大社基地と特攻機「桜花」

「斐川町史」や「荘原歴史物語」などの資料や当時を御存じの方の話を聞いてまとめてみた。

太平洋戦争末期の1945年3月から斐川町の廃川となった新川跡地に2本の飛行場を造り、6月には完成した。長さ1500m、幅60mの滑走路を持つ。美保基地の子基地して建設。新川基地と呼ばれることもあるが正式名称は場所を混乱させるために「大社基地」。現在も跡地が残っている部分がある。

もう1本は、現在の斐川支所付近に造った。長さ800m、幅40mのもので、練習機(「赤とんぼ」と呼ばれた九三式中間練習機を飛ばす目的。小型爆弾を積んで体当たりをする計画。粘土質の土を固めて造ったデコボコのもの。とび上がれば良く、着陸は想定無し。使われることなく、粘土質の土を固めたものであったため、終戦と同時に掘り起こされ、芋畑になったという。

「大社基地」は終戦まで2ヶ月間使用された。最新鋭の爆撃機「銀河」と、「桜花」という1人乗り特攻機が配備された。「桜花」は800kg爆弾を搭載し「銀河」に吊るされて敵艦船のはるか手前で切り離され、推進器に着火し体当たりする構想。約50機が配置された。「銀河」は単独で爆撃に飛び立って行ったが、他基地では使用された「桜花」も、「大社基地」では一度も使われることが無かったと言う。終戦があと少し遅れていたら、ここも特攻隊の実戦基地になっていたかもしれない。

新川鉄橋の銃弾跡や新川(大社)飛行場跡地など、出雲地方でも戦争を身近に感じることができる。終戦後70年の今年、国内外の課題も含め、考える年にしたい。



(情報 和田森)


旧海軍大社基地碑 滑走路跡
特攻機 桜花