千年の歴史の智頭宿

鳥取市の北にある智頭町は、因幡(鳥取)と都を結ぶ因幡街道の重要な拠点として、奈良時代にはすでに手紙や荷物を送る馬の中継地である駅馬が置かれていました。
平安時代には官道として地元の役所が置かれ、貢租の徴収や商いが行われていたようです。

平安末期から戦国時代は播州(姫路)の勢力に蹂躙されたり、秀吉の鳥取攻めなどで混乱しましたが、江戸時代に入って鳥取藩主の参勤交代の宿泊所になると共に、因幡街道と岡山に向かう備前街道の分岐点として武士や商人が行き交って賑わい、町並みも整って太平洋戦争前まで中国地方有数の宿場町として繁栄しました。

智頭の町には当時の面影を残す社寺や町家などの古建築、藩主の止宿や奉行所の名残を留める史跡や道標などが多く残っており、智頭町の因幡街道は「智頭往来」として「歴史の道百選」「遊歩百選」に選定されています。
特に、大地主で明治から大正にかけて国政にも携わった石谷伝四郎氏が大正時代に改築した石谷家住宅は、3,000坪の敷地に全て庭に面した30室以上の客間や7棟の土蔵を有し、当時の繁栄を偲ばせ、重要文化財に指定されています。

また、智頭は杉の産地で、全国で唯一つの杉の精霊を祀る「杉神社」があり、町を歩くと軒先に杉玉を吊るしている家を多く見ます。

戦後の智頭の町は交通の便も悪く寂れる一方でしたが、国鉄再建のあおりで中断していた智頭線が、第3セクターの智頭鉄道株式会社(現智頭急行株式会社)の設立により工事が再開され、工事開始から30年経った平成6年12月に開通して、智頭駅は鳥取と大阪・岡山を最短で結ぶ特急列車の停車駅となり活気を取り戻してきています。


(情報 千田)


どこまでもまっすぐ続く智頭往来 石谷家住宅
軒先の杉玉 千代川の桜