「流しびなの里」用瀬

「ひなまつり」は平安時代に幼子の健やかな成長を祈願して、幼子に取り付いた悪い気を木片に移して川に流したことに起源し、室町時代に木片が人型の木や紙人形に変わり、雛人形として室内に飾られるようになったのは江戸時代になってからです。
江戸時代初期は1段一対の紙の立ち雛が主流で、現在のような着飾った内裏雛や段飾りができたのは、江戸時代中期(1700頃)になってからと云われています。
またひなまつりを女の子の節句として祝うようになったのも江戸時代からです。

鳥取市用瀬(もちがせ)町ではこのひなまつりの原点ともいえる流しびなの行事が毎年行われており、県の無形文化財に指定されています。
旧暦の3月3日に晴れ着に着飾った女の子が、藁で編んだ桟俵に男女一対の紙のひな人形を乗せて、千代川に流します。

用瀬には「流しびなの館」があり、江戸時代からの各時代の様々なひな人形やひな飾りが展示されています。

またこれまで多くの文人が用瀬を訪れて歌を詠んでおり、「流しびなの館」の近くには、古くは松尾芭蕉から近代の歌人まで20人余りの歌碑が建ってます。


(情報 千田)


流しびなの館 流しびな行事
桟俵に乗ったひな人形 山口誓子の歌碑