たたら御三家と菅谷たたら

明治に入り近代溶鉱炉が導入されるまでは、我が国の鉄の7割は中国地方で生産されていました。

中でも奥出雲地方(現雲南市、奥出雲町)の田辺家と桜井家・絲原家で全国の鉄の生産量の4割を占めていて、この地方の製鉄技法のたたら製鉄にちなんで、この三家は「たたら御三家」と呼ばれています。

御三家の中で最も歴史の古いのは田辺家で、室町時代から鉄の生産を始め、江戸時代には奥出雲地方の7割の山林を所有し、田辺家独自のお札(家札)を発行する等、殿様以上の力があったといわれています。
近代になってからも県知事就任、放送局の開設をはじめ島根県の政治経済の中心には常に田辺家の存在がありました。

桜井家と絲原家は江戸時代の初め鉄を求めて他の地から移住してきて成功した家系で、桜井家の始祖は戦国武将の塙団右衛門です。

この三家にはそれぞれ田辺家は「鉄の歴史博物館」、桜井家は「可部屋集成館」、絲原家は「絲原記念館」という資料館があります。

中国地方独自の製鉄技法「たたら」に関する資料館はいくつかありますが、雲南市吉田町の「菅谷たたら山内」には、かって製鉄が行われていた高殿といわれる施設が唯一残されている他、できた鉄の後処理をする作業場や事務処理をする元小屋、作業者が生活していた建物などが残っており、国の重要民族文化財に指定されています。

(情報 千田)

田辺家邸宅入り口に並ぶ土蔵群 桜井家庭園
絲原記念館 菅谷たたら山内の作業場の建物