出雲三天神

 日本でよく「三大***」ということがある。『三大仇討ち』と言えば「忠臣蔵」「鍵谷の辻」「曽我兄弟」であり、『三大蕎麦』と言えば「わんこそば」「出雲そば」「戸隠そば」と言われている。

『日本三大天神』は「大宰府天満宮」「北野天満宮」「防府天満宮」が一般的だが、大宰府以外は入れ替えられることもある。

地元の『出雲三天神』は昔から「白潟天満宮」「菅原天満宮」「三刀屋天満宮」と言われてきた。

◎白潟天満宮(松江市天神町):

“天神さん″の愛称で呼ばれ、富田城構築の際、奉行だった平景清が眼病にかかり一心に菅公に祈り全快したことから富田城内に祀った。そのいわれから目の神様としても敬われている。松江築城に合わせ、堀尾吉晴が今の地に奉遷。依頼学問の神様として信仰を集めている。また、ここ一帯は昔の空間が残り、ほっとする空気がある。子供たちが遊び、昔ながらのたこ焼き屋(駄菓子屋)も健在。「親の代からだから何年かねぇ」とおばあさん。素朴な味も変わらない。

 境内にはボケ防止の「おかげ天神」も祀られており、25日は毎月祭りがある。昔はこの商店街は夏の土曜市で毎週にぎわったが、今は昔の風景。

菅原天満宮(松江市宍道町上来待菅原):

 この菅原の地は845年6月25日に道真公生誕の地として伝えられている。道真公の父が出雲国庁に勤めていた際に祖先の野見の宿祢の墓に参った際に案内をした女性との間に生まれたのが道真公と言われている。
 また、ここには道真公の祖先にあたる「野見宿祢」(土師宿祢)の墓がある。野見宿祢は当麻蹶速(タイマノケハヤ)と垂仁天皇の前で力比べをし、相撲の起源と言われている。菅原家はもとは土師氏を名乗っており、桓武天皇の時に菅原の姓を名乗るようになったとのこと。
参道入り口に手作り豆腐屋あり。

◎三刀屋天満宮(雲南市三刀屋町):

 道真公が大宰府へ行く途中で「野見宿祢」の墓へ詣でるために当地に数日滞在した。道真公が亡くなった後、里人が徳を慕って梅を植え祀っていたが、三刀屋城主が守護神として城内に移し祀った。その後天神の地に移され、松平直政をはじめ保護を受けた。1825年に火災にあい、1845年に現在の地に奉遷された。


それぞれに特徴のある天神さん。お近くの天神さんにお出かけになっては。

(情報 和田森
白潟天満宮社殿。左が「おかげ天神 今も続く駄菓子屋と「たこやき」 
菅原天満宮社殿。お土産に「合格煎餅」 「野見宿祢」の墓(塚状)
三刀屋天満宮社殿  境内より三刀屋の町を見る。右上が三刀屋城址