戦乱の世に築城された松江城 |
松江城は観光都市松江のシンボルとして多くの観光客が訪れますが、ほとんどの人は時間に追われ天守閣に登るだけであわただしく帰って行かれているようです。 しかしながら松江城には他の城にない多くの特徴があります。 我が国の城は幕末の頃は338城あったそうですが、明治になり大政官布達で280城が民間に払い下げられて解体され、残った城も大半がその後の災害などで消失し、今残っているのはわずか12城だけです。 松江城も解体を条件に民間に払い下げられようとしたのですが、出東村(現斐川町)の豪農勝部本右衛門と旧藩士高木権八が広島鎮台に懇請して、落札額の180円を献納することにより天守閣が保存されました。 ちなみに米子城は銭湯の経営者に払い下げられて風呂の薪にされたそうです。 現在大阪・名古屋・熊本などの名城といわれる城をはじめとして各地に城がありますが、これらのほとんどは明治以降新たに復元されたものです。 松江城の築城は、関ヶ原の合戦と大阪冬の陣の間の慶長16年(1611年)で、冬の陣以降の徳川の安定政権のもとで建てられた城には見られない「籠城に備えた20個余りの井戸や食糧貯蔵庫」「石垣を登る敵を防ぐ石落し」などの実戦に備えた装備が多く見られます。 大阪冬の陣以前の戦乱の世に建てられて現在残っているのは、丸岡・松本・犬山・彦根・姫路・松江の6城だけです。 また世情不安定と財政難から遠方から太い材木を取り寄せることが困難であったため、柱は近隣で採取した材木で作った細い柱を組み合わせて鉄の帯で固定させた独特の「寄せ木柱」を使うなどの工夫がされています。 このように多くの特徴を持ったお城なので、一度ゆっくり見学してください。 (情報 千田) |
松江城 | 城内井戸と貯蔵庫 |
石落し | 寄せ木柱 |