城山稲荷とホーランエンヤ

城山稲荷は徳川家康公の孫に当たる松平直政公が、17世紀の中頃松江藩主として入国した時に、かねてより信仰していた稲荷大神を祀るために、松江城内に建立された神社です

神社に行きますと、道路からの入り口附近には数体の赤い鳥居があるものの、そこから本殿までの間には鳥居はなく、また稲荷(狐)の像も見当たらず、稲荷神社というとずらりとならんだ赤い鳥居に見慣れている目には「これが本当に稲荷神社かな」と首を傾げるような景観です。
しかしながら、本殿の横手に回りますと、そこから裏手にかけて数多くの狐の石像がありました。

直政公が藩主になって十年目、天候不順による災害・飢饉に見舞われ、稲荷神社に祈願したが一向にその御利益がなかったため、稲荷神社のご神体を船に乗せ、大橋川を通って阿太加夜神社に運び、御祈祷をしてもらったところ天候が回復しました。
以来十年毎にこの御神幸が行われる慣わしとなりました。
十九世紀の初め、御神幸の途中で嵐に見舞われ、神輿船があわや転覆という時に、附近の漁船が駆け付け無事ご神体を阿太加夜神社まで運びました。
この時以来、神輿船を救った5つの漁村の櫂伝馬船が御神幸の曳舟を努めることになりました。

この御神幸が「ホーランエンヤ」として今も引き継がれています。
神輿船と5艘の櫂伝馬船、それに従う100艘程の船が列をなして大橋川を走行する姿は壮観です。
幟を立て飾られた櫂伝馬船では、歌舞伎衣装に身を包んだ舞手が舞い、豪華絢爛な時代絵巻が繰り広げられ、日本三大船神事とされています。

ちなみに「ホーランエンヤ」という呼び名は船を漕ぐときの掛け声からきています。
次回の「ホーランエンヤ」は2019年の5月に行われます。

(情報 千田)


城山稲荷神社 神社裏の狐の石像
阿太加夜神社 ホーランエンヤの櫂伝馬船