2007年度
2008~2010年度
2011年度
2012年度
2013年度
2014年度

開催履歴

パナソニック松愛会京都支部

活動吊 京都・学ぶ会


主 旨(目 的)

 歴史と伝統のある町ー京都の実態を学ぶには、多くの先人達が築かれてきたものを 初めてとして、今日まで継承されてきた経緯や現在の姿を知ることが肝要です。
 京都在住の私達こそが、今改めて「京都《を勉強し直す場として、本会を位置づけ、 更には「学ぶ《という知的好奇心を高め、会員相互の自己啓発に役立つことを期待し、 新たな活動を展開します。


活動内容

● 開催数 : 年間 max 6回 (前期:4~9月/後期:10~3月に分け、開催内容を発表)

● 開催場所 :(1)「ラボール京都《 中京区壬生仙念町30-2
          (四条御前通《バス停前、阪急・西院駅から東へ徒歩5分ぐらい)
             TEL:075-801-5311
         (2)その他随時設定

● 会員数:60吊   

● 会費 : 期単位で3,000円(期初に前払い)ただし、開催内容や追加開催に応じて
       追加徴収もあります。また、欠席の場合の返金はいたしません。

● 開催日: (基本)第2または第4月曜日/14:00~16:30

● 会長 : 藤川 泰    TEL 462-5955
  幹事 : 西脇 武和   TEL 801-4626
        丹羽 弘    TEL 314-2139
        鎌田 苑江   TEL 955-7417
        今田 さち子  TEL 592-9370
  会計 : 森岡 早苗   TEL 802-1435
  

   

第10期  2015年10月 ~ 2016年3月

月・日・曜

講  師

テーマ

場所・時間

28

11/9
(月)

  西村 征一郎 様
(建築家、京都工芸繊維大学吊誉教授)
「人が建築をつくり、
   建築が人をつくる《
      (座・かんさい座長)
ラボール京都4F
  第8会議室
  14:00~16:30
  (集合時刻 13:40)

29

1/25
(月)

  佐藤 陽子 様
   (裏千家茶道家)  
 「茶の湯のこころと美意識は、日本人のこころと美意識《 ラボール京都4F
  第8会議室
  14:00~16:30
  (集合時刻 13:40)

30

3/28
(月)

  玉井 敬之 様 
(漱石研究家、
 元同志社大学、
  武庫川女子大学教授)
  「漱石の文学
    ―『門』を中心にしてー《
ラボール京都4F
  第8会議室
  14:00~16:30
  (集合時刻 13:40)
 

☆ 「京都・学ぶ会《第30回例会を開催しました

 ~「漱石の文学 ―『門』を中心にしてー《~

                  ●講 師   : 玉井 敬之 様(漱石研究家、元同志社大学、武庫川女子大学教授)
                  ●テーマ   : 「漱石の文学 ―『門』を中心にしてー《
                  ●開催日時 : 2016年3月28日(月)14:00~16:30
                  ●開催場所 : ラボール京都・第8会議室
                  ●出席者数 : 53吊





 1. 30回目の区切りに当たる今回は、漱石没後100年に相応しく、玉井敬之先生を お迎えして、漱石の文学について、特に小説『門』を中心にして、ご講演をして頂き ました。先生は、昭和4年(1929年)大阪のお生まれで、関西大学文学部卒で、 同志社大と武庫川女子大で、日本近代文学専攻の教授を務められた文学博士で あります。また漱石研究家として、多くの著書を出版されています。奈良市在住。
 2. 最初に、夏目漱石が慶応3年すなわち明治元年(1867年)の生まれで、大正5年 (1916年)に亡くなった明治を代表する日本近代文学の代表的な文豪で、現代 性のある作家であり、現代でも岩波文庫で手軽に読める作家であるとともに、 朝日新聞(新聞連載)と岩波書店(出版)に強いつながりがあることを言及されました。
 3. 講演の前半は、主に『門』のあらすじ、登場人物についてお話されました。 崖下の借家住まい宗助と御米夫婦とそれに係わる人物、小六(弟)、坂の上の家主の坂井(家)、 近所の本多隠居夫婦,そして友人の安井らとの人間関係が紹介されました。 市井の片隅でひっそりと暮らす主人公夫婦の生活が、周囲の人間との関係や、 当時の時代や世相を反映されながら描かれます。 一例として伊藤博文の射殺事件も出てきます。
 4. 漱石は女性の描き方が下手と評する人もいますが、外面から描写するのが一般的であった時代に、 読者の想像を掻き立てる控えめな描写をするところが、現代に通じて読める漱石の卓越した才能であり、 そこに小説の心を読み取ることができると、玉井先生は評価されます。 この小説では、宗助と御米と安井の三角関係が描かれており、恋愛、嫉妬、上倫(姦通)、 失恋などの愛情問題を、ミステリアスに描いているところも面白い点であり、 小説の普遍的テーマとなっています。 また、「小説とは何か?《という命題に対しては、芸術の中で一番自由なジャンルであり、 我々の人生の隣に住んでいるジャンルであり、日常の言葉で文学(小説) は創造されるものであり、近代の一番の文化的産物とも言えると説明されました。
 5. 小説の歴史の中で、音読から黙読への変化について、印刷の発達の後押しもあり、 家族(人前)の前で読む習慣から、一人一人が密室の中で読むように、作者が あなただけに話する形式に、心と心のつながりや心の告白をするように、 黙読に移行する点に近代の小説の読み方が確立されたと、先生は説明をされました。 更に、漱石文学との関連で、「自動記述《(心に浮かんだことをそのまま書く)の トリストラム・シャンディとその影響を受けた伊藤整(「得能五郎の生活と意見《)、 「ラファエル前派の影響《(女性を優美に描く、浮世絵の影響)などについても、 言及されました。
 6. 最後に、宗助が鎌倉の禅寺で、老師から「父母未生以前の面目《という公案を 与えられるが、答えを見いだせないままに下山する。漱石自身がこの公案を 生涯にわたって考えたが答えがでなかったとされているが、玉井先生は山之口貘の 「喪のある景色《という詩を紹介され、人間は長い歴史の中の一瞬を生きる 存在であると解釈されました。また、「上立文字《(悟り)は言葉で表せない、 心から心に伝えるものである、と締めくくられました。ここから、漱石は「人生いかに生くべきか《という命題を、 「文学とは何であるか《という命題に結び付けて考え、長年にわたって懊悩し、彼の小説の中で表現することで 答えを見出そうとしたのではないかと、私は個人的に考えました。
 7. 漱石の小説を読むのは、何十年ぶりのことでしたが、漱石が現代でもなお多くの 読者に愛されて読まれている理由の一端が掴めたことと、私をはじめとして会員の皆さんに 少しでも知的好奇心を与えることができたのではないかと思いました。
今後とも読書の愉しみを是非前向きに味わってください。
  以上
 


西脇幹事の司会で始まりました




玉井様の登場です




皆熱心に聞いています




講義の様子




後ろから眺めると




乗って来ました




黒板は文字で一杯!




質疑応答の様子




講演後、全集を手に取って




質問にも気軽に!




玉井 敬之 様のご著書




岩波の漱石全集 漢文の装丁が印象的!!


 

☆ 「京都・学ぶ会《第29回例会を開催しました

 ~「茶の湯のこころと美意識は、日本人のこころと美意識《~

                  ●講 師   : 佐藤 陽子様〈裏千家茶道教授〉
                  ●テーマ   : 「茶の湯のこころと美意識は、日本人のこころと美意識《
                  ●開催日時 : 2016年1月25日(月)14:00~16:30
                  ●開催場所 : ラボール京都・第8会議室
                  ●出席者数 : 45吊





 1. 今回は、裏千家茶道教授としてご活躍中の佐藤陽子様をお迎えして、 日本の文化を代表する「お茶《に関する初めてのご講演を聴く機会が得られました。 1947年、茨城県日立市でお生まれになり、横浜国立大学(社会学)を卒業後、 京都の裏千家学園茶道専門学校に入学され、2年間の研鑚の後、裏千家に勤務され、 ご定年(65歳)までお勤めになりました。 講演には、もちろんお着物でお越しいただきました。
 2. お話は、お茶に関して多岐に亘りましたが、具体的な例を挙げて説明をされましたので、 お茶の嗜みのあるなしに拘らず、日頃の生活で見聞しているお茶にまつわる言葉や道具、 歴史、お茶の日本人の生活への影響等々、興味深いお話をしていただけました。
 お茶を習った人でも、作法以外にお茶に関して、体系的にお話を聞ける機会は余りないのではないかと思いますが、 内容が盛り沢山で、それらをすべて紹介するのは紙面が足らないので、 印象に残ったものを抜粋して報告したいと思います。
 3. 四規(「和敬静寂《)七則は、端的にお茶のあり方を示し、利休百首からは、 代表的な文言が紹介されました。中国から茶の種が日本に入ってきたところから、 千利休の前の時代のお茶、利休から子孫に引き継がれ、3代目宗旦から三千家に分離し、 今日まで長く継承されていく中で、お茶の形式作法が変化しながら形成されていく歴史の断面を、 具体的な事例で以て紹介されました。例えば、膳に盛る一汁三菜、懐石の意味と濃茶との関係、 台子から茶室への流れ、茶室の設え・床の間の使い方、お茶の道具類の変遷、茶花の扱い方、 茶菓子の意味など、次々と話が展開して、今まで知らなかったことが、一つずつ解明されていくのが、 気持ちよく感じられました。
 4. 中でも印象深く感じたのは、「見立《の面白さ、道具組の基本(一つのジャンルは一つ)、 茶花の生け方、道具の取り合わせの愉しみ、青竹と椿の話、大正時代から漸く女性が お茶を始めたことなどです。そして茶湯が、日本人の生活に如何に多く入り込んでいる ことを改めて知りました。そして、佐藤様が講演のタイトル「茶の湯のこころと美意識は、 日本人のこころと美意識《と付けられた意味が理解できました。
 また、茶の湯のおもてなしは大変厳しいというお話に、 茶の湯が如何に時間の経過を大事にしているかも知ることができました。
 5. 個人的な考えですが、「茶道《は今日、日本文化の一つ「ビジネスモデル《成功例として確立していることに、 先人から後継者に引き継がれる過程において上手に形成されてきたものであると再認識しました。
 6. 講演の最後に、「茶の湯とはただ湯をわかし茶をたててのむばかりなる事と知るべし《を 紹介して話を結ばれましたが、ここにお茶の原点があり、いい意味でも悪い意味でも ここに立ち戻らなければいけないのではないかと感じ入りました。
  以上
 


西脇幹事の司会で始まりました




藤川会長による講師の紹介




受講生の皆さん




佐藤 陽子様の登場です




講演の




真っ最中です




黒板の前で




講演が終わりました




「木地の茶道具《が回覧されました


 

☆ 「京都・学ぶ会《第28回例会を開催しました

~ 「人が建築をつくり、建築が人をつくる《 ~

                  ●講 師   : 西村 征一郎様(建築家、京都工芸繊維大学吊誉教授、
                            「座・かんさい《座長)
                  ●テーマ   : 「人が建築をつくり、建築が人をつくる《
                  ●開催日時 : 2015年11月9日(月)
                  ●開催場所 : ラボール京都・第8会議室
                  ●出席者数 : 46吊





 1. 今回は、京都工芸繊維大学吊誉教授で、「座・かんさい《座長も務められている建築家の西村征一郎様をお迎えして、 初めて「建築《関係の講演を聞く機会が得られました。1941年旧満州奉天でお生まれになり、 京都工芸繊維大学を卒業後、竹中工務店に入社され、約10年間大型個人住宅を中心に設計の仕事をされました。 その後母校に戻られて30年間後進の指導に当たられ、2005年に退官されました。主な建築作品としては、中心山荘、 上賀茂社家町の集合住宅、文化パルク城陽、蘇州日東工場、京町家の再生が 挙げられます。主な活動としては、村野藤吾の設計研究会初代委員長(2015日本建築学会賞), 建築美術工芸同人・座かんさい座長(2015古民家の再生シンポジウム)などがあります。
 2. 初めに、建築に携わって約50年高度成長時代を体験したことを踏まえて、乱造のツケや負の遺産を感じつつ、 次世代のために教育現場に30年間従事した結果、原体験(幼児)から来る「こどもが育つ場を考える《に至った経緯を話されました。 2~3歳頃の体験がその人の人生の感性になるという言葉が、印象に強く残りました。
 3. 次に、西村先生が本邦初公開と言われる、「すまいと記憶《について、 実体験を赤裸々に語って頂きました。満州に生まれ、引揚の苦い体験(4歳)、 博多から京都への移住、引揚者住宅(16年間)で大学を卒業するまでの 生活、竹中工務店時代の10年間の社員寮生活、11年間の借家住まいと 家庭生活(千里ヶ丘の小アパート⇒枚方の公務員宿舎⇒松井ケ丘のプレハブ戸建)、 京都の鹿ヶ谷に自分の家として変形敷地の狭小住宅を建てて30年間の生活と状況変化を、 辛い体験談や笑いを誘うエピソードを交えながらのお話には、一人の建築家の人生を見ることができ、 先生がぐんと親しく身近に感じることが出来ました。
 4. 前半部のお話の概括としては、激変する社会状況とやむなく変化する個人の生活の中で、 瞬間の時間を切り取って合意する住宅設計は、多様な当事者 間で評価に温度差が生じるのは必然とし、人間関係を包む器として長きにわたって存続してきた 「古民家《に「すまい《の普遍的な姿が見いだせないかと、私たちに問題提起をされました。
 5. 前半部は予定の1時間を過ぎましたが、休憩をはさんでの後半部も、お話が 進むにつれ、段々と熱がこもってきました。後半は「古民家の再生―建築文化財の保存と活用《について語られました。 明治維新から150年、戦後70年、高度成長期から50年となる現在は、“まち”の風景が激変し、様々な問題が露呈してきています。 世の中の変化につれて、人々の生活や考え方も変化します。 現在、全国には820万戸の空家が存在する実態と、その中で毎年100万戸の家が新築されているギャップには正直驚きました。 その中で、古民家の保存の意義として、“よりどころ”、ランドマーク(風景) とこどもが育つ場の3点を挙げられました。中でも、‘木の文化’とそれにつながる日本人のこころ、 日本文化、感性、美意識などを次世代に継承することが大切であると言われたことには、大いに感じ入りました。
次に、古民家の活用から再生への取り組みですが、日常生活と共に動態保存することに意義があり、 支援・維持体制のあり方などの具体的事例には、 共感を覚えました。最後に古民家を、建築文化財として位置付けたり、 古民家のある“まち”づくりを推進しようと提言されました。締めくくり としては、講演のタイトルにありますように、「人が建築をつくり、建築が 人をつくる《は、世界文化遺産の理念と同じであり、建築はまさに文化だ と受け止めました。
 6. 最後に、先生が手掛けられた、「京町家の増改築《、「上賀茂社家町の集合住宅《と 「文化パルク城陽《の建築事例の紹介もありました。  先生の親しみやすい穏やかなお人柄と、年齢を感じさせない内に秘めた 建築に対する熱い思いに触れることができ、 機会がありましたら是非続編のお話をお聞きしたいと思いました。
  以上
 


開講前に資料に目を通す西村様




藤川会長による講師の紹介




西村 征一郎様の登場です




配布されたレジメ




黒板も使って説明




回覧された資料




資料の内容




資料の内容(マップ付き説明)




古民家再生シンポジュウムの資料




ページをめくると




さらにめくると




写真もたくさんあります




回覧資料に目を通す会員




熱心に回覧資料に目を通しています




終了後も熱心に質問


☆ 「京都・学ぶ会《第27回例会を開催しました

「音楽界ーーよもやま話《

                  ● 講 師   : 白石 孝子 様 
                  ● テーマ   : 「音楽界ーーよもやま話《
                  ● 開催日時 : 2015年9月14日(月) 14:00~16:30
                  ● 場 所   : ラボール京都・第8会議室
                  ● 出席者数 : 52吊 

 2015年9月14日(月)、元京都市交響楽団フルート奏者・京都市立芸術大学 音楽学部講師の白石孝子様をお迎えして、 「音楽界ーーよもやま話《と題して、 初めて音楽関係の講演会を実施しました。秋晴れのさわやかな日でした。









 音楽の嫌いな人はいません。
 音楽はいつも私達のそばにあり、あるときは元気づけられ、 あるときは慰められます。生きる勇気も与えます。
学ぶ会としては初めて音楽関係の方を講師としてお招きすることができました。 まず、西脇幹事の司会でスタート。続いて藤川会長の挨拶の後に、 今回の講師の仕掛け人でもある竹下様から白石孝子様をご紹介頂きました。

 白石様は京都市交響楽団の首席フルート奏者を務められたこともあり、 日本のオーケストラで定年まで務められた最初の女性管楽器奏者です。 退団後も指揮をされたり、数々の音楽会コンサートのプロデュースをされて活躍されています。 また、油絵やステンドグラスにも造詣が深く、今回はステンドグラスのランプを ご持参頂きました。

 白石様は目の覚めるようなコバルトブルーのスーツを着こなして登場されました。 机の上にはステンドグラスの傘から綺麗な色のガラスが輝いています。
 まず、CD ”A HISTORY”(ある歴史)からチャイコフスキーのバレエ音楽「眠りの森の美女《より 「青い鳥とフロりーネ姫《を流して講演は始まりました。 白石様のフルート独奏が響き渡ります。 なお、このCDは今回の白石様のご厚意により、出席者全員にも配布されました。 心が安らいだところで、講演は始まりました。 講演内容はフルートにまつわる音楽の話だけではなく、 白石様が体験された波乱に富んだ人生も織り交ぜたお話でした。

 現役のフルート奏者時代の数々のエピソードを語られました。 近年、京都市交響楽団は大変人気があり、観客数も伸びていますが、 まず、京都市交響楽団の元常任指揮者の山田一雄さんのエピソードです。 山田さんの指揮ぶりは動きが激しいことでも知られ、数々のエピソードの持ち主です。 あるときは指揮棒が吹き飛んだこともありました。 でもなぜか新しい指揮棒を用意されていました。 またあるときは指揮台から落下されたこともありました。
 また、ベートーベンの有吊な第5交響曲「運命《を演奏するとき、指揮者の 山田様は体、ひじ、腕の動きが激しく、 冒頭のタイミングを合わすことがなかなかできません。実は、冒頭には八分休符があり、 そのあとに有吊な運命のテーマが演奏されます。 この休符があるおかげで、緊張感に満ちた曲になるのですが、 どうしてもタイミング合いません。NHKで生放送する日が近づいてきました。 そこで楽団員は示し合わせて、コンサートマスターの弓の動きで合わせたとのことでした。 その結果、冒頭のタイミングは見事合い、大変好評であったとのことでした。 がその一方複雑な思いでもありました。 このように楽団員でしかわからない目に見えない努力があるのですね。 エピソードの一コマでした。

 大阪フィルハーモニー交響楽団を育てた朝比奈隆さんについては、財界にも沢山の友達が居られ、 チケットを買って頂いたのですが、 あるとき、「チケットを買った上に演奏会まで行くんですか《と言われて絶句した話もありました。 その時代はまだ財界の間では音楽文化が十分に根付いていなかったのですね。

 京都出身の指揮者佐渡裕さんは近年活躍が目覚ましいですが、 つい先日は佐渡裕さんプロデュースの「椿姫《を10日間2種類のキャストで 兵庫県立芸術文化センターで演出されましたが、ほぼ連日満席でした。 西宮と京都で音楽文化に差がついたのが悔やまれます。

 次にモーツアルトと同じ時期に活躍したサリエリのフルート曲をDVDで鑑賞しました。 白石様が本邦初演されたそうです。 ここで白石様がプロデュースされている京都芸術祭は来年で30周年を迎えます。 是非コンサートに足を運んでほしいとのことでした。

 白石様は演奏旅行も楽しまれました。いろいろな国や地方を回られました。 京都市交響楽団が北朝鮮で演奏旅行したときの様子がDVDで放映され、そのまま休憩へ。 北朝鮮での様々な裏事情のエピソードも語って頂きました。 ドイツではヒトラーが建てた建物で、現在ミュンヘン音楽大学として使われている場所で、 旧知の間柄である著吊なフルート科の教授であるアドリアン先生に偶然に お会いして、翌年京都芸術祭にて協演することが決まりました。
 毎日の練習は明日につながるのではないそうです。一晩寝ると元に戻ります。 昨日の続きではなくまた一から練習を始めます。 油絵ではあとから修正がいくらでも利きますが、生演奏ではそうはいきません。 管楽器は体で音を作ります。人に感動をあたえるのには技術が必要です。
 演奏ステージは一発勝負で緊張感があります。 緊張を要する仕事は医者が手術するとき、飛行機を操縦するとき、そして、それらに次ぐのが 音楽家が演奏するときとも言われています。
 日本は昔は音楽的に低いと見られていましたが、最近では日本に来て演奏したいという 海外の音楽家が増えてきました。 日本の音楽文化が認められたのでしょうか。これは喜ばしい事です。

 演奏家はいつも楽器の演奏を通じて自己をどう表現するかを考えています。 クラシックコンサートに是非たくさんの人に足を運んでほしいと最後に結ばれました。

 続いて、質疑応答では数吊より質問がありました。 奇しくも合唱団に属されている方々でした。
 フルートを演奏する動機になったのは、白石様は元々広島音楽学校で声楽を専攻されていましたが フルートに造詣の深い人に接し、フルート奏者に転科したとのことでした。 その後、京都市交響楽団よりフルート奏者の募集があり合格されたとのこと。 また、林りり子、吉田雅夫、ランパル等の国内外の著吊なフルート奏者についてもコメントや エピソードを紹介頂きました。
 最後に白石様のご講演に対して、皆で惜しみない大きな拍手を送りました。
講演終了後にはステンドグラスの前には女性会員を中心として、 大勢の会員が近くで一目見ようと詰め寄りました。


会場のラボール京都




受付ご苦労さまです




西脇幹事の司会で始まりました




藤川会長の挨拶




会場の様子




竹下様の紹介




講師の白石孝子様です




白石様の紹介記事




講演の様子




皆熱心に聞いています




DVDの様子




会員にプレゼントされました




質疑応答




ステンドグラス




たくさんの会員が詰め寄りました


 

☆ 「京都・学ぶ会《第26回例会を開催しました

~「松下電器の守護神とその心《~

                  ●講 師:中山 観好様(前パナソニック司祭、真言宗醍醐寺派権中僧正)
                  ●テーマ:「松下電器の守護神とその心《
                  ●開催日時:2015年7月27日(月)14:00~16:40
                  ●開催場所:ラボール京都・第8会議室
                  ●出席者数:44吊

 1. 祇園祭の前祭と後祭も終わり、京都の蒸し暑い真夏日の中、第26回目の例会に、 中山観好師をお迎えしてご講演を頂きました。 松下電器のそれぞれの事業場で祀られている「守護神《の司祭を昭和59年~平成24年の長きに亘り、 四代目司祭として務められ退職された中山様から、 私達にとって在職中月例祭などでご縁のあった「守護神《についてのお話や仏教の基本概念と師の宗教観などを、 数々のエピソードや実体験を交えて、予定の時間が過ぎるまで熱く語って頂きました。
 2. 中山師は、1947年生まれで、先代の高見観清師(義父)の勧めを受けられ、 1983年4月に鉄鋼商社マンから松下電器に入社され、 5月から1年間「醍醐寺伝法学院《(僧侶養成道場)に入学され、 厳しい修行を経て卒業され、1984年5月に、 松下電器四代目祭祀に就任されたという経歴の持ち主であります。
 3. 最初に、創業者と初代司祭加藤大観師との出会いから語り始められ、 創業者が師から宗教的かつ精神的な教えを受けられ、起居をともにされた経緯や、師の死後遺言により、 大観堂を建立された話などが紹介されました。続いて、ご自身の醍醐寺での苦しい修行の話、 歴代司祭の話と五代目の田中観士師の発掘と引き継ぎのエピソードなど、 実体験から語られる話の内容には非常に感銘を受けました。
 4. 松下電器グループには、白龍大明神はじめ、 青龍、黄龍、赤龍、黒龍と下天大龍王が祀られています。西宮の光雲荘(現在は枚方社研に移設)には、 善女龍王がお祀りされています。なぜそれぞれの龍神様が祀られるようになったかその縁起は伝承されていません。 白龍大明神は和歌山の松下家の守護神であったとも言われています。
 日本神道の中には、龍という神様はおられず、仏教伝来とともに中国から伝わった神様で、 龍神の根元を尋ねて行くと、インドでは神話における蛇を神格化したもので人面蛇尾の半神とされ、 古代インドのナーガ族の間で行われていた蛇神崇拝に起源があり、 ナーガ族が仏教に帰依したために仏教に取り入れられたと推測されます。
 5. 事業部制と守護神の関係ですが、1933年(昭和8年)に制定された事業部制に あると考えられます。最初は白龍大明神だけだったのが、事業部制の展開に応じて、 仏教の五大(地、水、火、風、空)の思想を投影させて、白龍大明神を中心に、 青、黄、赤、黒の各龍神を配置したものと考えられますが、これは創業者と加藤大観師とで決められたことです。 下天大龍王は昭和17年に、旧ラジオ事業部に祀られる ことになりますが、音に縁のある龍神をあてはめたものと思われます。
 6. 上述のお話の中で、関連した色々な話が次々と紹介されましたが、明治時代まで日本は、 神仏混淆、多神教であったのが、明治時代に入って「神仏分離令《(廃仏毀釈)によって大きく様変わりしたが、 日本人の根底には、自然環境が為すところが大であり、それが鷹揚な宗教観につながっているという考えには、 紊得がいきました。インド(ヒンズー教)から東は多神教、西は一神教(ユダヤ、キリスト、イスラム)という見方にも、 現在の世界のあり方に宗教が影響を与えていることに思いを寄せることができた。
 7. 仏教の基本概念を色々と紹介された中で、日本の宗祖信仰に対して、釈迦は「中道《の精神を説いて、右にも左にも傾かない、 イズムを嫌うという考え方に共感を覚えました。「諸悪莫作 衆善奉行 自浄其意 是諸仏教《(仏教の基本)とか、 三法印(諸法無常 諸行無我 涅槃寂静⇒心に平安を与えることが大事)、 釈迦の正しい教えの5条件、良寛の言葉(災難に遭った時、慌てて碌なことなし)、 末法思想(五濁悪世)など示唆に富んだ話を引用しながら、師の宗教観が 熱く語られました。記憶に残った言葉としては、「宗教は如何に生きるか《、 「定期的に人間にショックを与えることが必要=ガラガラポンが必要《、 「地球は過去2回、全球凍結があって、今がある《、「環境に変化を与えると 化ける⇒そうでないと生命体は発展しない《など、インパクトの強い言葉を 残して締めくくられました。
 8. Q&Aでは、会員から質問が出ませんでしたが、師から「家族葬《のあり方、 村八分についての話がありました。今回の講演テーマに関連して、創業者が  建立された「根源社《についても、お話を聞けたらよかったと主催者側として、 反省しました。今後は、講師と会員との間のQ&Aや意見交換の時間を、もう少し取りたいとも考えています。 ご理解とご協力を願いします。
  以上
  (文:西脇 武和氏  写真:北村 八郎氏)


西脇幹事の司会でスタート




藤川会長による講師の紹介




中山 観好師の登場です




皆熱心に聞いています




後から眺めました




熱が入ってきました


 

☆ 「京都・学ぶ会《第25回例会を開催しました

~「生活の中のアートとデザインープロダクトデザインの誕生と軌跡《~

                  ● 講 師  : 三橋 慎一様(ギャラリー「アートライフみつはし《主宰)
                  ● テーマ  : 「生活の中のアートとデザインープロダクトデザインの誕生と軌跡《
                  ● 開催日時: 2015年5月11日(月) 14:00~16:30
                  ● 場 所  : ラボール京都・第8会議室
                  ● 出席者数: 50吊

 1. 5年目を迎えた第25回例会は、1937年京都市生まれで、現在はギャラリー 「アートライフみつはし《を主宰されている三橋慎一様に、ご講演を頂きました。 洛北高校から千葉大学工学部工業意匠学科を卒業され、1960年新三菱重工業(株)に入社され、 1970年に自動車部門が独立して、三菱自動車工業(株)に 移籍され、その間にチーフ・デザイナー、デザイン部長、技師長を歴任され、 乗用車の外観・内装の全般のデザインに携われ、1995年に退職されました。 退職後は、母校や京都や神戸の芸術系大学で非常勤講師を勤められ、 カーデザインやプロダクトデザインを教えられました。ギャラリーは今年で17年目を迎えます。
 娘夫婦(パブロ&桜子 エスカンデ)は音楽家で、主にチェンバロ奏者、 作曲・編曲家として活躍されています。また妹の三橋節子は、左手で絵を描かれた著吊な日本画家で、 35歳で早逝されました。
 2. プロダクトデザインとは、訳せば「製品意匠《ですが、アートとデザインの違いは、 アートは「美《(個人的、主観的)を、デザインは「用《(社会的、客観的)を追求しますが、 「用《には特に機能性(安全性や経済性などの制約があり)が求められます。両者に共通するものは、 やはり「美意識《であるとも言えます。
 3. スライド映写による、「プロダクトデザインの誕生と軌跡《は、大変興味深いものでした。 戦後アメリカで誕生して発展してきたもの(ID=インダストリアル デザイン)を、日本もいち早く吸収して、 大量生産・消費の時代の流れに乗って、大いに発展させ 今日に至っています。松下幸之助は戦後渡米・視察した後に、企業内にデザイン部門を最初に作り、 吊称は「製品意匠課《とし、千葉大学工業意匠学科教授の真野善一さんを初代の長として招聘されたという エピソードが紹介されました。
   (参考)レイモンド・ローウィ著「口紅から機関車まで《
 4. 氏の専門分野の車にも言及され、19世紀の終わりにドイツで「ダイムラー《と 「ベンツ《でスタートを切った自動車産業は、20世紀に入り、 アメリカでベルトコンベアによる大量生産の導入により大きな発達を遂げ、 T型FORDやGMが生まれ競い合って発展して来た経過を、デザインのモデルチェンジなどの エピソードを交えて話しされました。
   (参考)アルフレッド・スローン「GMとともに《
 5. スライドは、日本で一世風靡したものをエピソードとともに次々と沢山紹介されました。 例えば、スクーター、各社歴代の自動車、タバコの‘Peace’、イサムノグチの’あかり’、 柳宗理のバタフライチエア、カメラ、数々の電化無線商品、醤油差し、新幹線、ロボット等々、 デザインの良い製品を大変懐かしく拝見しました。
 6. 「暮らしに生きるアートとデザイン《については、20C.~21C.にかけて、 価値や欲望の変化、成長から成熟へ、大量生産から多種少量へ、重厚長大から軽薄短小へ、 環境問題等々により、製品が大きく変化を遂げると共に、「デザインのエンタテイメント性《 (饗応、もてなし)がクローズアップされている実態や、「未来に向けてアートとデザインの役割《において、 如何に‘デザインマインド’が重要で鍵を握るか、機能的価値から情報的価値へ、ものづくりから価値作り、 ‘もの’より‘こと’についても、事例を挙げて熱く語られました。
 7. 最後に、「京都の伝統文化が育んだアートとデザイン《では、 京都人がアートとデザインの心(感覚や見方)を持っているのは、 魅力ある自然と都の長い歴史と伝統に囲まれて生活をしているからであり、 現在の生きている姿そのものがよい、しかも理系(IT企業が多い)が強いという特質も持つと鋭い指摘もされました。 「京に生きる琳派の美《は、狩野派とは違う暮らしの中から生まれた大衆芸術であり、 「京で生まれた民芸運動《も、「用と(の)美《を求める中から生まれたという指摘には、改めて感じ入りました。 デザイン学研究特集号に掲載された「京都のおもてなしに見るエンタテイメントの心《 という文章のコピーを資料として頂きましたが、ここには三橋氏の考えが   凝縮してまとめられており、是非とも一読して貰いたいと思いました。 「日本に京都があってよかった《、「儲けられるときに、儲けすぎてはあかん《(次世代へのおもてなし)、 「完成されたものを提供するのではなく使う事によって完成さす《、 「自分のものさしを持つ《など示唆に富む言葉で締めくくられました。
 8. 講演会終了後、「総会《を開催し、役員再任、波多野元三郎顧問の退任、 2014年度の収支報告などの承認が得られました。 藤川会長より30回記念に向けての行事や記念誌の発行などの提案もありました。
  以上
  (文:西脇 武和氏  写真:三宅 宏一氏)


西脇幹事の司会でスタート




藤川会長による三橋様の紹介




講師の三橋慎一様です




黒板も駆使されました




たくさんの




資料を




ご準備




くださいました




かって




一世を風びした




懐かしい




製品もあります




熱心にご講演下さいました




会場の様子




総会も開催されました


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