武蔵坊弁慶は「義経記」や「勧進帳」などの物語に登場し、源義経の一の家来として有名ですが、歴史的資料には記載がほとんど無く実態はわからない所が多くあります。
鎌倉幕府の正式な記録「吾妻鏡」にその名前があることより実在したのは間違いないと考えられています。
弁慶の出生地については紀州説(和歌山県田辺市)と出雲説(松江市)あり、また田辺の女性が松江に来て弁慶を産んだという説もあります。
紀州説は「義経記」が中心で、出雲説は出生から京に出るまでが時系列的に伝えられています。
弁慶の出生は現在の松江市長海町とされており、ここから弁慶の怪力伝説が始まります。
長海町とその周辺には弁慶がお母さんを祀ったと言われる「弁吉女霊社」、弁慶が子供の頃立てたと言われる高さ180cmある「弁慶の立ち岩」、子供の頃悪さが過ぎて島に置き去りにされたが、石を運び砂を袂に入れて岸までの道を作って帰ってきたと言われる「弁慶島」などがあります。
また修行をしていた鰐淵寺(現出雲市)から大山寺(現鳥取県大山町)に使いに行った時、弁慶の怪力を聞いた大山寺の住職から「大山寺の釣鐘を持って帰ることができたら差し上げよう」と言われて、一晩で鰐淵寺まで担いで持って帰ったという故事に則って、弁慶に扮装した人と一般参加の人で大山寺から鰐淵寺までの約100kmを歩く「弁慶ウォーク」という催しが毎年行われています。
弁慶島を皮切りにして弁慶伝説の地を巡るのも一興です。
(情報 和田森洋)
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