日本初之宮

松江から県道24号線を大東に向かって行き、雲南市に入ってまもなく左手に「須我神社」があります。
これが古事記・日本書紀に記載されている「須賀宮(すがのみや)」です。

ヤマタノオロチを退治して、オロチの人身御供にされかかっていた稲田姫を助けた須佐之男命(すさのおのみこと)は、稲田姫と結婚するために、この須賀の地に新居「須賀宮」を建てられました。
この「須賀宮」は我が国で初めての神社形式の社で「日本初之宮」といわれています。

またここに社を建てる時、美しい雲の立ち昇るのを見て、「八雲立つ 出雲八重垣 つまごみに 八重垣つくる この八重垣を」と歌われ、これが「出雲」の国名の語源となると共に、日本で一番古い三十一文字の歌として、この地は「和歌発祥の地」とされています。
建立されたのは現在の場所から2km程離れた山の中腹で、その後麓の今の場所に移されて、最初の建立地は「須我神社奥の宮」となっています。

しかしながら、須佐之男命夫婦はこの須賀宮にはほとんど住まわれず、「須賀宮」から10km程北の平野部の、稲田姫がヤマタノオロチの難を避けて隠れ住んでいた地に新らたに社を建てて、こちらに住んだとされています。

この社が現在の「八重垣神社」で、ご夫婦が実際に愛をはぐくまれた場所として、縁結びの神社とされています。


(情報 千田)


須我神社 「日本初之宮」「和歌発祥の地」の石碑
「八雲立つ−−」の歌碑 奥の宮の「夫婦岩」