松下幸之助創業者は時に大きな決断によって会社の歴史が動き発展しました。 | ||||
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京都支部の同好会「その時松下の歴史が動いた 松下幸之助に学ぶー勉強会ー」は平成12年10月21日に第1回をスタートして、
昨年12月8日に元社長の谷井昭雄氏の講演まで、85回、10年に渡って開催されましたが、このほど、終止符が打たれました。
この間、波多野元三郎さんをはじめとして、世話役の方々のご尽力で、長期にわたり勉強会が続いてきました。ありがとうございました。 ここであらためて、今までの歩みを振り返るとともに、お互いの親睦を確かめ合うことも兼ねて、2月16日(水)に打ち上げの会が開催されました。 会場は残雪が漂う雲ヶ畑の洛雲荘で、35名の方が参加され、盛会となりました。特に女性会員は全員が出席されました。 また、京都の老舗、伝統産業を紹介下さった竹下さんや、京都史跡ボランティア協会を紹介下さった佐藤さんもご出席いただきました。 重ねて、お礼申し上げます。 まず打ち上げパーティの発起人である藤川さんが挨拶され、次に世話役の方々に長年のお世話に感謝して、記念品が贈呈されました。 そして、勉強会の立ち上げ時より中心的にお世話頂いた波多野さんが、今までの勉強会の歩みや思い出を交えて、感慨深く挨拶されました。 次に何度も講師を引き受けていただき、運営を引張って下さった土方さんの音頭により乾杯して、勉強会の打ち上げパーティがスタートしました。 当日は好天気に恵まれましたが、雲ヶ畑周辺は残雪が残り、春にはまだ遠い肌寒い一日でした。 でも、温かいぼたん鍋を囲みながら今までの勉強会の思い出話に花が咲き、各テーブルではいつまでも話が尽きませんでした。 あらためて、波多野さんをはじめお世話いただいた方々に感謝申し上げます。 なお、5月以降に装いを新たにして、新勉強会が発足する予定です。 詳しくは3月の折り込み「京都だより」をご覧ください。 |
紅葉の興奮さめやらぬ12月8日(水)京都東山、高台寺近くの霊山歴史館にて、
谷井昭雄特別顧問(松下電産元社長、霊山顕彰会会長)を講師にお迎えして、
「松下幸之助創業者との出会いから晩年の思い出」と題してご講演いただきました。 本講演は同好会「松下幸之助に学ぶ勉強会」と松愛会京都支部の共催で 80名の方が参加して盛況となりました。 ご講演は、松下創業者の思い出を交えて、世界の中で、日本のあるべき姿などについて 示唆あふれる内容でした。 <要旨> ・日本は40年ごとに大きく変わった。まず日本が開国して 外国から新しいものを取り入れ近代化を進めた。 次の40年は戦争に明け暮れた。そして、廃墟から立ち上がり、 外国から資源を輸入して、良い物を作り、貿易立国として君臨した時期も あった。昭和60年以降はバブルが崩壊して不景気となった。 ・今は世界が変化する中で、日本はもう一度変わらねばならない。 ・電気電気製品ではアメリカに勝ったと思っていたが、今は韓国サムソン、 LGなどが、追い上げてきた。歴史の変化とはこのようなものである。 ・産業革命はヨーロッパから始まり、アメリカ、日本、韓国、中国 そしてインドへ飛び火するであろう。21世紀はアジアの時代である。 ・外国人はドライであるが、日本人はやさしく、相手を 思いやる心を持っている。外国人との違いを認めながらも、 共通する輪をいかに広げていくかが、大きなポイントとなる。 ・日本人としての自覚と権威を持ち直すことが肝要である。 最後に我々退職者に対して、元気が何よりであり、これが若さの秘訣であると 締められました。 谷井様ご自身の経験や、その時々の創業者や先輩経験者との係り合いの エピソードを交えてながらの約1時間15分、お元気な語り口で、 笑いも誘いながらの愉しいご講演でした。ありがとうございました。 会場を退席されるときには、かっての苦楽をともにした会員に 気さくに声をかけておられました。 講演会終了後は幕末維新ミュージアム「霊山歴史館」で、 今話題の坂本龍馬ゆかりの品や解説を展示した「大龍馬展」を それぞれ見学して、往時を偲びました。帰途につくころには夕闇が迫り、 夕日に映えた八坂の塔が印象的でした。 |
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平成22年3月17日(水)枚方の元松下社員研修所内にある光雲荘へ行ってきました。 光雲荘は創業者の私邸として、西宮に建てられたもので、1937年から足掛け3年の歳月をかけて建設されました。 松下家の公私にわたるもてなしの場として、お得意先や賓客の接待に使われました。 2008年(平成20年)、創業90周年を迎え、松下からパナソニックへの社名変更を機に、 光雲荘は西宮市から枚方市の人材開発カンパニーへ移築されました。 現在は創業者の心を感じて学ぶ場として活用されています。 当日は、春めいた暖かい好天に恵まれました。35名が参加しました。久し振りに枚方の元社員研修所にきて、 現役の時、この研修所で研鑽に励んだ日々が懐かしく思い出されました。 光雲荘の門をくぐりぬけるとそこはもう別世界です。 まず、オリエンテーションギャラリーで、人材開発カンパニーの和田守 良之氏からご案内頂きました。 ギャラリーでは貴重な資料が展示されています。次には蔵シアターにて、創業者と光雲荘を描いた「光雲の日々」 を鑑賞しました。また、応接室、食堂、茶ノ間、佛間、大広間などの部屋を見せていただきました。 どれも当時としては最高の贅を尽くしたものです。創業者の300年持つ建物へのこだわりが随所に感じられます。 次に庭園での散策を楽しみました。春の日差しを一杯浴び、光雲荘の建物をのぞみながら、広い庭園を心行くまで 散策して和むことができました。今日は創業者の想いにふれながら、初春の一日を有意義に過ごすことができました。 |
平成21年12月9日(水)京都雲ヶ畑にて「現在の活動の中から日本この手でなんとかする」と
題して、松下政経塾元塾頭の上甲 晃氏から、講演をいただきました。
勉強会のメンバー35名が参加しました。 まず、昼前に植物園に集合して、バスで約30分、雲ヶ畑に着き、山小屋風の林業センターへ集合。 簡単な打ち合わせの後、講演に備えて、昼食をとりました。世話役の方が、雲ヶ畑の地元の野菜を使って、 昼飯を用意していただきました。 大根の煮た物や栗ご飯など、新鮮な野菜でとても美味しくいただけました。 昼からはいよいよ上甲氏の講演会です。創業者の逸話を交え、 ご自身の経験に基づいて、松下政経塾の立上げ時のことや、青年の教育、 これからの日本をどうするのか等について、そして、マザーテレサとの面会など、 示唆に富んだ興味あるお話を聞くことができました。 また、最近は青年塾も立ち上げられ、ますますご活躍されています。 講演時間の3時間はあっと言う間に過ぎました。 辺りはもう暗くなってきました。次は恒例となった 洛雲荘での忘年会です。お昼の講演会とこの1年を振り返りながら ぼたん鍋に舌鼓を打ちました。 師走のあわただしい季節になりましたが、今日はしばし、雲ヶ畑の自然に囲まれた物静かな中でゆっくりと 自分自身を振り返ることができ、充実した一日となりました。 最後になりましたが、私たちのために、忙しいところをお時間を割いて講演いただいた上甲 晃氏に深く感謝申し上げます。 |
平成20年8月24日(日)屋外での勉強会として、京都雲ヶ畑にて史跡めぐりと伝統行事「松上げ」を鑑賞しました。
勉強会のメンバー30名が参加しました。
連日暑い日が続いていましたが、この日は心なしか暑さが和らいで、史跡めぐりには絶好の日となりました。 植物園の北門に2時に集合して、バスに乗って、約30分、雲ヶ畑に着き、山小屋風の林業センターへにて、 お茶を飲みながら、今日一日の予定、史跡めぐりの見所等について打ち合わせました。 ここまで来ると市内より涼しく感じます。 次に林業センターを後にして、鴨川の源流雲ヶ畑川沿いに、芭蕉の句碑のある洞谷寺、後に「松上げ」を鑑賞する高雲寺、 そして厳島神社、惟喬神社と史跡を見ながら、3Km余りを歩き、洛雲荘までたどり着きました。 洛雲荘では、お待ちかねの納涼床料理を楽しみました。歩いて、一汗をかいたあとでしたので、川のせせらぎを聞き ながら飲んだビールと山の幸をふんだんに使った食事がとてもおいしく頂けました。歓談しているうちに 辺りはすっかり暗くなってきました。いよいよ、「松上げ」の送り火が灯る頃です。 「松上げ」を鑑賞するのは、ほとんどの方が初めてのようでした。京都の大文字送り火に よく似た行事で、山上からの送り火を鑑賞するものです。大文字送り火の場合は「大」の字型ですが、「松上げ」 の場合、字型は毎年変わるそうです。今年は「仁」と「川」の字型の送り火を 鑑賞することが出来ました。 点火して、しばらくすると、山から送り火の松明を担いだ若者が、我々のそばを通り過ぎる出し物も楽しめました。 今日は京都の北の端にある雲ヶ畑の史跡めぐりと伝統行事「松上げ」の鑑賞、そして、 川のそばにて涼みながら納涼床料理を味わい、夏の最後を飾る 充実した日となりました。 |
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(ダウーンロードに少し時間がかかります。ファイルサイズは集合写真が約200KB、その他は約50KBです)