琵 琶 湖 大 橋
 

◆琵琶湖大橋は湖の中ほどの最も括れたところ、現在の大津市堅田と守山市を結んで建設され昭和39年
  (1964年)9月28日に開通しました。
◆遠い昔から、人々の暮らしは”母なる琵琶湖”を舟によって湖周辺の各地を結び大量輸送や都との往来
  など生活、産業経済を繋いで来ました。


「白雪の比良の嶺と大橋」
 

「出島(でけじま)の灯台」
 (明治8年建設、木製)

「浮御堂(満月寺)と大橋」

◆しかし、近代の鉄道、道路交通網の発達は湖がかえって障害となり、架橋は県内のみならず、近隣府県
 からも望まれ、北陸・近畿・東海地方と結ぶためにも急務になりました。
 対岸は湖上約1,500mですぐ前に見えますが、陸路では瀬田の国道を回り40km近くもあったので我々地元
 住民は子どもの頃からここに橋がかかることを「夢の架け橋」と言ってその出現を願っておりました。

「お満灯篭」

「比叡の霊峰」

「橋脚の間に沖島を望む」
◆時は東京オリンピック開催も決まり、県内の諸課題も解決すべく実現に向け調査や技術検討を始められま
  した。
 そして滋賀県の湖東と湖西を連絡し、均衡のとれた発展と琵琶湖観光の開発を図るため遂にその建設が
 決まりました。
 近代工学の粋を結集し、橋の景観や船の航行にも支障が無いよう設計し工事は進められました。
 
◆橋の長さは1,350m(当時としては日本一)、幅7m、最高部の桁は湖面より20m、水深は8mの所がありま
  す。
  橋脚の最も長い間は120m、橋上の照明は霧の透視率が高く虫が寄り付かないナトリウム灯が取り付けられ
  ました。
  当初の建設にかかった金額は駐車場や両岸の取付け道路等を含め14億3千万円でした。
  着工より1年11か月で完成し、開通は目標とした通り、東京オリンピック開会の10日あまり前でした。

「バスなどの車列」

「マリ−ナ−(ヨットハ−バ−)」

「道の駅”びわ湖大橋米プラザ”前」
◆現在では、その後の交通量の増加に対処するために、北側に 1,400mの橋が建設され計4車線となり、
  開通いらい産業経済の発展はもとより琵琶湖の観光施設として重要な役割を果たす幹線道路となって
  います。当初、1日の通行車両台数は平均 700台、20年後 3,500台と予測されたのが近年では実績とし
  て1日平均 3万台を超えています。

「2本になった大橋」

「力強い橋脚」
◆私には、大橋は湖周道路も整備されて県内交通の縦横の要所となっている思います。
  関連で、工場、商業、観光、ホテル、運動、レジャ−、農業振興などの施設、ゴルフ場、住宅、リゾ−ト、美
  術館、博物館、多くの公園も出来ました。地球規模での環境保全にも取り組んでいます。
  比良の嶺に雪のあるときは日本アルプスのように気高く望め、比叡山は角度によっては富士山のように
  なだらかな稜線を見ることが出来ます。湖岸からの景観はまわりのまちの建物や山などを含めてスイスの
  湖にも匹敵するように思えます。
  水鳥は湖面に羽を休め、春には桜が映え、湖上遊覧がはじまります。花火、葦かがり・・ 四季折々の姿を
  ご覧においでください。
  
< 参 考 >
  
(時代関連)
 
・東京オリンピック開会    ‥‥‥‥‥‥
・東海道新幹線開業(東京〜大阪) ‥‥‥
・名神高速道路(尼崎〜栗東)開通 ‥‥‥
・名神高速道路全線開通(西宮〜小牧)‥‥
・東名高速道路全線開通(東京〜小牧)‥‥
・国立京都国際会館誕生   ‥‥‥‥‥‥

昭和39年10月10日
昭和39年10月 1日
昭和38年 7月
昭和40年 7月
昭和44年 5月
昭和41年

(橋)             
 
・近江大橋      ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
昭和49年(1974年)9月開通、長さ 1,290m
(交通アクセス)
 
・名神高速道路:栗東ICから車で約30分
・名神高速道路:大津ICから車で約40分
・湖西道路 :真野ICから車で約 5分
・JR湖西線 :堅田駅から車で約 5分
・JR琵琶湖線 :守山駅から車で約20分
取材 2006年1月 斉藤 清隆