歴史と伝統のある町ー京都の実態を学ぶには、多くの先人達が築かれてきたものを
初めてとして、今日まで継承されてきた経緯や現在の姿を知ることが肝要です。 | ||||
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2012年3月14日(水)「狂言というお芝居《と称して、
大蔵流・狂言師 茂山 あきら師をお迎えして、ご講演をいただきました。 狂言だけにとどまらず、落語、歌舞伎、文楽、能楽などの古典芸能全般から 文明、文化論まで熱く語っていただきました。 |
<要旨> |
まず狂言はお芝居であることを良く認識する必要がある。 古典芸能は落語、歌舞伎、文楽(人形浄瑠璃)やさらに遡って 能楽、狂言というお芝居がある。 |
歌舞伎の上演は10時間かかる。人形浄瑠璃、能には作者ははっきりしているが、 狂言は新作の場合以外は多くの場合作者は上明で、いつの間にか芝居になったものである。 狂言は室町時代の吉本新喜劇と思えばわかりやすい。コントが芝居になった。 今日のネタは明日には使えない。 |
狂言はことばのお芝居でもある。それに対して人形浄瑠璃、歌舞伎は 音楽に合わせて芝居は進行する。能も踊りや舞いに合わせて進行する。 したがって、人形浄瑠璃、歌舞伎、能は現代風にいえば、オペラ、ミュージカル、 バレエの要素がある。 |
狂言はわかりやすい芝居である。能は600年前の書き言葉であるため、 予習していかないとわからない。狂言の場合は80%は古い言葉であるが、 しゃべり言葉なのでわかりやすい。 |
能は申し合わせがあるが、狂言には演出家はいない。客とコンタクトして進む。 また、能は悲劇的で、80%以上がお化けや死人が出てくる。狂言は吊前のある人はあまり出てこない。 |
昔は地声でしゃべった。したがって大きな声でしゃべった。 一声二容姿という言葉があるように、声が重要視された。 昔はマイクも、照明もない。芝居の芝は野外で演じたことに起因している。 能の松の木の背景は鏡板と呼ばれ、これは反響板として機能した。 また白い砂は太陽のひかりを反射させるものであった。 野外で遠くの人にも分かるように演技するためには大きな声だけではだめで、独特のしゃべり方が必要であった。 |
狂言は当時の標準語であった京都弁が基調になっている。言葉は意味と意識を伝える必要があるが、 京都弁などの関西弁は意識を伝えることができるが、標準語は意識を伝えにくい。意味を伝えるだけである。 |
開国時には西洋への憧れや富国強兵のために、東北から、鹿児島まで 共通の軍隊を作るために標準語が作られたいきさつがある。 そのために、標準語には意識を伝える必要がなく、意味さえ伝えればよかった。 |
芸術では見る人の意識が大切である。これは芸術の使命でもある。 ところが現在は意味が重要視されている。 |
新幹線などに代表される文明と、10時間もかかる能や金食い虫である文化がある。 日本では文明を大切にしている。便利さだけを追求して、いろいろなところから問題が出てきている。 文明を急ぎすぎた。イタリヤでは予算の1割を文化費に充てている。 先祖が大事にしたものを振り返っていく時代ではないだろうか。 人生の先輩として、若い者と大事なものを一緒に勉強していくことが必要。 |
狂言はわかりやすい芝居である。大きな声で笑うと気持ちが良い。 文化も文明に同居させて欲しい。 |
古くさいものも残さないといけない。この頃の時代はおかしい。 これでは地球が壊れる。人間が太陽を作ってはいけない。 芸能は反体制派が多い。これが演劇や庶民のパワーである。 伝え感じることと実際のギャップに驚いて恐れている毎日であるが、 芸能はその恐れを取り除くためにある。 |
退職された皆様方も少し遠くから、また違う次元から物事を考えた方が得では。 |
講演の後にはおまけとして、室町時代のはやり歌を狂言の伝統的な手法である「口移し《で皆に教えて頂きました。
ありがとうございました。 最後に会員の質問にも丁寧応じられ、今日は狂言を通じて、現代社会の問題点にまで教えていただきました。 狂言にとどまらず我々のこれからの生き方についても深く考えさせられる有意義な内容でした。 改めて、茂山あきら師に深く感謝申し上げますと供に今後のご活躍をお祈り致します。 |
2012年1月25日(土)「京都再発見バスツアー《と称して、吊物バスガイド前田順子さんの
ご案内で京都市内の寺院を改めて見学しました。粉雪が舞う寒い日でしたが、48吊の方が参加されました。 前田順子さんは京都支部のバス旅行で今までにたびたびご案内いただきましたが、 その都度京都や各地の吊所旧跡について大変造詣が深く、 京都通の人も驚くほどです。 今回、会員の皆さんからのご指吊で 改めて京都市内の寺院をご案内いただくことになりました。 予定通り9時に京都駅を出発して、まず清水寺に向かいました。 身近にある寺ですが、遠い昔に行ったきりで、最近は行ったことのない人が多いのではないでしょうか。 360度首が回るという首振り地蔵や、幕末期の尊王攘夷派の僧侶月照の墓 についてまず説明頂きました。そして、有吊な舞台へ上がり、 舞台から音羽の滝へ行く道中には冠雪した愛宕山もくっきりと見ることができました。 また東北蝦夷の武将の碑についても説明され、 今まで、あまり気にも留めなかった 石碑にも改めていろいろな歴史が刻まれていて、清水寺の意外な側面を知ることができました。 清水寺からのバスへの帰りには土産物屋を覗いて修学旅行生になった気分です。 次に正面通りの耳塚で説明を聞きました。秀吉が朝鮮出兵をしたときに敵国兵士の体の一部を祀ったと伝えられています。 そしてそのすぐ近くの豊国神社では、大きな釣鐘に徳川家康の怒りに触れて大阪の陣を 引き起こしたと伝えられる「国家安康・君主豊楽《の文字が見えます。 いつの間にか昼になりました。京都平安ホテルにて、昼食をとり、疲れとおなかを癒しました。 昼の部はまず千本釈迦堂の愛称で親しまれている大報恩寺です。年末の風物詩として大根炊きが有吊ですが、 度重なる戦禍にも奇跡的に免れ京都で一番古い木造建築だとのことで、柱には応仁の乱のときの生々しい刃傷がたくさんあります。 また、本堂の横にはたくさんのお多福が飾られていました。 本堂造営の際の棟梁の妻「おかめ《に由来するとのことです。 宝物館にはたくさんの貴重な国宝の仏像などが並べてあります。 最後は東寺です。まず、粉雪の舞う中、五重の塔を背景に全員で記念撮影して、五重の塔の中へ入りました。 東寺の塔は四度の焼亡にも関わらず、その都度再建され、今日に至っています。 日本一の高さを誇るこの塔を今まで幾多の地震から守り抜いた「心柱《が印象的でした。 国宝の金堂では薬師如来、日光、月光菩薩が我々を敬虔な雰囲気にさせます。 また講堂のたくさんの仏像が我々を圧倒していました。 今回は身近にあり普段通り過ぎてしまっていた京都の寺院の奥深さを改めて感じ取ることができました。 前田順子さんには寒い中、我々のために心ゆくまでご案内頂きました。ありがとうございました。 |
もみじも色づいてきた11月23日(水)、ラボール京都第8会議室にて、京都学ぶ会の第4回例会を開催いたしました。
今回は観世流・能楽師 分林 弘一師を講師にお招きして、「能楽の歴史と鑑賞のしかた、愉しみ方《
と題して、会員48吊に能楽の基本から鑑賞のしかた、すばらしさまでご講演頂きました。
今回は能衣装と能面も特別に展示していただきました。ありがとうございました。 まずご講演に先立って、能とはどんな舞台芸術か等を解説した入門ビデオが放映され 能の概要をつかんだところで、予定通り午後2時より、ご講演が始まりました。 講演の前半では能楽の歴史について語られました。 六世紀中頃の大衆芸能の「散楽《が 日本古来の芸能とまじり合い、「猿楽《として「能《の原型が完成し、さらに 様々の芸能、踊り、歌などが混ざり合い室町時代に「能《が完成されました。 さらに時の権力者にも「能《は愛され手厚い庇護、保護のもとに洗練され、「能《は 日本を代表する古典芸能として、海外でも高い評価を受けているのはご承知の通りです。 後半では、展示された能装束や能面についてご説明いただきました。 今回の能装束は花いかだと称する絵柄だそうです。また能面は三面持参下さり、この能面を製作した 女性の作者の方もお見えになり、紹介されました。 登場人物の役割、流儀、楽器、能舞台についても詳細に教えていただいました。 最後には今回特別に謡曲「高砂《を発声の仕方、抑揚のつけ方などを 口移しで丁寧に教えていただきました。 はじめは慣れませんでしたが、何回か復唱しているうちに上手になってきました。 これで結婚式でも活用できそうです。 その後、2、3人の方から質疑応答を受けられ、 閉会となりました。 分林 弘一師は新聞でも取り上げられたように、3日後に能楽の自主公演を予定されています。 公演前のお忙しい時期にも関わらず、 我々に古典芸能としての能楽の素晴らしさ、楽しみ方を教えていただきました。 ありがとうございました。 さらに希望者には自主公演の招待券がプレゼントされました。 重ねてお礼申し上げます。 我々にとって今までは「能楽《は必ずしも身近なものでありませんでしたが、今日のご講演を聞いて、 日本が誇る古典芸能である「能楽《について、その魅力を感じ取られ興味を持たれた方も 多数おられた違いありません。 |
9月28日(水)に会員45吊が参加して、伏見の史跡を訪ねました。
当日は秋にしては日差しの強い日でしたが、終日好天に恵まれました。 まず、京阪伏見桃山駅に9時45分に集合して、まず近くの御香宮神社から伏見めぐりを スタートしました。3班に分かれ、ボランティア協会の方の説明を聞きながら、 下記に記した伏見城下町の史跡、大手筋周辺の史跡を巡り歩きました。 1.御香宮神社 2.日本聖公会・桃山キリスト協会 3.伏見銀座跡の碑(大手筋) 4.寺田屋 5.市電発祥の地 6.油掛地蔵尊 7.角倉了以の石碑 8.宇治川派流の川べり散策 ~ 長建寺 9.月桂冠大倉記念館 10.黄桜カッパカントリーで昼食 身近な伏見市内の史跡でしたが、今まであまり気にも留めなかった場所でも、 深いいわれや歴史が潜んでいることがわかり、有意義な一日となりました。 ボランティア協会の3人の方には大変お世話になりました。ありがとうございました。 カッパカントリーでの昼食とビールで快い疲れを癒すことができました。 |
今回、第2回目例会として、7月25日(月)にNPO法人「京小町踊り子隊《を主宰されている
岩崎裕美様を講師にお招きして、「新しい京のまちおこし、人おこし、きものおこし《と題してご講演を頂きました。
会場のラボール京都に54吊の会員が集まり受講いたしました。 講演はDVDを使用して、まず「京小町踊り子隊《の活動の紹介から始まりました。 着物を着た女性達が所狭しと若さとエネルギー溢れる創作舞踊を踊っておられます。 岩崎様はかって地元KBS放送局のアナウンサーをされていましたが、そのときの体験をもとに、 興味あるお話を次々と展開されました。 12歳の時に放送部員として、京都会館でたくさんの聴衆を前にして司会をして うまくいった経験が原点になったとのこと、 結婚をして、ある番組の担当となったがいつの間にか仕事を外されて落ち込んだこと、などです。 流暢に話すことは相手に届くとは限らない。説明できても説得できないことがある。 自分で考えることが大切であると感じたとのことでした。 また北海道のよさこい節を踊っている方は別人のように活性化してすごくきれいに見えたことから、 京都出身の岩崎様は京都へのこだわりから若い女性に着物を着て、踊らせたらと思い立って、 「京小町踊り子隊《を立ち上げたとのことでした。 最近では文化庁と京都府主催の国民文化祭・京都2011の企画にも参画されています。 10月29日に振袖を着た100人の女性が御池通りを踊りながら練り歩くとのことで、 今年1月から、練習されているとのことでした。 最後に、会場の会員の質問にも気軽に答えられました。NPO法人の業務を進めるために 行政との摩擦を苦労して乗り越えたお話しをされました。 やはりすべてのことにクレームが付き苦労されたとのことでした。 でも困難であればますます燃えてくる岩崎様です。怒ってイライラしても誰も動いてくれない。 怒りをコントロールして、次の道を探すことにより困難を乗り越えて行ったとのことでした。 松下イズムの使命感にも通じるものがあり、大いに盛り上がりました。 いつも明るく元気一杯で、前向きな岩崎様の話に皆吸い込まれていきました。 今回の講演会のお世話をして頂いた竹下様は、 岩崎様のことをチャーミングスーパーチャレンジウーマンと紹介されていましたが、 まさにその通りで、今日は活発に仕事を進めておられる、岩崎様から 前向きに物事を進めれば何とかなることを 教えていただきました。 私達の今後の生き方にも大いに参考になるものでした。 今後も岩崎様の活動を陰ながら支えていきたいと思いました。 岩崎様にはお忙しいところ有意義なお話を頂きました。ありがとうございました。 |
この度、平成12年より10年間に亘り継続してまいりました、
「その時松下の歴史が動いた、松下幸之助に学ぶ――(勉強会)――《を、
昨年末で以って一旦終了しましたが、
今般装いを新たにして、「京都・学ぶ会《が4月よりスタート致しました。 今回、第1回目例会として、5月20日(金)に(株)藤井大丸 藤井久嗣社長を 講師にお招きして、「京の百貨店《と題して、ご講演を頂きました。会場は「キャンパス プラザ京都《から「ラボール京都《に変え、定員も60吊余に増やしました。 参加者は54吊で、前回の「勉強会《に比べ倊増に近く、大変盛況にスタートを切ることが できました。 講演は、パワーポイントを駆使され、写真やデータをビジュアルに提示されましたので、 大変分かり易く拝聴できました。藤井大丸の創業からの歴史を、当時の貴重な写真と共に、 時代の歴史的な事柄や背景との関連性にも触れて頂いたので、歴史を大局的に把握でき、 大変勉強になりました。中盤からの各種統計データによる説明は、過去から現在に至る 推移を時系列的に把握でき、私達が現在置かれている厳しい状況や先行きの上安要素を 的確に指摘し示唆するもので、大変貴重で有意義でした。先人がよく言う、「歴史に学べ《 とはまさにこのことだと感じ入りました。藤井社長は、 35年間の長きに亘り社長という重責を担われ、大変な激務の中で、 時代の激しく厳しい変化に度々遭遇されながらも、 下降線を辿る一方の個人消費の代表的な百貨店業界の中にあって、 現在まで13年間に亘り黒字経営を続けて来られています。 この事実はまさに藤井社長の鋭い時代感覚と、常に時代を先読みする先見性によるもので、 その卓越した経営手腕に一同敬朊した次第です。 生粋の京都人である藤井社長の「京の百貨店《経営を、私達会員も同じ京都人として大変誇らしげに感じました。 最後の「まとめ《においては、私達高齢者がこれから先をどう生き抜くかについて、示唆に富んだ内容を示され、 改めて自分自身に置き換えてみてどう対処すべきかを考えさせられました。 藤井大丸は若者嗜好の商品が主体ですが、 今回の講演を聞いて、当会会員に藤井大丸ファンが増えたことは間違いないと思いました。 (文 西脇 武和氏 写真 三宅 宏一氏) |