高瀬川と大梶七兵衛

出雲市の市街地を流れる高瀬川沿いは、柳並木が並らぶ古い町並みが残っており、夏には灯篭流しが行われるなど出雲市民の憩いの場となっています。

この高瀬川は自然の川ではなく、江戸時代の初期(徳川家光の時代)、この土地の名代の家に産まれた大梶七兵衛が私財を投げ打って開削した川です。

大梶七兵衛は海から吹きつける強い風で、作物の育たない荒れ果てた砂地であったこの地域を開拓し、農民の暮らしを豊かにしようと、出雲大社近くの日本海に面した荒木浜に10年の年月をかけて防風林を築き、さらに斐伊川から約10kmの灌漑用水路を開削しました。この水路が高瀬川です。

水路を掘ったが、元来砂地であるため、水が吸い込まれて流れず、ムシロに粘土を張り付けて底に敷くなどの苦労を重ねた結果、荒れた砂地であったこの地域は一大穀倉地になりました。

またこの川は単に農業用水としてだけではなく、高瀬舟による水運や藍染産業の振興など出雲地域の発展に大きく貢献してきました。

大梶七兵衛はその他にも、治水対策として神西湖西岸から日本海に抜ける差海川、灌漑用水路として神戸川と神西湖東岸を結ぶ十間川を開削するなど出雲平野西部の開拓に大きな足跡を残しています。

大梶七兵衛の名前は全国的には余り知られていませんが、地元の発展に貢献した偉人として、防風林を作った荒木浜と出雲市街地の高瀬川沿いに銅像が建設され、出雲地方の小学校ではその業績が授業で教えられています。

(情報 千田)


高瀬川 大梶七兵衛像