松江藩の窮地を救った玄丹お加世

大政奉還直後の幕末、新政府側は親藩であった松江藩の動静に不信を抱き、松江藩に種々の難題を突き付けてきましたが、松江藩ではその対応がうまくいかず、家老の大橋茂右衛門が切腹することにより許してもらおうということになりました。

そのような中、査察のために松江を訪れた山陰鎮撫使一行をもてなす酒席に、芸妓として出ていた、松江藩の鍼医・錦織玄丹の娘お加世が、義侠心から鎮撫使に異議を唱えようとしたところ、酔った鎮撫使の一人が刀の先端にかまぼこを突き刺して「このかまぼこを手を使わずに食べたら話を聞いてやろう」と言い出しましたが、お加世は平然とそのかまぼこを唇に受け、鎮撫使の幹部に迫って家老の切腹を取り消させるなどして、松江藩の危機を救ったと伝えられています。

昭和の初期、作家の永井瓢斉がお加世の業績に着目して、彼の脚本によるお加世の芝居が大阪で上演され、その収益で石橋町の順光寺(光徳寺)にお加世の墓(お加世地蔵)が建立されました。

また宍道湖大橋の南詰にある白潟公園には、お加世の像やお加世が芸妓として所属していた鳴玉楼の隣に有り、お加世がいつも酒席に呼ばれていた当時松江最大の料亭であった青柳楼の大灯篭(通称お加世灯篭)があります。

ちなみに松江に玄丹蕎麦という蕎麦がありますが、減反政策で休耕となった田で生産した蕎麦で、玄丹と減反の語呂合わせで名付けられたもので、お加世が蕎麦に関わったという史実はありません。

(情報 千田)

順光寺 お加世の墓
お加世の像 青柳楼の大灯篭