろに山あり、国分山といふ。‥‥‥”で始まる「幻住庵記」は、松尾芭蕉のここでの庵住の生活の中から生まれた。『奥の細道』の旅の翌年の元禄3年(1690年)4月6日から7月23日までの約4ヶ月の間門人で膳所藩士菅沼外記定常(曲翠)の伯父菅沼修理定知(幻住老人)がかって暮らしていた庵に住まいしました。
ここでの生活の様子やそれまで辿ってきた芭蕉の俳諧道への心境を述べたのが『幻住庵記』であり結びにおかれている“先づ頼む椎の木もあり夏木立”の句に詠まれた往時を偲ぶように現在も椎の木が残っている。

〔大津での芭蕉ゆかりの主な社寺・旧跡〕
【幻住庵】

 “先づ頼む椎の木もあり夏木立”

この句碑は、近津尾神社社務所横の椎の木の大木の下に建てられています。幻住庵は神社境内の一角にあります。
現在の幻住庵は、芭蕉が生涯の地とした大津を広く紹介する「ふる里吟遊芭蕉の里事業」によって平成3年9月に新たに建てられたものです。

・アクセス
 JR石山駅又は京阪石山駅から京阪バス国分団地行き13分、幻住庵下車


幻住庵(正面)

句碑(先づ頼む椎の木もあり夏木立)
【唐崎神社】
  “辛崎の松は花より朧にて”
唐崎神社の松は唐崎の霊松として近江八景の一つ「唐崎の夜雨」の題材となっており、古来より訪れる人は多い。
唐崎神社は日吉大社の末社で、7月28、29日「みたらし祭」が行われる。

・アクセス
 JR唐崎駅下車 徒歩5分

唐崎神社

句碑(辛崎の松は花より朧にて)
【本福寺】
  “病雁の夜寒に落ちて旅寝かな”
元禄3年、この寺の住職で芭蕉の門人の長老でもあった千那をたずねた時、この句を詠んでいる。
本福寺の境内には、名句として知られるいくつかの句碑が残されている。

・アクセス
 JR堅田駅より江若バス町内循環バス出町下車徒歩3分


本福寺の山門


本福寺境内
【浮御堂】
  “鎖明けて月さし入れよ浮御堂”
この句は元禄4年芭蕉が堅田での観月会で詠んだものである。浮御堂は近江八景「堅田の落雁」でも知られている。昭和57年秋に改修工事が行われ、それまで浮御堂の下に堆積していた土砂が取り除かれ、再び湖面にその姿を映すようになった。

・アクセス
 JR堅田駅より江若バス町内循環バス浮御堂前下車スグ

句碑(比良三上雪さしわたせ鷺の橋)

句碑(鎖明けて月さし入れよ浮御堂)
【三井寺(園城寺)】
  “三井寺の門たたかばやけふの月”
この句は元禄4年の中秋の名月に新築なった義仲寺:無名庵で月見の会の後、舟を漕ぎ出し三井寺の塔頭を望んで詠んだものである。三井寺は国宝、重文も多く、鐘楼は近江八景「三井の晩鐘」で有名。

・アクセス
 JR唐崎駅下車徒歩15分又は京阪電車三井寺駅下車徒歩10分

三井寺(山門)

句碑(三井寺の門敲かばや今日の月)
【円満院】

句碑(大津絵の筆のはじめは何佛)
  “大津絵の筆のはじめは何佛”

大津絵は東海道を行く旅人に人気があり、逢坂山大谷あたりで売られていた。
この時代の古大津絵が円満院の大津絵美術館に数多く残されている。

・アクセス
 三井寺に同じ(三井寺山門の向かって右隣)

【瀬田の唐橋】

瀬田の唐橋
  “五月雨に隠れぬものや瀬田の橋”
貞亨5年(1688年)の5〜6月にかけて、大津を訪れた時詠んだものである。
瀬田の唐橋は近江八景「瀬田の夕照」の絵にもなっている。

・アクセス
 JR石山駅下車徒歩20分または京阪電車唐崎前下車徒歩5分
【石山寺】
  “石山の石にたばしる霰かな”
芭蕉の句に出てくる石は、天然記念物の珪灰石で、石山寺と言う名前の由来にもなっている。
平安時代には観音霊場としても有名になり、貴族女性が多く訪れ、紫式部はここで源氏物語の想を練ったと言われる。

・アクセス
 JR石山駅より京阪バス石山寺山門前下車または京阪電車石山駅下車徒歩5分

石山寺境内の珪灰石


句碑(あけぼのはまだ紫にほととぎす)

【義仲寺】
  “行く春を近江の人を惜しみける”

  “旅に病で夢は枯野をかけ廻る”

  “古池や蛙飛びこむ水の音”
義仲寺の境内には、上記三つの芭蕉句碑が建っている。
奥の細道の長旅から帰った芭蕉は元禄2年12月から元禄4年9月までの長期間大津に滞在したが、その間の仮宿となったのが義仲寺の無名庵と国分山の幻住庵である。
 芭蕉は元禄7年(1694年)10月大阪にて客死したが、遺言により義仲寺境内の木曽義仲のとなりにその遺骸は埋葬されている。

・アクセス
 JR膳所駅または京阪電車膳所駅下車徒歩5分

義仲寺(正面)

義仲寺境内
〔参考文献〕
        
      
・図説 大津の歴史 上巻 大津市編
・ようこそ幻住庵へ 大津市発行
・幻住庵保勝会だよりNo.10
取材 焼野耕治 2007年10月