東海道五十三次
草 津 宿
52番目の宿場
人口
約2,400人
家屋
約600軒
本陣
2軒
旅籠
72軒

広重が描いた『名物立場』草津名物の姥が餅屋が描かれています。

現在の同じ場所と思われる所
東海道と八橋道の分岐点(矢倉辻辺り)で、現在は別の店がある。


草津宿は、東海道と中山道が合流・分岐する屈指の大宿場として繁栄しました。
宿場としての歴史も古く平安時代から交通の要所として重要視され、信長や家康の時代にも宿場機能はいっそう整備されました。
草津本陣は明治の廃止に至るまでの200年近く続いた本陣で、貴重な国の史跡である。
現存する本陣では最大級で、平成8年に7年かけて改修されましたが、今も当時と変わらない姿を残しています。
名物の『姥が餅』は信長に滅ぼされた佐々木氏の忘れ形見の幼子を、乳母が乳房の形をした餅を売って、養育費をつくり育てたのが由来で広重の画にもなっている。
草津と大津間の渡しとして旅人に利用された矢橋の渡しは、『矢橋の帰帆』として近江八景のひとつに数えられている。




草津本陣


東海道と中山道の分岐点


草津宿の氏神立木神社


草津宿街道交流館


野路の一里塚跡


現在の姥が餅屋


道標(旧草津川堤防)


しっとりとした町並み

取材:2005年2月 大橋 守