奈良時代から続く「矢田の渡し」

松江の町は宍道湖と中海を結ぶ全長約8kmの大橋川で南北に分断されています。
大橋川には上流の宍道湖側から「宍道湖大橋」「松江大橋」「新大橋」「くにびき大橋」「中海大橋」と5つの橋がありますが、「宍道湖大橋」から「くにびき大橋」までの4つの橋が宍道湖から1km余りの所に集中していて、「くにびき大橋」から中海側にある「中海大橋」までの約7kmの間には橋がありません。

この「くにびき大橋」と「中海大橋」の中程に今では余り見られなくなった渡し舟があり、これが「矢田の渡し」で、南側の矢田地区と対岸の朝酌地区を結んでいます。
この「矢田の渡し」は「出雲国風土記」にも登場する、1200年以上の歴史を有する由緒ある渡しです。(風土記では「矢田の渡し」ではなく「朝酌の渡し」という名前で紹介されているそうです)

現在、渡しは自転車通学の高校生が主なお客さんで、平日の朝夕にだけ運行されており、渡しの運航が無い時間帯は、この船は大橋川周遊の遊覧船として活躍しています。
今の船は遊覧船としての活用も考慮して建造されたため車は二輪車しか乗れませんが、それ以前の船は1台だけですが軽トラックまで乗船でき、「国内唯一の川のカーフェリー」といわれていたそうです。

数年後には「矢田の渡し」の上流に新しい橋が完成することになっており、この橋が完成した後は「矢田の渡し」は廃止が濃厚です。
確かに橋ができれば渡し舟の利用価値はなくなるかもしれませんが、橋1本で1200年の歴史が閉ざされるのかと思うと複雑な気持ちです。

ちなみに渡しがなくなって船が遊覧船としてだけに活用されるようになっても、渡しの名前だけは残したいという思いから、船の名前は「矢田の渡し」号と名付けられています。


(情報 千田)