7月は京都では祇園祭が開催されます。 長年京都に住んでいると特に祇園祭りは珍しいものではありません。 地方から見ると京都では祇園祭で賑わっているように見えるかもしれません。でも京都の中で祇園祭と言えども、 京都の中心部だけの行事であり、私の住んでいるところではもちろん祗園囃子も聞こえませんし、何事もなかったかの様です。 でも気になると見えて、終わってみれば、鉾立から、宵山、巡行としっかり見てしまいました。
7月10日は多くの鉾町では鉾建てが始まります。今年は10日は日曜日でめぐりあわせが良かったものですから 気が付けば、鉾立てを見に行きました。 昼になり、体を持て余したときに鉾町まで走ってしまいました。鶏鉾あたりまで来ました。 四条烏丸の近くです。まさにしめ縄で、鉾を組み立てているところでした。 くぎは1本も使わずにしめ縄を巻きつけて鉾を組み立てます。またそばには鉾の中心部にそびえる心棒も組み立て中です。 単純な構造ではなく、木材と竹で組み合わせた複雑な構造です。以前この芯柱を立てるところに遭遇したことがあります。 地中にウィンチを引っ掛ける取ってがあり、それらを使って柱をたてているのには感動したものです。 重機は使わず、すべて人力で柱を立てていました。皆、器用にほこに荒縄を巻きつけて行きます。一日かけて、組み立てて行きます。 鶏、月鉾、長刀鉾のあたりを見てきました。 地方からきたとお思われる人たちが盛んにカメラのシャッターを切っていました。皆大きなカメラを持っています。 熱気を感じます。どこかの団体の専門家が解説をしたりもしていました。伝統わざを支える熱気を感じました。
13日もこの界隈に夕方に来る用事があり、このあたり一帯を回って来ました。 新町通りでいきなり鉾の試引きに遭遇しました。 まだ宵山には間がありましたが、あたり一面は祇園祭りの雰囲気が漂っています。どこからか鉦と笛の音が聞こえて祇園囃子が聞こえてきます。 もうすぐですね。
やはり来てしまいました。京都駅から四条烏丸界隈へ地下鉄で移動します。地下鉄から地上へ出るとまだあたり一面は明るく、 歩行者天国も始まっていません。警備担当の方が、必死になって、車道へ出ないように注意していますが、歩道は人であふれかえっています。 もうすぐ歩行者天国が始まる、6時です。皆一斉に車道へあふれます。 四条烏丸を通りすぎて、西へ行きます。月鉾あたりではすごい人出です。自分の意思で歩けません。辺りの人と一緒に歩くのみです。 でも抜けきり西洞院通りを北へ上がります。蟷螂山が見えます。蟷螂の作り物が見えます。事務所では蟷螂にゆかりの品々やお守りを売っています。 東へ戻り碇天神山へ来ました。道端にはいろいろな店が立ち並びます。お面ばかりを集めた店。いわゆる夜店です。お面ばかりで異様ではありますが、 小さい時に親に手をつないで来た思い出が蘇ります。 細い路地に皆がいます。一緒に並んで入ってみます。細い路地の奥には土産物が並んでいました。 また売り子の子供達はわらべ歌を歌っています。粽を売っているようです。 近くにはろうそくが並んでいます。ろうそくも売っているのでしょう。子供がわらべ歌を歌っているのはこの祇園祭の時だけです。 以前は道の路地のあちこちで歌っていたものです。それしか遊びがなかったものですから。 今ではめったにわらべ歌は耳にすることはありません。 西洞院通りで再び蟷螂を見てから四条通りを東へ向かいます。地下鉄から帰ろうとしたのですが、 四条まで辿り着けない。すごい人出で一方通行になっています。皆と同じ方向に進むしかありません。 宵山へ来たことを悔いましたがもう遅い。しばらく西へ進み、また東へ進みます。やっとの思いで、 地下鉄に辿り着くことでできました。 京都駅まで来たときにはホッとしました。 山陰電車まで来たときにはやっと家へ帰れるかと思いました。 夕食も抜きで、すぐに寝てしまいました。
山鉾の巡行はどうするか迷いましたが、テレビで巡行を見ているうちに後悔するといけないと思って、 11時ごろにバスで出かけました。経路が変更になっていて、四条堀川まで行き、そこから新町通りまで歩いて行きます。 新町通りは細い道ですが、ここを鉾が帰ってゆきます。 広い通りの四条通りや、御池通りで悠然と鉾を鑑賞するのも良いですが、また辻回しを鑑賞するのも良いですが、 狭い通りを目の前を鉾がとおるのを鑑賞するのも迫力があります。何しろ目の前を大きな車輪がとおりますので。 京都の人は皆知っていて、新町通りはすでに人が一杯です。今か今かと鉾が通るのを待っています。警備の人が大きな声で 注意していました。 ここで重要なことに気づきました。カメラの容量がないことに気づきました。仕方なく、鉾を待っている間に過去の 入らない写真を整理するはめに。でも何枚かは撮影することができました。 やがて、パトカーに先導されて長刀鉾がやって来ました。目の前を横切ってゆきます。 すごい迫力です。 ガラガラときしみながら通り過ぎます。また木片のブレーキも準備されています。 急ブレーキをかけるときは木片で10トン以上もある鉾を止めます。また、微調整用の木片を持った人もいます。 これは辻回しをする程でもない時に木片に乗り上げて、大回りして、微妙に進路を変更するものです。 これらも伝統の道具なのでしょうね。 長刀鉾の次は山伏山が次に続きます。新町通りを北上します。次々とおなじみの鉾が通ります。屋根の上にも人がいます。 これは電信柱とぶつかりそうな時に足で屋根を動かし、衝突を避けます。 これらの下支えの方のお陰で伝統が支えられているのでしょうね。 御池まで行くと、今まさに辻回しをしているところです。 四条河原町、河原町御池、そして、この新町御池でも辻回しが見られます。 ローカルな方が面白いです。 新町四条でもあるのでしょうね。 何とか無事巡行も終わりました。 京都の町中を見て帰ります。 しばらく見てない間に、だいぶ街の風景は変りました。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
〜 23日(後祭宵山) 〜 7月23日は後祭の宵山です。数年まえから、前祭と後祭が開催されるようになりました。 後祭の宵山についても所要があり、出かけました。後祭では露店がなく前祭のような晴れやかさはありませんが、 また、違った雰囲気です。しっくりした雰囲気で、むしろ祇園祭をたのしむのは後祭の方がよいかもしれません。 バスの中から、今回龍頭を新調した大船鉾がみえたので、すぐに見に行きました。四条新町通りを下がったところです。 かなりの人だかりです。周囲の見学者は一方通行になっています。廻りにはおみくじや粽も売っています。 御神体も安置されています。希望者は鉾の中に入り、見学もできます。ひとまず、大船鉾を離れ、四条通りを越えて、 新町通りを上ります。間もなく南観音山が見えます。さらに上がると北観音山があります。 どちらも山と言えども限りなく鉾に近い巨体です。大きな車輪もあります。さらに上がると八幡山があります。 用件を済ませて、帰りも新町通りを下がろうと思いましたが、通りを間違えて、室町通りを下がりました。 でも通りを間違えたお陰で、さらにいろいろな鉾や山をみることができました。まず、役行者山、黒主山と続きます。 横丁から祇園囃子の音が聞こえてきました。何時の間にか横丁へと足が向かいました。道端で祇園囃子の練習中です。 また、各町家ではこの時期には秘蔵の展示があります。由緒ありそうな人形が展示されていました。 また淨妙山の近くでも展示がありました。さらに鯉山では路地の中へ入ると大きな鯉の展示があり、由緒を説いています。 橋弁慶山では2階に弁慶と牛若丸を模した展示がありました。 そして元の大船鉾へ来ると辺りはすっかり暗くなっていました。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
〜 24日(後祭巡行) 〜 7月24日は後祭の巡行です。 今年は日曜日であり、テレビでも中継されていましたが、やはり出かけて本物の巡行を見ることにしました。 四条の新町辺りで鉾が帰ってくるところを狙いました。ちょうど北観音山が辻回しをしているところでした。 車輪の下に竹を引いて、水を掛け大きな掛け声とともに気合をあわせて90度回します。 1回では回りきらずに何回も分けて鉾の方向を変えます。やっと思う方向へ舵を切り、狭い新町通りに鉾は消えてゆきます。 続いて、南観音山と大船鉾が続きます。いずれも新町通りに消えてゆきます。大きな鉾が狭い通りに消えてゆくところが何とも 奇異に感じます。 これで後祭の巡行も終わりました。北、南観音山は所定の場所に戻って来ました。 鉾はすぐに解体されます。北観音山の解体現場をしばらく見ていました。 まず華麗な装飾類が外されます。次に大きな車輪が外され、大きな掛け声とともに民家の収容場に運ばれます。 荒縄でしっかり組まれた骨組が残ります。2日に渡って解体するようでした。 折角我々を楽しませてくれたのですが、あっけなく解体されるのを見ると「あわれ」さえ感じます。 これで今年の祗園祭はすべて終了しました。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
収穫の秋です。田んぼには穂が垂れています。 鳥が折角実った果実、穀類を狙っています。以前、これらの被害に備えて昔は良く案山子が立っていました。 でも最近はあまり見かけなくなりました。しかし、広沢の池のそばを通ったときにたくさんの案山子があるのを見かけました。 思わず車を引き返して、案山子をいっぱい見てきました。
だれがこんなにたくさんの案山子をつくったのでしょうか。 よくわかりませんが、この景色ににしっかりと溶け込んで面白いと思ったものでした。 数年前からこの地域に案山子はたくさんあったようでしたが、気がついたのは2013年の秋でした。 今年はどうでしょうか。もう一度見に行きました。 ありました。今年もたくさんありました。良かった! このあたりは歴史的特別保存地区です。田園が開けています。 遙か向こうには小倉山でしょうか。山々の稜線がきれいで、いかにも特別なものを感じます。 心も和みます。 ここへなぜかたくさんの案山子があります。だれがこんなに大量の案山子を おいたのでしょうか。よくわかりませんが、心もひろくなります。 近づいてみると皆個性的な顔つきをしています。時事的な世相を反映した案山子は見かけません。 美術系の学生が設置したのでしょうか。良くわかりません。 案山子自体が最近では数がすくなくなっていると感じていましたが、 ここでこんなに大量の案山子を発見したのは驚きです。 そばへ寄ると酒米を栽培していると書いてあります。 京都の伏見等へ出荷されて伏見の銘酒の元になるのでしょうか。 それはさておき、この開けた京都らしい背景をバックに案山子が良く似合います。 シャッターを切りまくりました。いくら見ても飽きない風情です。 何時しか時間が過ぎ、日が暮れてきました。夕焼けをバックに面白い風情でした。 寒くなってきました。また日を改めてと思い、後ろ髪を 弾かれる思いで、案山子とも別れを告げました。 しばらく間をおいて、再度案山子を見に行くと、稲は刈り取られ、 案山子も撤去されて簡素なものが数対あるのみでした。残念!! 昨年は年が変わるまであったかとおもったのですが、 なぜか今年は速やかに、案山子は撤去されたようです。 また来年もあるかとおもいますので、来年に期待しましょう。 広沢の池まで足を伸ばすと、何事もなかったような静かなたたずまいです。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
ここで、一昨年と昨年について少し触れます。 〜2013年〜 初めて広沢の池の周辺で案山子が大量にあるのを発見した年です。 誰がこんなにたくさんの案山子を立てたのか不思議に思いつつ、気が付いてみると シャッターを押しまくっていました。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
〜2014年〜 今から思えばこの年の案山子が一番充実していました。 昨年2013年と同じ場所に大量の案山子があり、その奥にも まだいくつかの案山子がありました。さらにその奥にも案山子が見えて、 思わず、足を伸ばしたものでした。 また、稲が刈り取られて、年が変わっても、台風が来ても たくさんの案山子が立ててありました。しかも2重3重に 立ててありました。奥の方にも案山子がありました。もっとも充実した秋でした。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
風薫る季節となりました。若葉がすがすがしい毎日です。
2015年5月3日(水・祝)亀岡 明智光秀祭りを見てきました。 亀岡駅に着きました。観光案内所で地図をもらい、目の前を見ると駅前の 南郷公園周辺から何か騒がしい音が聞こえてきます。フェステバルが開催されているようです。 まず公園に立ち寄りました。自衛隊の車が目を引きます。隊員を募集しているようです。 子供達が車の上に乗って、記念撮影しています。 公園内のステージには全国からゆるキャラが集まっています。 連休を楽しむ子供ずれの観客で一杯です。 光秀の行列にはまだ時間がありますので、ここで昼をとることにしました。 行列をならんで、屋外で家族連れに紛れて、昼をとりました。 お腹がふくれたところで、光秀の行列を求めて移動します。市役所方面へ移動して、撮影場所を探します。 行列の背景には古民家が似合うだろうと思って、小さな道の古民家の前で行列を待ちます。 しばらくして、ブラスバンドの音楽と共に、行列がやって来ました。まず、地元の女子学生が演奏する ブラスバンドが目の前を通りすぎて行きます。まじかで聴くと迫力があります。行列も信号にしたがうのですね。 信号で足止めを食らうといつまでも目の前で演奏します。小太鼓の迫力がすごい。 続いて、鎧兜を着用した兵士の行列が続きます。 「ガチャガチャ」と歩くたびに鎧がすれる音がします。 子供達の行列もありました。ちびっこも頑張っています。 いよいよ、ひずめを鳴らしながら馬に乗った明智光秀と家臣達が目の前を通ります。動物の匂いが辺り一面に立ち込めます。 光秀は白馬にまたがり、ひげを生やした貫禄のある方が演じています。 続いて女性陣の登場です。場は和みます。 まず正室の熙子、春日局、玉子と続きます。玉子は光秀の娘で、後に 長岡京市の勝龍寺城の細川忠興の元に嫁ぎ、細川ガラシャとして知られています。 また春日局は徳川3代将軍家光の乳母となり江戸城大奥の礎を築いたことで知られています。 京都の大きな祭りのように長い行列ではありません。でも狭い小道で手を差し伸べれば手が届きそうなところを 行列が通り、身近な感じで十分楽しめました。 さらに行列を追ってみました。小道で先回りして待ちました。しばらくしてまた行列は やって来ました。写真を撮ります。次に行列の華やかさが過ぎた後の小道を見てみました。 この小道にはパンフレットによると「賑わい茶屋」や「柳の会」の近くだとわかりました。 なぜか、この狭い小道だけですが、すべての家々に「こいのぼり」がつるしてあります。 また武者飾りの展示をしている家もあります。つばめがたくさん飛んでいて、 そのうちに武者飾りのある家に飛び込んできました。待ち構えて写真撮影に成功しました。 すごいスピードで飛び込んで、一瞬の間に方向転換して、飛び去るのは不思議ですね。 華やかな行列が過ぎ去ったあとの風情も趣がありますね。 元の南郷公園まで戻りましたが、途中大本教の大きな社務所がありました。ここで、 行列は一服して休んでいます。この光景もカメラに収めました。 大本教は亀岡が本拠地です。りっぱな社務所です。 南郷公園に戻りのどを潤して、帰ろうかと思ったのですが、近くをまた行列が通りかけましたので、 しつこく行列を追いました。 さらに亀岡駅前でもカメラを構えました。 またご一行が通ります。行列は前よりも大きくなって数も増えているようです。 婦人警察のバトンガールも参加していました。制服を着て溌剌とした演技には成人女性の持つあでやかさも感じました。 ブラスバンドの数も増えています。 またあどけないかわいいちびっこの行列に加わっています。 また駅前では和太鼓の実演もありました。大太鼓を力を込めて力いっぱい鳴らす少年。そして少年に交じって、 少女の姿も見えます。皆、力一杯熱演してくれました。 これも迫力がありました。 さてついつい遅くなりました。帰途を急ぎました。なぜか電車が遅れています。 電車に乗ってしばらくして、女学生から席をゆずろうと声をかけられました。 もう席を譲られるような年になったのですね。嬉しいのか悲しいのか。 明るいうちに家にもどることができました。 明智光秀は信長を討ったことで知られていますが、地元亀岡では 絶大な人気があるのですね。 毎年光秀まつりが開催されて、光秀も喜んでいるでしょう。 |