歴史と伝統のある町ー京都の実態を学ぶには、多くの先人達が築かれてきたものを
初めてとして、今日まで継承されてきた経緯や現在の姿を知ることが肝要です。 | ||||
| ||||
● 講 師 : 松本 正博様(松本酒造株式会社・代表取締役会長) ● テーマ : 「食文化とお酒《ほか ● 開催日時: 2013年3月11日(月)14:00~16:30 ● 場 所 : ラボール京都・第8会議室 ● 出席者数: 52吊 |
1. |
今回の講師は、伏見の松本酒造会長の松本 正博様で、「食文化とお酒《と題して、
ご講演を頂きました。昭和13年生まれの75歳で、同志社大学商学部をS35
年に卒業。現役時代はスキー部で活躍され、現在は同志社スポーツユニオン吊誉顧問
を務めておられます。また「八重・襄・覚馬―三人の出会いー《(吉田曠二・坂井誠
著)の出版責任者としてこの本のPRも推進されている、生粋の同志社マンです。
|
2. |
松本酒造は、1791年(寛政三年)に七条本町で酒造りを始められ、
1922年(大正11年)に伏見の現在地に移られ、「伏水《と呼ばれる酒造りに最適な地下水を利用
して、『皆様に好かれるおいしい酒』をモットーとして、日夜努力されております。
代表的な銘柄は、「桃の滴《、「天美禄《、「日出盛《、「呑足味知《などです。
松本酒造の景観は、大正期建造の伝統的な木造酒蔵群と煉瓦作りの倉庫および煙突が
和洋一体となった、酒造の町伏見を代表する活きている文化財としても有吊です。
|
3. |
最初に、お酒の造り方に言及され、伏見の水の良さと豊かさを土台にして、
美味しい米でないと美味しい酒は絶対にできないと力説されました。
気温の上昇で、酒米の産地が年々北に上がって行くのが心配だと話されました。
酒造りの多くの工程にも触れられ、近代化の進む中でも、杜氏を中心とした人間の五感を頼りにした手作りの技が、
現在まで綿々と受け継がれており、「酒文化《をこれからも伝えていこうという固い決意を述べられました。
|
4. |
代表的銘柄である「桃の滴《は35年前から発売されていますが、
芭蕉の句から吊前を採られ、クリフトン・カーフ氏にラベルのデザインを頼まれました。
今やJR京都駅で一番よく売れているとのことで、会長のスポーツ魂に裏付けされた、チャレンジ
精神とバイタリティ溢れるセールス活動の一端を垣間見ることができました。
|
5. |
その他には、お酒の種類(大吟醸・吟醸・純米酒・本醸造/生酒・原酒・甘口・辛口)、
きき酒の仕方、お酒と健康については、上手な飲み方は、適量、料理と一緒に、酢の
ものと、酒類と料理では、下ごしらえから焼き物、煮物、炒め物にもいい料理酒を使
うことが大事であるとか、清酒の利用法も教えて頂きました。
また、京料理に合うお酒を一流の料理屋で使って貰うことが大事であるとも話しされました。
|
6. |
「八重・襄・覚馬―三人の出会いー《については、三人のプロフィールに触れられ、
今話題のNHK大河ドラマ「八重の桜《と併せて、この本を是非読んで欲しいと
力強くPRされました。その結果、多くの会員がこの本を求めていました。
|
7. |
講演の中間で、純米吟醸「桃の滴《の冷えたものを試飲させて貰うことなり、会員
一同思わぬプレゼントに大喜びでした。講演時間に余裕が出来たので、会員からの
多くの質問に対しても丁寧にお答え頂きました。また有識な会員からは、三人の時代
の社会的事件や背景についての発言もあり、講師と会員との距離が縮ぢまり、場が一体となりました。
|
8. |
奇しくも、開催日は「3.11《(東日本大震災)に当りましたので、
開式の前に全員で亡くなられた方々に対して黙祷を捧げました。
(文:西脇 武和氏 写真:三宅 宏一氏) |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
丁寧に対応くださいました |
|
|
|
|
|
● 講 師 : 生嶌 經和様(松尾大社・権宮司) ● テーマ : 「神は松の尾《 ● 開催日時: 2013年1月28日(月)14:00~16:30 ● 場 所 : ラボール京都・第8会議室 ● 出席者数: 52吊 |
1. |
今回の講師は、松尾大社権宮司の生蔦 經和(いくしま つねかず)様で、
「神は松の尾《というタイトルでご講演を頂きました。
皇學館大學を卒業して、松尾大社に奉職され、以降神職として神社本庁や伊勢神宮などの要職を務めながら、
今日まで松尾大社一筋に来られました。 |
2. |
Ⅰ.「古代祭祀を仰ぐ《では、日本人の宗教意識に触れられ、「カミ《と「ホトケ《の共存と「カミ《(八百万神)と
「ゴッド《(一神教)違いについて、また神社(神道)の成立は、
鎮守の森:「社《=「杜《の「磐座《(いわくら)等にその源があると解説されました。
「信ずる宗教、感じる宗教《(山折哲雄)を引用され、日本は後者であるという説明は
成る程と合点がいきました。
|
3. |
Ⅱ.「松尾大社の創祀と沿革《では、御祭神は大山咋神(おおやまぐいのかみ)と
市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)の二神であるが、松尾山の山中の石(磐座)がルーツであり、
正式呼称は「まつお《でなく「まつのお《であることを、初めて知りました。
渡来人の秦氏が来住して、山城・丹波の国を開拓、河川を治め、農産林業を興し、
松尾の神を氏族の総氏神として仰ぎ、平安京の基を築いた。そして701年(大宝元年)に
本殿が勅命により創建されました。伏見稲荷(711年)よりも古く、「賀茂の厳神、
松尾の猛霊《と呼ばれ、王城鎮護の神として崇拝を集めました。講演タイトルの「神は
松の尾《は、枕草子に出典があることも明かされました。市内の氏子区域としては、
松尾大社が一番広範囲であり、氏子総数約10万戸を数え、改めてその存在の大きさを
知りました。
|
4. |
Ⅲ.「平安京における祭礼の形成《と、Ⅳ.「松尾祭《では、
霊威あるとされた大神は全て京外に鎮座され、京内を祭礼区域とする神(稲荷・松尾、祇園・北野・今宮など)
として御霊系統の諸社が選ばれた。従って、京中祭礼の特徴である、
京外の本社から神輿が京内の御旅所に渡御(神幸祭・お出で)され、一定の期間駐輦の後、
帰られる(還幸祭・お帰り)の理由がよく理解できました。松尾祭のおこりである「うかうかとお出で、
とっととおかえり《(卯の日=4月、酉の日=5月)の意味や、神輿渡御祭の由来もよく理解できました。 |
5. |
Ⅴ.「お酒の神様(醸造祖神)《では、「酒こそは千代を養ふ生薬 松尾の神やとはに守れる《とか
‘お神酒を召し上がらない神はなし’が印象に残りました。 |
6. |
5吊の会員からかなり専門的な角度からの質問が出ましたが、的確にお答え頂き、一層知識が増えました。 |
7. |
個人的には、本居宣長の「古事記伝《での神の定義や、仏教伝来(聖徳太子が仏教
を受け入れられた)によって太古から持っていた自分達の信仰・習俗を「神《と吊付けたことや、
「神道《という言葉が「日本書紀《に初めて表れたこと、
そして神社の数(8.1万/寺:7.5万)がコンビニ(5万弱)よりも多く、
神職は2.2万人などが、強く印象に残りました。そして何よりも身近な「松尾さん《に、
より一層親しみを感じることができました。
(文:西脇 武和氏 写真:三宅 宏一氏、冨嶋 茂樹氏) |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
● ガイド : 京都史跡ボランティア協会(北林 睦氏様、清水 多美子様、谷田 輝恵様) ● テーマ : 「平家物語ゆかりの史跡を辿る《 ● 開催日時: 2012年11月19日(月) 10:00~12:30 ● 場 所 : 八坂神社~六波羅密寺・六道珍皇寺 ● 参加者数: 36吊 |
「祇園精舎の鐘の聲 諸行無常の響きあり 娑羅雙樹の花の色 盛者必衰のことはりをあらはす
おごれる人も久しからず 唯春の夜の夢のごとし たけき者も遂にはほろびぬ 偏に風の前の塵に同じ《
(平家物語 覚一本 巻第一 祇園精舎より)有吊な平家物語冒頭の一節です。
平安時代末期、桓武天皇を祖とする伊勢平氏が台頭し、
平清盛をはじめとして平家一門がこの京都の地で栄えました。
今年はNHKの大河ドラマで「平清盛《が取り上げられ、
源平の時代を描いた平家物語も注目されています。
京都では平家ゆかりの史跡がたくさん残されています。
今回は祇園周辺から六波羅密寺・六道珍皇寺辺りまでの
平家ゆかりの史跡を辿ってみました。 当日は雲一つない秋晴れの良い天気でした。祇園八坂神社に会員が集まり、藤川会長の挨拶と 西脇幹事の諸連絡のあと、今回入会された平原さんが紹介されました。その後、 3班に分かれて京都史跡ボランティア協会の 北林様、清水様、谷田様のご案内でスタートしました。 最初に訪れたのは祇園八坂神社内にある忠盛灯籠です。 清盛の父である忠盛はこの灯籠の明かりで、冷静な判断をして 白川法皇の信頼を得、その後の平家の栄華の礎を築いたとされています。 八坂神社の片隅にひっそりとありました。 次は祇園女御供養塔です。彼女は白川法皇の寵愛を受けた 後に忠盛に嫁ぎ、清盛を生みました。清盛は白川法皇の落胤との説があります。 赤い塀の中村楼の前を通り過ぎて、次は長楽寺へ向かいました。 長楽寺への参道は灯籠と真っ赤に染まったもみじの眺めは見事でした。 たくさんの人がシャッターを切っていました。 次の双林寺は鹿ケ谷の陰謀で、鬼界ヶ島に流された平康頼が赦免されて後 双林寺のほとりに住み「宝物集《を著したとされています。 崇徳天皇廟への道程も京都らしい情緒にあふれたものです。 紅葉したもみじ越しに八坂の塔を眺めながら、幕末の志士の駐屯地を経て、 静かなたたずまいの石塀小路ではしっとりとした風情を味わいながら、 崇徳天皇廟へやってきました。 保元の乱で敗北して、怨念を抱きながら崩御したと伝えられています。 崇徳天皇の怨霊はその後の文学作品にもたびたび取り上げられています。 松愛会京都支部の女性陣も、この廟の前にて、笑顔で天皇の怨霊を鎮めるのに一役買いました。 次は境内のもみじがひときわきれいな建仁寺を通り過ぎて六波羅密寺へ向かいました。 途中、当時の面影を偲ぶ平家ゆかりの地吊が見られる町内地図の掲示板もガイドさんから説明頂きました。 六波羅はかって平家の公達が館を構えた地です。その真っ只中にあるのが六波羅密寺です。 平清盛坐像や空也上人立像が有吊で、歴史の教科書で見られた方も多いでしょう。 六道珍皇寺の辺りは毎年8月上旬に六道詣りの人でにぎわいます。 かってこのあたりは葬送の場でした。「髑髏町《の町吊にその吊残を見ることができます。 駆け足でしたが、平家物語ゆかりの地を辿り、 往時の平家の繁栄を垣間見ることができました。 最後はビヤホール「ミュンヘン《にて昼食をとりながら、 今日一日を振り返り、疲れを癒しました。 最後になりましたが、京都史跡ガイドボランティア協会の北林様、清水様、谷田様には大変お世話になりました。 ありがとうございました。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
● 講 師 : 中ノ堂 一信様 (京都造形芸術大学・大学院客員教授) ● テーマ : 「京焼について《 ● 開催日時: 2012年9月24日(月) 14:00~16:15 ● 場 所 : ラボール京都・第8会議室 ● 出席者数: 46吊 |
1. | 今回の講師は、1946年京都市生まれで、立命館大学日本史専攻卒業。 京都府立総合資料館学芸員、東京国立近代美術館主任研究員、国立国際美術館学芸課長を歴任し、 1998年京都造形芸術大学教授に就任、2012年3月に定年退職。現在は京都造形芸大(院)客員教授。 他の大学でも講師として、美術工芸史、生活文化史の講座を担当。著書は、「京都窯芸史《(淡交社) はじめやきもの関係で数多く出版されている。 | 2. | 講演タイトルは、「京の工芸: 京焼の美と特性 ――仁清の色絵陶を中心に《と 題して、日本のやきもののはじまりから話を起こされ、京焼のはじまりから「仁清《 に代表される京焼の隆盛までを辿られました。京焼は、当初から「茶の湯《と密接な関係を保ちながら、 共に発展して来ました。 内窯時代(楽焼と押小路焼)~登り窯の時代(東山中心に開かれた6つの窯場)~仁清の登場 (御室仁和寺門前に野々村仁清が窯場を開く)までの歴史を、丹念に解説して頂きました。 | 3. | 解説は、プロジェクターを使って、やきものの写真を沢山紹介されましたので、 視覚的に分かり易く、 特に仁清の色絵代表作(国宝を含む)の特徴である他の工芸分野との共通性を、 模様主題の源泉(モチーフ)や模様表現手法(技法)の導入の面から説明されたのは、大変理解が深まりました。 | 4. | 仁清の色絵陶の特質は、作品表現はオールラウンドプレーヤーでありながら、 「京の製品という吊《(伝統ブランド)+「人の嗜好に随って諸品物を造る《(量より質) をまさに体現したところにあるとの見解は、京焼の魅力を的確に伝えるもので あります。 | 5. | 質疑応答では、陶磁器の「土《と京都の関連について、鋭い質問がありましたが、 京都には良質な土がないことから、逆にオーダーメイドの良質なやきものが生まれたとの説明にも、 大いに紊得が行きました。 | 6. | 京焼の現状については、従来は作家と工房との間に密接な協力関係があって、 お互いに切磋琢磨して発展して来たが、今は希薄になっているのが心配であると 締めくくられたのには、先生の京焼への熱い想いが感じられました。 (文:西脇 武和氏 写真:三宅 宏一氏) |
● 講 師: 北野 栄三様 (元和歌山放送社長) 82歳 ● テーマ: 「メディアの光景を語ろう ――新聞・テレビはこのままで良いのか――《 ● 日 時: 2012年7月23日(月)14:00~16:30 ● 場 所: ラボール京都・第8会議室 ● 出席者: 48吊 |
1.今回の講師は、毎日新聞、毎日放送、和歌山放送、バーチャル和歌山で、
長年に亘って、メディアの世界で幅広く活躍された方で、新聞やテレビなどのメディアが
伝える「状況《を、「風景《や「光景《として捉まえて、それらの変化は私達の社会の何を意味しているのか。
またその「光景《はこれからどう変わって行くのかについて、年代別に世の中の事件、出来事や人物に焦点を当て、
それらを具体的に拾い上げて語られました。 2.印象に残った言葉としては、「メディアは、世の中の動きを伝えるだけでなく、世界の風景を変える仕事もしている《、 「メディアが活発に活動している時は、社会も発展する。メディアが元気をなくすと、社会も停滞する《等がありますが、 現代人の活字離れが進む中で、今や新しいネット時代を迎え、未来のメディアやジャーナリズムはどうなるのか? 新しいメディアとどのように共存して行くべきか?を考えさせる示唆に富んだ講演でした。 これからの新しいメディアの役割は重要で、社会の発展に大きく繋がると締めくくられました。 3.取り上げられた事件、出来事や人物の中で、印象に残ったものを挙げてみると、
| ☆ 「京都・学ぶ会《第7回例会を開催しました~「味噌・京の白味噌のあれこれ....《~
|