○【 京 の 年 中 行 事 】  文  月 (七 月)

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 7月1日(水) 御戸代会(みとしろえ)神事   上賀茂神社 TEL 075-781-0011
   ○御戸代会神事とは、田植えの害虫を駆除する神事です。庁ノ舎では、賀茂御戸代能が18:00
   よりおこなわれます。孝謙天皇の御代に神領地として御戸代田を寄進せられたことに始ります。
   農夫の労をねぎらう意味で田楽・猿楽等が行われたのが始りと言われ、現在では観世流能・
   大蔵流狂言が奉納されています。(有料) 賀茂御戸代能は撮影禁止です。
   当日料金 4,000円(全席自由)、観世流能「羽 衣」奉納 
   二の鳥居から神職が来られ、土屋でお祓いをした後に本殿で神事をおこないます。
   本殿での神事の後、舞殿・本殿・細殿と移動します。

賀茂御戸代能が行われる庁ノ舎

 7月1日(水)〜15日(水) 風 祭 り    千本ゑんま堂 TEL 075-462-3332
   ○ゑんま法王のライトアップと香を楽しむ会(予約)や梶の葉祈願があります。
   最終日には風鈴供養会が営まれます。  料 金 1,000円(中学生以下600円)
千本ゑんま堂の風祭り

 7月1日(水)〜31日(金) 祇園祭    八坂神社 TEL 075-561-6155
   ○コンコンチキチン、コンチキチン…と祇園囃子。7月の京都は祭一色です。
   「祇園祭」は八坂神社のお祭りで、日本三大祭の一つ。その悠久の歴史、豪華さ、祭事が1カ月
   にもわたる規模の大きさで広く知られ、日本の夏の祭りの代表ともいわれています。 起源は、
   およそ1100年前、日本全国の国の数の鉾(ほこ)66本をつくらせ、疫病退散のために祇園御霊会
   を行ったのがはじまりと伝えられています。まさに京都の歴史とともに歩んできました。
   平安時代、全国的に疫病が大流行し、平安京はひどい惨状を見せていました。その原因は、
   この世に恨みを残して死んでいった故人の霊(御霊)の祟りだと信じていたのです。
   人々は神仏に祈り、歌舞音曲や相撲などを奉納してこれを慰めようとしました。こうした祭礼を
   当時の人々は御霊会と呼びました。八坂神社の社伝によると、貞観11(869)年、全国的に
   疫病が蔓延した時、卜部日良麿が勅を奉じて、国の数に準じ66本の鉾を神泉苑にたてて、男児
   が祇園社の神輿を神泉苑に送って、災厄除去の祈願をしたことに由来すると伝わっています。
   7月17日の神幸祭、7月24日の還幸祭のそれぞれに山鉾が出され、これを前祭、後祭と云います。
   昭和41年から7月17日に合同巡行してきましたが、昨夏、後祭が半世紀ぶりに復興し伝統的な
   形に戻りました。有料観覧席券のご案内は「ここを」クリック

   【前 祭】 宵山行事:7月14日〜16日、 山鉾巡行:7月17日、 有料観覧席券有 
   【後 祭】 宵山行事:7月21日〜23日、 山鉾巡行:7月24日、 有料観覧席券有 
歩行者天国     月 鉾(宵山)    山鉾巡行 

 7月1日(水)〜9月23日(水・祝) 嵐山の鵜飼   嵐 山
   ○歌人(在原業平)の歌にも詠まれ、古来より行われていた嵐山の鵜飼は伝統の
   “夏の風物詩”。嵐山に流れる大堰川に船を浮かべ、かがり火の中、古式漁法の鵜飼の見物を
   楽しみます。ゆったりとした屋形船の中で料理をいただく贅沢、そして鵜匠の手綱さばきを
   眺める楽しい一夜です。(8月16日は運休)
   ・期 間 7月1日(火)〜9月23日(水・祝)
   1. 乗合船  ・出船時間:19時、20時(7/1〜8/31) 18時半、19時半(9/1〜9/23)
          ・乗船時間:1時間以内 食事の持ち込み不可
          ・乗船料 :大人 1,800円(浴衣の方は1,600円)、子供(4〜12歳) 900円
   2. 貸切船  ・乗船時間:2時間以内 予約制 食事の持ち込みOK 
          ・料 金 :10人乗り  40,000円 
                 16人乗り  52,000円 
                 20人乗り  70,000円 
   3.宮廷鵜飼(※予約制・当日のみ9時より受付) 
          ・宮廷鵜飼:源氏物語千年紀記念【平安王朝 復元宮廷鵜飼】
          ・出船時間:20時(7/1〜8/31)、19時半(9/1〜9/23) 
          ・乗船時間:1時間以内 食事の持ち込み不可
          ・乗船料 :大人 2,100円、子供(4〜12歳) 1,050円
          ※乗船人員に限りあり、必ず事前に問い合わせること
          ・協 力:京都市観光協会 嵐山保勝会
   4.食事付鵜飼見学船(貸切) 予約申し込みは10名以上で5日前までに
          ・期 間 7月1日〜9月23日  ※8/16は運休です。
          ・料 金 お一人様7,000円(食事、乗船料(鵜飼見物料、税金))飲み物別途(持込み可)
          ・出船時間:20時(7/1〜8/31)、19時半(9/1〜9/23) 
          ・お問い合わせ : 嵐山通船 TEL 075-861-0302 
嵐山の鵜飼の模様

 7月7日(火) 御手洗祭・七夕祭   北野天満宮 TEL 075-461-0005
   ○古楼門前広場では、七夕の踊りなどが行なわれます。(午後1時半〜)。神前には菅原道真公
   遺愛と伝わる「松風の硯」をはじめ、水差しや、昔、短冊の代用品とされた梶の葉、季節の野菜、
   御手洗団子などが供えられます。
北野天満宮の御手洗祭・七夕祭

 7月7日(火) 七夕祭    地主神社 TEL 075-541-2097
   ○地主神社は恋の神様。お祓い紙で作られた「七夕こけし」に自分の名前を書いて笹竹に
   吊るし、良縁達成・恋愛成就を祈願します。 清水寺拝観料300円必要
地主神社は恋の神様・七夕祭

 7月7日(火) 精大明神例祭    白峯神社 TEL 075-441-3810
   ○境内にある地主社には、蹴鞠で大成した飛鳥井家の守護神・精大明神が祀られています。
   当日は、蹴鞠が行なわれ(午後3時半)、七夕小町踊り、織姫舞(午後4時半)が披露されます。
   踊り手の少女達は、元禄時代のきらびやかな衣装を身につけます。
 7月7日(火) 貴船神社の水まつり    貴船神社 TEL 075-741-2016 
   ○祭神が水の神で、水の恵みに感謝して行われるものです。神事の後は献茶会や舞楽の奉納、
   また、魚に手を触れずに調理する生間流の式包丁も披露されます。
   又、7/1(水)〜8/15(土)日没〜午後8時(土、日、祝は午後9時まで)七夕笹飾りライトアップあり。
貴船神社 水まつり 舞踏 

 7月9日(木)〜12日(日) お寺さんの陶器市    千本釈迦堂 TEL 075-461-5973  
   ○陶器法要は10日 14時〜  生活に身近な陶器に感謝し、陶芸界の発展を願う祭事です。
   期間中は20時頃まで境内一帯で陶器市が開催されます。
陶器市開催される千本釈迦堂境内

 7月11日(土) 久多の虫送り    左京区久多  TEL 075-748-2020(左京区役所久多出張所) 
   ○昔からの害虫駆除のやり方で、五穀豊穣と疫病退散を願って、久多の5つの町が合同で
   行います。手に松明を持ち、鉦と太鼓を鳴らしながら、害虫を下流へと追いやります。
   20時頃〜 交通:京都バス「葛川梅ノ木」→徒歩約8km
 7月19日(日) 御田祭    松尾神社 TEL 075-871-5016
   ○お田植祭とも言われ、3人の植女の古式による行事。神前から宮司が早苗を下し植女に授与、
   植女は早稲、中稲、晩稲を手に、壮夫の肩に乗り拝殿を3週します。
   この祭典は、永和2年(1376年)今から約600年前から厄除けと五穀豊穣を祈る祭事として
   行なわれています。
厄除けと五穀豊穣を祈る祭事 

 7月19日(日)〜20日(月・祝) 本宮祭(もとみやさい)   伏見稲荷大社 TEL 075-641-7331
   ○稲荷大社の分霊をお祀りしている全国の崇敬者が本宮の稲荷大社に参拝します。
   21日の宵宮祭では境内や稲荷山にある多数の灯籠に火をともす『万灯の神事』が行われ、
   京都在住の日本画家たちが描いて奉納した行灯画が並び、参拝者の目を引きます。
   提灯で形どった大鳥居が夜空に浮かび、稲荷大社一帯が万灯の渦と化すさまは壮快でもあり、
   怪しくも、郷愁を誘います。
多数の灯籠に火をともす『万灯の神事』

 7月19日(日)〜26日(日) 御手洗祭    下鴨神社 TEL 075-781-0010
   ○土用の丑の日に水に浸り、身体を清める習わしは古代の禊ぎの風習に由来します。
   境内の御手洗池の湧き水に足を膝まで浸しながら献灯し、無病息災を祈ります。
   罪、穢れを払い、安産にも効き目があると言われています。  御灯明料 200円
   同じような風習が、洛西右京太秦の蚕ノ社でも行なわれます。
御手洗祭で賑わう下鴨神社 

 7月20日(月・祝) お 涼 み    城南宮 TEL 075-623-0846
   ○夏の盛り、お涼みを兼ねて宮参りする風習から生まれた行事で、本殿前に榊の氷柱が
   供えられ参拝者はそれを撫ぜて無病息災を祈ります。夕刻〜、祭典は21時頃〜
城南宮の例祭(お 涼 み)

 7月21日(火)・24日(金) きゅうり封じ    神光院  TEL 075-491-4375
   ○きゅうりによる疫病除け祈祷が行なわれます。氏名、年齢、住所、病名を記入した紙にその
   きゅうりを包み、家に持ち帰り、身体の悪いところをなでて庭に埋めると、病気を封じ込める
   といいます。 ご祈祷代 1,500円(きゅうり代込み)
 7月23日(木)・24日(金) きゅうり封じ    五智山蓮華寺 TEL 075-462-5300
   ○きゅうりに氏名、年齢、等を書き込みご祈祷してもらい、体の悪い部分をなで、それを川に
   流すと病気を持ち去ると言います。
   ご祈祷代 1,000円(きゅうり代込み)
 7月24日(金) ほうろく灸祈祷    三宝寺 TEL 075-462-6540
   ○一年のうち一番暑い土用の丑の日に行なう日蓮宗の祈祷です。呪文文を書いた「炮烙」を頭に
   のせ、もぐさを置いて火をつけ木剣にて九字を切り、悪邪霊を除くもので、暑気払い、中風封じなど
   に効くと言われています。他に、きゅうり封呪祈祷、商売繁盛祈願の紫陽花祈祷も行なわれます。
   御祈祷代 ほうろく灸 2,000円、きゅうり封呪 1,000円、紫陽花祈祷 2,000円
ほうろく灸祈祷行われる三宝寺 

 7月25日(土) 鹿ケ谷カボチャ供養    安楽寺 TEL 075-771-5360
   ○夏の土用に鹿ケ谷カボチャを食すれば中風にかからぬとの言い伝えから、参拝者に無料で
   カボチャを接待します。当日は寺宝も一般公開されます。 拝観料 500円
カボチャ供養が行われる安楽寺と鹿ケ谷カボチャ

 7月25日(土) 真如堂寺宝虫払会    真如堂 TEL 075-771-0915
   ○宝蔵に納められている寺宝を本堂で虫干しする行事で、法要と宝物の一般公開が行われます
   『真如堂絵巻』をはじめ寺宝200点は見ものです。暑気払いの「びわ湯」の接待もあります(無料)
   拝観料 500円 雨天中止
 7月26日(日) 辧天祭(べんてんさい)    長建寺 TEL 075-611-1039
   ○古から洛南三奇祭の一つとして名物となっており、この日は、秘仏御本尊の八臂辧財天が
   開扉されます。(志納)
   期間中は辧天囃子と夜店で賑わいます。本祭では紫燈大護摩供修行が行なわれます。
洛南三奇祭の一つ辧天祭 

 7月28日(火) お火渡り祭    狸谷不動院 TEL 075-722-0025
   ○約40名もの山伏が柴灯護摩供の後、素足で火渡りを行い、これに続いて一般参拝者も
   火渡りを行います。山伏の導きがあるので、誰でも安心して参加できます。参加者には夏越の
   お札を授与されます。火渡りは、午後7時頃〜  お火渡りのお札500円。
一般参拝者も火渡りを行います

 7月31日(金)夕刻〜  千日詣り    愛宕神社 TEL 075-861-0658
   ○この日に参拝すると千日分の功徳があるとされ、標高924mの山上の神社を目指す人の列が
   夜通し続きます。特に3歳までに詣でると生涯火難除けになると信じられており、幼児を背負って
   歩く人の姿も多く見られます。1日の午前2時には火除けの神事、神楽の奉納があります。
標高924mの山上の愛宕神社と山伏による夕御饌祭

 7月31日(金) 茅の輪神事    御香宮神社 TEL 075-611-0559
   ○午後3時と11時に、神職が茅の輪をくぐり、続いて参拝客がくぐります。茅萱は家に持ち帰り
   輪にして戸口に吊るしておくと疫病にかからないとされ、また子供の頭に巻くと知恵をいただける
   といわれているところから、茅萱を抜き取る人も後を絶ちません。茅の輪くぐりは終日出来ます。

 
○《特集  祇 園 祭》 コンチキチンの祇園囃子が京の町に夏を告げる
   昨 年 の 夏 よ り 祇 園 祭 が 本 来 の 姿 に !
  “ 49年ぶりに後祭りが復活し150年ぶりに【大船鉾】が巡行 し ま し た " 

写真をクリックすると大きな写真が見られます。(ダウーンロードに少し時間がかかります。)

(30.0K) (30.0K) (26.5K) (31.1K)


 前祭山鉾巡行
順   路


 後祭山鉾・花傘巡行
順   路


 
鷺舞奉納


  
還 幸 祭
       
 
(38.6K) (77.2K) (86.0K)


函 谷 鉾
提灯に灯が入る


山鉾巡行
菊 水 鉾


辻 廻 し
河原町御池
     
(55.0K) (54.4K) (43.0K)


粽どうですか 
月  鉾


 
綾 傘 鉾


辻 廻 し
菊 水 鉾
  《古の伝統を守り町衆が支える風物詩》
   祇園祭は、平安時代の貞観11(869)年、疫病を鎮めるため、京都の神泉苑で「御霊会
   (ごりょうえ)」が行われたのが起源とされている。当初は5〜6メートルの鉾を担いでいたが、
   14世紀には現在のような「山鉾」が登場しました。一時、応仁の乱によって中断を余儀なく
   されたが、町衆に支えられ今日のスタイルに定着していきました。日本三大祭りの一つとして
   知られるほどに隆盛を極めたのは、京の町衆の情熱があってこそです。

   屏風祭 7月14日(火)〜16日(木)山鉾町有志の町家・お店
   「山鉾巡行」は動く美術館とも言われ、この「屏風祭」は静の美術館とも言われています。
   各山鉾町では「屏風祭」をしつらえるお家も少なくなりましたが、続けられているお家は表の格子を外して
   秘蔵している屏風や美術品、調度品などを飾り、祭り見物に来た人々にも、通りから鑑賞してもらえるように
   しています。山鉾町の洗練された伝統を守り、文化を大事にしたいとの思いで行われ、山鉾見物に合わせ
   見逃せない宵山期間中の催しのひとつです。飾られるものに屏風が多いため「屏風祭」と呼ばれています。
   ※屏風祭は祇園祭の公式行事ではなく、一部有料のお家を除き、個人宅や会社が個別に行っているもの
   ですので、お家に迷惑をかけないよう、節度を守ってご鑑賞下さい。

   (1)荒木装束店 烏丸通三条上ル
   (2)釜座町町家 三条通新町西入ル
   (3)伴市 六角通烏丸西入
   (4)木村家 六角通烏丸西入ル
   (5)松坂屋 新町通六角下ル
   (6)野田家 新町通六角下ル
   (7)吉田家 新町通六角下ル
   (8)藤井絞 新町通六角下ル
   (9)安田多 七烏丸通錦小路上ル※15、16日
   (10)平岡旗製造 四条通西洞院東入 ※16日
   (11)やまいち 西洞院通四条下ル ※14−16日
   (12)横山商店 西洞院綾小路南西角(13)青木家 綾小路通西洞院西入※15、16日
   ◎「伯牙山」のお飾り所 杉本家住宅(重要文化財)
                    10時〜21時(14日は16時から) 見学料:1500円
   ◎「船鉾」の前 長江家住宅(京都市指定有形文化財)
                    10時〜20時(14日は13時から) 見学料:700円
   ◎「八幡山」の前 紫織庵(京都市指定有形文化財)
                    10時〜22時(年中見学可 10時〜17時) 見学料:500円
   期間中は、燈籠の灯りなどで演出された京町家の夜の情緒も楽しめます。


山鉾町の旧家秘蔵の屏風などを飾り付けた座敷を開放

   祇園祭 伝統芸能奉納 7月15日(水) 15時〜18時 八坂神社
   「祭」を祝い境内の能舞台で催されます。今様歌舞楽・一絃琴・琵琶・狂言・地唄舞・箏曲・尺八・
   詩吟と多彩な演舞、音色が響きます。

   石見神楽の奉納 7月16日(木)   八坂神社
   素戔嗚尊(スサノオノミコト)は八坂神社の主祭神。国の無形文化財に指定されている「石見神楽」
   が素戔嗚尊の八俣大蛇(やまたのおろち)退治(神話)を笛・太鼓・鉦の賑やかな囃で演じて
   くれます。勇壮かつ芸術性豊かな神楽です。

   《古都情緒に酔う宵山と風雅絢爛な山鉾巡行》
   宵山は賑やかな祇園囃子の中、ちょうちんの灯りに照らし出される山鉾が風情たっぷりです。
   そして長刀鉾を先頭に、32基の山や鉾が京の街中を優雅に巡行する「山鉾巡行」では、竹を
   使って山鉾の方向を変える豪快な「辻回し」が見所となります。この他、7月1日から1ヶ月に
   わたって神事・行事が行われ京の町は祇園祭一色となります。

   前祭 宵山  宵々々山/14日(火)・宵々山/15日(水)・宵山/16日(木)
   後祭 宵山  宵々々山/21日(火)・宵々山/22日(水)・宵山/23日(木)

   山鉾巡行が祭の昼のハイライトならば、宵山はまさに夜のハイライト。夕刻から四条通などは歩行
   者天国となり、道路は人の波。各山鉾町では、山や鉾を豪華に飾り付け、駒形提灯に明かりがと
   もされます。通りには屋台も連なり、笛や鉦で祇園囃子が奏でられ、「祇園祭」の風情は最高潮の
   時を迎えます。宵々々山(14日)頃だと比較的ゆっくりと日暮れのムードが味わえます。長刀鉾・
   月鉾・函谷鉾など代表的な鉾の並ぶ四条通へは日暮れ前に訪れ、じっくりと観賞してみるのもい
   いでしょう。また、四条通と室町通が交差するあたりは「鉾の辻」と呼ばれ、四方向に鉾が見渡
   せるビューポイントとして要チェックです。今年初めて姿を見せる大船鉾は有料で鉾上での参観ができる。
   ちまきや縁起物を求めると鉾にのぼらせてもらえるのは月鉾・菊水鉾などです。23日午後10時
   頃、南観音山では、観音像をかついで町内を回る、迫力ある「あばれ観音」が行われます。

   豪華絢爛!豪快な「辻廻し」前祭 山鉾巡行 17日(金)四条烏丸 巡行スタート9時

   五階建てのビルの高さほどもある山鉾が通りをゆく巡行は、まさに祭のハイライト。山鉾は午前
   9時、四条烏丸を出発。巡行順を確認する「くじ改め」のあと、先頭をゆく長刀鉾(なぎなたぼこ)
   の稚児が注連縄を太刀で切り落とす「注連縄(しめなわ)切り」で巡行の幕が上がります。豪快な
   「辻廻し」(方向転換)は河原町四条、河原町御池、御池新町にて行われます。数々の見せ場を
   つくり、コンチキチンの祇園囃子が夏空に響き、山あり、鉾あり…と続き、眺めも壮観。豪華絢爛、
   動く「美術館」の一大ページェントが繰り広げられます。御池通には全席指定の有料観覧席が
   設けられます

   【大船鉾】幕末以来巡行に復帰! 後祭 山鉾巡行 24日(金)烏丸御池 巡行スタート9時30分
   山鉾は午前9時30分、烏丸御池を出発。市役所前で巡行順を確認する「くじ改め」のあと、
   橋弁慶山を先頭に10基の山鉾が巡行します。最後は平成26年より完全復興の大船鉾です。
   豪快な「辻廻し」(方向転換)は河原町御池、河原町四条、御池新町にて行われます。
   コンチキチンの祇園囃子が夏空に響き、山あり、鉾あり…と続き、眺めも壮観。豪華絢爛、
   動く「美術館」の一大ページェントが繰り広げられます。御池通には全席指定の有料観覧席が
   設けられます

   《熱気みなぎる神輿渡御に花傘巡行》
   神幸祭・還幸祭 7月17日(金)・24日(金)八坂神社・御旅所
   17日に八坂神社の神霊が遷された三基の神輿が、四条寺町の御旅所まで渡御します。午後6時
   頃、ご神宝捧持の行列を先頭に発輿。24日には神輿が八坂神社へと戻ります。午後9時頃から
   順次、神社へ到着した神輿は、拝殿を右回りに3周し、神輿を拝殿に上げ、神霊遷しをします。


神幸祭でにぎわう八坂神社前

   花傘巡行  7月24日(金)午前10時〜  八坂神社
   祇園祭には後祭りがあり、山鉾巡行が行われていましたが、前祭に統合されたために還幸祭に
   伴う行事として昭和41年に始まりました。後祭りが復活した今年から後祭り山鉾巡行に続いて巡行
   します。花傘は、山鉾の古い形態を現代に再現したものです。巡行には四つの花街の綺麗どころを
   はじめ、六斎、祇園囃子の曳山や、傘鉾10基余など総勢千人の行列が京の町を練り歩きます。
   【巡行順路】
   祇園石段下(八坂神社) → 四条寺町 → 寺町御池 → 御池通 → 河原町御池 → 
   河原町通 → 四条河原町 → 八坂神社 

    
花傘巡行・花傘は、山鉾の古い形態を現代に再現したもの

   第31回 祇園祭いけばな展 7月15日(水)〜17日(金)
                        四条通・祇園石段下〜四条烏丸有志各お店のショーウィンドウ
   祇園祭で賑わう四条通。和風、洋風さまざまな各お店、それぞれの店舗のショーウィンドウの
   雰囲気に合致した「いけばな作品」が展示されます。
   お問い合わせ:京都いけばな協会事務局 TEL 075-761-8166 


   『 エ コ 屋 台 村 』の開設  前祭 7月15日(水)〜16日(木)
                         後祭 7月21日(火)〜23日(木)
   リユース食器を用いた【エコー屋台村】を鉾町近辺に開設し、環境配慮型店舗の発信をします。
   〇京の地ビール、地酒コーナー 〇人気レストランによる今日の食材にこだわった料理・スイーツコーナー
   〇【エコー屋台村】巡りスタンプラリー(すべての【エコー屋台村】を巡られた方に、先着で景品進呈)
   〇環境メッセージの発信 ・こどもエコー遊び広場 ・環境に関するゲームコーナーなど
   お問い合わせ:ごみ減量推進課 TEL 075-231-4930 


  《祇園祭 催事カレンダー》
   祇園祭は1ヶ月間 : 7月1日〜31日 (内容は予定です)
日  時 行  事 場 所 および 内 容
 1〜5日  吉符入り  各山鉾町
神事始めの意味で、祭の打合せ等が行われます。
会所内には鉾の御神体が祀られます。
 1日  長刀鉾町お千度  10時 八坂神社
長刀鉾町の町内一同がその年に選ばれた長刀鉾の稚児が禿とともに八坂神社に参拝、神事の無事を祈ります。
 2日  くじ取り式  市役所議事堂
各山鉾町代表者が集まり、くじを引いて山鉾の巡行の順番を決めます。
 2日  山鉾連合会社参  11時30分 八坂神社
巡行の順番を決めるくじ取り式の後、八坂神社に祭礼の無事を祈願。
 10日  お迎提灯  16時30分〜21時
神輿洗の神輿を迎えるために提灯を立てた行列が八坂神社より繰り出します。子供達が鷺踊や小町踊を披露。
 10日  神輿洗  20時〜20時半 四条大橋
神輿三基を舞殿に据えた後、その内一基(中御座)の前後を松明で照らしながら四条大橋まで担ぎ、神輿を清める儀式を行ないます。
20時30分頃八坂神社に戻り、17日の神輿渡御にそなえ三基の神輿を飾り付けます。
 10日〜14日  前祭 鉾建(10日〜11日)
     山建(12日〜14日)
 各山鉾町
この日から、鉾の組立が各鉾町で始まります。釘1本使わず、全て縄がらみの伝統技法で組み立てられるのは見事で、見ものの一つでもあります
 12〜13日  前 祭
  鉾曳初め・山曳初め
 各山鉾町
山鉾の組立が完了すると、鉾は祇園囃子を奏でながら、町内の試し曳きが始まり、山も町内の人々によりかつがれます。一般の人も山鉾によっては自由に参加できます
 13日  稚児社参  11時 八坂神社
長刀鉾稚児が騎馬にて八坂神社に詣で「お位」をもらい神使いとなります。以後稚児は、17日の巡行まで身を慎み、巡行時は長刀鉾正面に乗り、太平の舞を舞います。
 13日  久世駒形稚児社参  14時 八坂神社
17日の神幸祭、24日の還幸祭に供奉をする久世稚児(駒形稚児)の社参が行われます。
 14〜16日  前 祭
  宵山(宵々山)
 各山鉾町
山鉾に吊られた駒形提灯に火が入り、祇園囃子の音と共に祭りを盛り上げます。例年たくさんの人々で賑わい、
祭りの風情最高潮に…! 記事参照
 14〜16日  前 祭
  屏風祭
 各山鉾町の町屋では格子をはずし、通りから見えるようにして家宝の屏風、道具を飾ります。※各所により日程が異なる。
また主催者の都合により予定・内容が変更される場合があります。 一部有料  記事参照
 15日  伝統芸能奉納  15時〜18時 八坂神社能舞台
今様等多彩な各種伝統芸能が奉納されます。 記事参照
 16日  献茶祭  9時 八坂神社
表千家家元千宗左宗匠と、裏千家家元千宗室宗匠とが隔年の奉仕。  拝服席及び、副席が設けられます。
 16日  石見神楽の奉納  19時〜 八坂神社
スサノヲノミコトのヤマタノオロチ退治を、笛・太鼓・鉦の賑やかな囃子で演じます。 勇壮且つ、芸術性豊かな神楽が奉納されます。 記事参照
 16日  前祭 日和神楽  23時〜 山鉾町〜四条御旅所
山鉾町から四条寺町の御旅所へ、お囃子を奏でながら往復し、翌17日の晴天を祈ります。
 17日  前祭 山鉾巡行  9時〜 巡行経路 
 四条烏丸〜四条河原町〜市役所〜烏丸御池〜新町御池
祇園祭の最大の見所。長刀鉾を先頭に23基の山鉾が京都の中心部を巡行します。 記事参照
 17日  神幸祭  16時 八坂神社→四条御旅所
記事参照
 17日  神輿渡御出発式  18時 八坂神社→ 氏子区内→ 四条御旅所
八坂神社の三基の神輿が氏子区内を御旅所まで巡行。「おみこっさん」として人々に人気があり賑わいます。
 17日〜23日  無言参り  御旅所 
無言で7日7晩、御旅所に詣でると願いが叶うといわれています。
 18日〜21日  後祭 山鉾建  後祭 各山鉾町
この日から、後祭10基の山鉾の組立が各鉾町で始まります。釘1本使わず、全て縄がらみの伝統技法で組み立てられるのは見事で、見ものの一つでもあります
 21日〜23日  後祭 宵 山  後祭 各山鉾町
四条通の歩行者天国はありません。露店の出店は無い予定です。
 23日  煎茶献茶祭  9時 八坂神社
在洛の煎茶道家元の輪番奉仕により行われます。
 23日   琵琶奉納  15時 八坂神社
琵琶協会の人々により、琵琶の奉納等が行われます。
 24日  後祭 山鉾巡行  9時30分〜 巡行経路 
 烏丸御池→市役所→河原町御池→四条河原町→四条烏丸
橋弁慶山を先頭に10基の山鉾が巡行します。最後は平成26年より完全復興の大船鉾です。
 24日  花傘巡行  10時〜12時 巡行経路 
 石段下→四条寺町→寺町御池→河原町御池→四条河原町→八坂神社
傘鉾十余基、馬長稚児、児武者等が石段下を出発し、列を整え所定のコースを練り歩きます。 八坂神社到着後(12時頃)舞踊等の奉納を行ないます。 記事参照
 24日  還幸祭  17時頃〜23時 四条御旅所 → 八坂神社
四条御旅所を三基の神輿が出発、市中を巡り八坂神社に戻ります。 その後御供社にて祭典を行い、御神霊を本社へ還します。
記事参照
 25日  狂言奉納  13時〜 八坂神社能舞台
茂山忠三郎社中により行われます
 28日  神輿洗  20時 四条大橋
10日の神輿洗と同様に、神輿を清めた後、格納されます。
 29日  神事済奉告祭  16時 八坂神社
祇園祭の終了を奉告。
 31日  疫神社・夏越祭  10時 疫神社(八坂神社内)
鳥居に大茅輪が設けられ、これをくぐって厄を祓います。
 
 
 《 平成27年の山鉾巡行の順番は7月2日に決まりました。》

  7月2日、京都市議会議場で祇園祭の【くじ取り式】があり17日の前祭23基と24日の後祭
  10基の山鉾巡行の順番が決まります。争いを避けるため1500年(明応9年)に始まった行事。
  前祭の長刀鉾に続く「山一番」に、今年は「孟宗山(もうそう山)」が5年ぶりに引き当てました。
  10基で行われる後祭りの橋弁慶山、北観音山に続く、「山一番」を今年 山の木組みを新調した
  「役行者山」が引き当てました。…なお、昨年より『大船鉾』が幕末以来150年ぶりに「くじ取らず」で
  後祭のしんがりで巡行に復帰を果たしております。
  今年の巡行列の順位は次の通りです。(☆印は、慣例で順番が固定している「くじ取らず」)

 《 今年の 前 祭 7月17日巡行「23基」の順位 》  時計とは逆回りの巡行
1  ☆長刀鉾 2  孟宗山 3  芦刈山 4  伯牙山 5  ☆函谷鉾
6  油天神山 7  四条傘鉾 8  占出山 9  月 鉾 10  蟷螂山
11  木賊山 12  山伏山 13  菊水鉾 14  郭巨山 15  綾傘鉾
16  太子山 17  鶏 鉾 18  白楽天山 19  保昌山 20  霰天神山
21  ☆放下鉾 22  ☆岩戸山 23  ☆船 鉾        
 《 今年の 後 祭 7月24日巡行「10基」の順位 》   時計回りの巡行
1  ☆橋弁慶山 2  ☆北観音山 3  役行者山 4  八幡山 5  鈴鹿山
6  ☆南観音山 7  鯉 山 8  黒主山 9  浄妙山 10  ☆大船鉾
   
 
  《 祇園祭 33基の山鉾の紹介 》 

  【 前 祭 7月17日巡行の山鉾23基の紹介 》 

  1《 山 伏 (やまぶし) 山 》   京都市中京区室町通蛸薬師下ル山伏山町
   山に飾る御神体が山伏の姿をしているので、この名前がある。前(さき)の祭りでは一番北の山。
   役行者山と同様、当時民間信仰として人気のあった修験道・山伏から着想された。正面の
   水引は、雲中の竜、青海波と麒麟を精緻な刺しゅうで描いた中国からもたらされた豪華なもの。
   見送りも中国・明時代のものとされる。宵山で聖護院の山伏による巡拝がある
  2《 占 出 (うらで) 山 》   京都市中京区錦小路通室町東入占出山町
   釣り竿を持った人形は、神功皇后の姿をかたどっている。九州・肥前の川で、鮎を釣って戦勝を
   占った伝説が由来。この山には「あいわい山」の別名が明治まで語られていたが、町衆に
   人気のあった山であったことをうかがわせる。色鮮やかな日本三景を描いた胴掛けが特徴。
   宵山で安産のお守りと腹帯を授与する
  3《 霰 天 神 (あられてんじん) 山 》   京都市中京区錦小路通室町西入天神山町
   永正年間、京都が大火にあった際、急に霰が降り、たちまち猛火は鎮火したが、霰とともに
   小さな天神像が降りてきた。そんな由来から、火よけの神様として祀られたのがおこり。
   霊験はあらたかで、多くの山鉾が焼けた天明、元治の大火にもこの山だけは残り、町の誇りに
   なっている。「雷(らい)よけ火よけのお守は、これより出ます…」。宵山に子供たちが
   歌いながらお守授与の受け付けをする。檜皮葺きの立派な社殿が山に乗る。
  4《 孟 宗 (もうそう) 山 》   京都市中京区烏丸通四条上ル笋町
   中国・24孝の1人、孟宗は、母親が病気になったため、好物の筍を求めて竹林を歩き回ったが、
   寒の季節で1本もない。疲れて座り込んでしまったとき、筍が出、母親は元気を回復した話
   からきている。町名が笋(たかんな=たけのこの意味)町というのもこれに由来する。
   白綴地に雄渾な筆致で孟宗竹林が描かれた見送りは、竹内栖鳳の筆。
   極彩 色が多い山鉾のなかで、墨一色が異彩を放っている。
  5《 菊 水 (きくすい) 鉾 》   京都市中京区室町通四条上ル菊水鉾町
   町内の井戸・菊水井にちなむ。稚児人形は「枕慈童」。魏の文帝の勅使が薬水を訪ねて山に
   入ったところ少年に出会う。聞けば、少年は 700年前に、王の枕を誤ってまたいだのが原因で
   都を追われた。以後、普門品の偈を甘菊の葉に記しておいたところ露が滴り、この水を飲んで
   不老長生したという。慈童は、この薬水を勅使に献じた。
   昭和28年に復興。鉾頭には天に向いた16菊。この鉾に限り「菊水」と篆書が掘り出した額がつく。
  6《 放 下 (ほうか) 鉾 》   京都市中京区新町通四条上小結棚町
   鉾の名は真木のなかほどの「天王座」に放下僧の像を祀るのに由来する。鉾頭は日・月・星
   三光が下界を照らす形を示し、その型が洲浜に似ているので別名「すはま鉾」とも呼ばれる。
   かつては長刀鉾と同様「生稚児」であったが、昭和4年以降稚児人形にかえられている。
   稚児人形は久邇宮多嘉王殿下より三光丸と命名せられ、巡行の折には稚児と同様、鉾の上で
   操りで稚児舞いができるように作られている。
  7《 蟷 螂 (とうろう) 山 》   京都市中京区西洞院通四条上ル蟷螂山町
   かまきり山、とも。文字どおりカマキリが屋根の上に乗り、子供たちも喜びそうな楽しい趣向だ。
   「蟷螂の斧」とは、自分の力のほどをわきまえず、大敵に立ち向かうことだが、その勇猛さを
   賞した中国の君子の故事が出典。町内の事情で、明治初め以降巡行をやめたが復帰した。
   山鉾の中で唯一からくりが施されている
  8《 長 刀 (なぎなた) 鉾 》   京都市下京区四条通烏丸東入長刀鉾町
    「くじとらず」の名があるように、山鉾巡行の先頭を受け持つ鉾。命名は、鉾のてっぺんを
    飾った三条小鍛冶宗近作の大長刀による。宗近が娘の病気平癒を祈願して八坂神社に
    奉納したが、鎌倉期にある武人が愛用。しかし何かと不思議が起こり、返納したという。
    大永2(1522)年、疫病がはやり、神託で長刀鉾町で飾ったところ、疫病は退散した。
    創建は、嘉吉元年(1441)説がある。真木は全長20メートル。
    現在、稚児が乗る唯一の鉾である。
  9《 函 谷 (かんこ) 鉾 》   京都市下京区四条通烏丸西入函谷鉾町
    中国古代史話、孟嘗君の故事に基づく。戦国時代、斉の孟嘗君は秦の昭王に招かれ、宰相に
    重用された。しかし讒言によって咸陽を脱出して、函谷関まで逃げたが、関の門は鶏が
    鳴かねば開かない。配下が鶏の鳴き声をまねたところ、あたりの鶏が和して刻をつくったので
    見事通り抜けたという。真木は22メートル。鉾頭に、三角形の白麻を張り、先頭に三日月が
    上向きにとりつけられる。稚児人形「嘉多丸」が乗る
 10《 月 (つき) 鉾 》   京都市下京区四条通室町西入月鉾町
    『古事記』によれば、伊弉諾尊が黄泉の国から戻り、禊祓いをされたとき、左眼を洗って
    天照大神、右眼を洗って月読尊、このあと、鼻を洗って素戔鳴尊を生んだ。月読尊は夜を
    支配した神だが、水徳の神でもあり、月鉾は、この故事に由来する。鉾頭に、横40センチ、
    上下24センチの金色の三日月。真木の中ほどに天王様を飾った天王台の下には籠製の船が
    真木を貫いてとり付けられる。 元治元年の大火にもわずかに真木を失っただけだった。
    装飾が見事で「動く美術館」とも言う
 11《 郭 巨 (かっきょ) 山 》   京都市下京区四条通西洞院東入郭巨山町
    山には屋根がないのが普通だが、この山は日覆障子を乗せている。金地彩色法相華文の板絵
    として他の山にない古い形式を残している。名前の由来は、中国の史話にある貧しくて母と子
    を養えない郭巨が、思い余って子を山に捨てようしたとき、土の中から金の釜が現れ、母に
    孝養を尽くした話による。人形は、鍬を持つ郭巨と紅白の牡丹の花を持つ童子の2体。
    別名「釜掘り山」とも言う。屋根のある山はこれだけ。
 12《 四 条 傘 (しじょうかさ) 鉾 》   京都市下京区四条通西洞院西入傘鉾町
    1987年、実に117年ぶりに巡行に復帰した。元治の兵火のあとも巡行に加わっていたが、
    明治5年以降、消滅同然となり、道具類も散逸していた。綾傘同様、壬生六斎の棒振り、
    囃子での協力が復活に力になった。祇園唐草模様の大傘に錦の垂(さがり)で飾った花傘は
    応仁いらいの傘鉾の原形を伝える。赤熊(しゃぐま)鬼面 の棒振り、踊り手、囃し方が
    歩くさまは地味だが、素朴な味わいがある。
 13《 鶏 (にわとり) 鉾 》   京都市下京区室町通四条下ル鶏鉾町
    中国古代の伝説「諫鼓」、天の岩戸の永世の長鳴鳥の故事にちなむとも。「諫鼓」は、暦を
    制定した伝説の聖天子・尭帝が、宮廷の外に太鼓をすえ、政治に不満があればたたかせ、
    木を立てて、訴えを書かした。世は治まり、太鼓は苔を生じて鶏が巣をつくったという。鉾頭は、
    紅白を互い違いに巻いた三角枠で、なかに同の円板が挟まれる。3つの角には紺いろの
    苧束の房がつけられる。中ほどに舟を担いだ人形が飾られる。
    見送りは16世紀ごろベルギーで製作。アキレスと一騎打ちをするトロイのヘクトルが妻子に
    別れを告げる図。国の重要文化財
 14《 綾 傘 (あやがさ) 鉾 》   京都市下京区綾小路通新町東入善長寺町
    徒歩の傘鉾として応仁の乱以前のふるい鉾だが、元治元年に焼けて以来、明治10年代に
    一時復活したもののふたたび中断。ようやく昭和54年、巡行を再開した。形の上でも変転
    を繰り返す。江戸期、どうした理由からか、徒歩から引き鉾に変化、御所車風の屋根に風流傘
    が乗る古図が残る。明治の復活では再び徒歩に。鬼形の踊り手を中心に、棒振り、鉦、太鼓の
    囃し方が行列する。宵山や巡行で披露する棒振り囃子は、一見の価値あり
 15《 伯 牙 (はくが) 山 》   京都市下京区綾小路通新町西入矢田町
    戦後に町会所が無くなったため、綾小路に面した旧家・杉本家の表の間の格子を外し、
    お飾り場にしている。琴をまえに、斧をもった人形は、中国・晋時代の琴の名手・伯牙。
    怒りの目、紅潮した両頬は、友人の訃報を聞き、悲しみに打ち震えながら、まさに琴を
    打ち破らんとしている様を表す。明治になり多くの山が名前を改めさせられているが、
    この山も「琴破(ことわり)山」から改称した記録がある
 16《 芦 刈 (あしかり) 山 》   京都市下京区綾小路通西洞院西入芦刈山町
    御神体(人形)、衣装ともに山鉾のなかでも屈指の古さを誇る。人形のかしらには、天文6年
    の銘が、また、小袖は 16世紀の作とみられ、重要文化財に指定されている。尤も、現在の
    衣装は最近の作。謡曲「芦刈」は、摂津の国・難波にすむ夫婦は貧乏が原因で別れ、妻は都へ
    出て宮仕えする。が、夫が気掛かりで探したところ、落ちぶれて芦を売る夫を見つける、
    と言う話。山の正面 、側面に芦の造花が飾られる。「大和物語」が原点の謡曲『芦刈』より取材
 17《 白 楽 天 (はくらくてん) 山 》   京都市下京区室町通綾小路下ル白楽天山町
    2体の人形の唐冠を付けたほうが白楽天、帽子(もうす)をかむった僧形が道林禅師の像。
    長恨歌などの名詩で有名な中国・唐の詩人、白楽天が道林禅師に仏法の大意を問いかけて
    いるシーンを表している。この山も過酷な運命をたどっている。天明、元治の大火で胴組や
    人形の胴を失い、そのたびに巡行中断と復元を繰り返している。真松は最も高い
 18《 船 (ふね) 鉾 》   京都市下京区新町通綾小路下ル船鉾町
    『日本書紀』の神功皇后の新羅出船に由来する。屋形内に飾られた神功皇后の人形は、
    面を着け、頭に天冠を頂き紺金襴の大袖に緋の大口、緋縅の大鎧を付けている。応仁天皇
    を生んだゆかりから、御神体に、晒を巻いて置き、巡行後に安産祈願の御腹帯として
    授与する習慣がある。現在の船鉾は、宝暦年間に計画され、天保年間に完成。船頭に
    「鷁(げき)」と呼ばれる想像上の瑞鳥を飾る。高さ1.3メートル、両翼端2.7メートル。
 19《 木 賊 (とくさ) 山 》   京都市下京区仏光寺通西洞院西入木賊山町
    京都市下京区仏光寺通西洞院西入ル木賊山町の山。世阿弥の謡曲「木賊」から着想され、
    木賊刈りの老翁が別れた愛児を思いながら舞う場面を表現している。等身大の老翁像は
    足台に元禄5年(1692)の墨書があり、右手にかま、左手に木賊を持つ。ご神体の翁は逸品
 20《 油 天 神 (あぶらてんじん) 山 》   京都市下京区油小路通綾小路下ル風早町
    町名(風早町)の由来であるお公家さん・風早家の屋敷があり、この屋敷に祀られていた
    天神=菅原道真を祀ったという言い伝えがある。山は、立派な朱塗りの鳥居が特徴だ。
    天神さんと関係深いのが梅の花。松と一緒に立てられた紅梅が、華やかな雰囲気をかもしだす。
    見送りの毛綴(けつづれ)が名高いが、山所在地近くで生まれた故梅原龍三郎画伯の富士山の
    絵をもとにした綴になっている。歓請の日が丑の日にあたっていたことから「牛天神山」とも言う
 21《 保 昌 (ほうしょう) 山 》   京都市下京区東洞院通松原上ル燈籠町
    旧名に「花ぬす人山」という。平井保昌は藤原大納言方の孫で、致方の子で武勇にすぐれ、
    和歌も堪(たん)能であった。妻は、和泉式部。恋した女官から紫宸殿前の梅を手折って
    ほしいと頼まれた保昌が首尾よく一枝を得た。しかし北面の武士に発見され、射かけられた
    矢が頭をかすめ、保昌はほうほうの態で逃げ帰ったという。
    ご神体が持つ紅梅は盗難除け、縁談成就のお守りとされ宵山で授与される
 22《 岩 戸 (いわと) 山 》   京都市下京区新町通仏光寺下ル岩戸山町
    『古事記』『日本書紀』に記される「国生み」と「天の岩戸」の神話を故事にもつ、曳き山。
    「天の岩戸」は、素戔鳴尊の乱暴に天照大神が岩戸に隠れられたため、天地は常闇となり、
    八百万神は安の河原に集まって対策を練り、常世の国の尾鳴鳥を鳴かせ、鏡を鋳造し、
    500個の勾玉をつくり、天香山の榊を立て、天鈿女命が舞った伝承である。
    屋形内に、伊弉諾尊、天照大神、手力男命の3体の人形が飾られる。
 23《 太 子(たいし) 山 》   京都市下京区油小路通仏光寺下ル太子山町
    山鉾の真木は松が通例だが、この山のみ杉を立てる。聖徳太子が四天王寺を建立するさい、
    自らが良材を求め山に入り、老人に大杉の霊木を教えられ、六角堂をたてたことに由来する。
    太子は、日本の仏教の基を築いたことで知られ、宗派をこえての「太子信仰」が民衆の間に広く
    あった。山に飾る太子像は、江戸時代の作。トレードマークの鬟(みずら)に髪を結び、ふっくら
    した顔だち、白二重小袖姿で、高貴な印象をたたえる。知恵を授かる「杉守り」「知恵のお守り」
    が授与される

  【 後 祭 7月24日巡行の山鉾10基の紹介 》 

  1《 鈴 鹿 (すずか) 山 》   京都市中京区烏丸通三条上ル場之町
   鈴鹿山は、旧東海道の難所・鈴鹿峠をいう。畿内と東国を結ぶ要衝として、歴史上のエピソ
   ードも多い。商人を狙う盗賊が多かったことが、鬼が出る、に転化したようだ。この山の神・
   鈴鹿明神(瀬織津姫命)の伝説も鬼退治のおはなし。大なぎなたを手に、立て烏帽子の女神の
   姿がりりしいご神体は瀬織津姫命。面をつけ顔は見えないが山鉾一の美女
  2《 役 行 者 (えんのぎょうじゃ) 山 》   京都市中京区室町通三条上ル役行者町
   鈴鹿山と共に山鉾町最北の山。役行者(えんのぎょうじゃ)は自ら修行するだけでなく、庶民
   の中に入って医療などにつとめた僧。古くから民衆に人気があった。人形3体はその役行者を
   真中に、鬼の顔の一言主神、葛城女神。三者の関係はさだかではないが、役行者が大峰山と
   葛城山のあいだに橋を架けようとして、鬼を使ったとの伝説によるらしい。
   人形が多いだけ山のサイズも最大級。
  3《 黒 主 (くろぬし) 山 》   京都市中京区室町通三条下ル烏帽子屋町
   油天神山が梅なら、こちらは桜を松と共に飾り、華やいだ雰囲気をかもす。謡曲「志賀」のなかで、
   六歌仙の1人、大友黒主が志賀の桜を眺めるさまをテーマにしている。杖をつき、白髪の
   髷(まげ)の翁の人形は、いかにも品格がある。失火で町家(ちょういえ)を失ったのを機に、
   5階建てビルにし、祭りのときだけ町会所にするのは時代を先取したと話題になった。
   山を飾る桜の造花は、家に悪事を入れないお守になる。
  4《 八 幡 (はちまん) 山 》   京都市中京区新町通三条下ル三条町
   八坂さんの祭りに石清水八幡をまつるのは不思議だが、当時それだけ八幡さんが信仰され
   ていたあかしだろう。社殿は江戸時代後期天明年間の作と伝えられる総金箔押しの華麗なもの。
   前面の鳥居の笠木のうえに、向かい合って八幡さんのシンボルの鳩が2羽、止まっているのが
   愛らしい。宵山で夜泣き封じの鳩鈴と鳩笛を授与
  5《 淨 妙 (じょうみょう) 山 》   京都市中京区六角通烏丸西入骨屋町
   橋弁慶山に似て、アクロバティックな人形の姿が人目を引く。宇治橋の上、宇治川の合戦。
   一来法師が三井寺の僧兵・浄妙の頭上を飛び越して先陣をとった故事にちなむ。揺れる山の
   上で人形の上にさらに1体を乗せるのは強度の点で難しいが、1本の木で上下を繋ぐアイデアは
   素晴らしい。上下の人形を、上さま、下さまと呼ぶのもゆかしい。
   浄妙のよろいは室町時代のもので、重要文化財。橋げたにも数本の矢が刺さる
  6《 鯉 (こい) 山 》   京都市中京区室町通六角下ル鯉山町
   前掛けや見送りは16世紀のベルギー製のタペストリーで、重要文化財に指定されている。
   ギリシャの叙事詩に題材をとって人物や風景が描かれており、山鉾きっての貴重なものだ。
   人物でなく、魚をテーマにするのは山のなかで唯一。龍門の滝をのぼる鯉は龍になるとの言い
   伝えで、木製の鯉が勢い良く水しぶきを上げる様は勇壮。鯉の彫刻は左甚五郎の作といわれる
  7《 北 観 音 (きたかんのん) 山 》   京都市中京区新町通六角下ル六角町
   北観音山 応仁の乱の時代から隣町の南観音山と、1年おきの交代で山を出していたと
   いわれる。隔年にでるというのは例がなく、この両山だけ。もとはかき山だったが、後に
   曳き山になった。楊柳観音像と韋駄天立像を安置する。鉾ではないので真木の代わりに
   真松を立てる。松は、毎年鳴滝から届けられ、籤で所有を決めている。史料には「左三の枝
   に尾長鳥あり」とあるが、いまは鳩が留まる。北観音山に、尾長鳥が留まっている。
  8《 橋 弁 慶 (はしべんけい) 山 》   京都市中京区蛸薬師通室町東入橋弁慶町
   山の御神体がなにを表すかは一目瞭然。五条の橋の上、牛若丸が軽々とぎぼしの上に飛び
   上がり、弁慶が薙刀を構えるシーン。足駄の前歯だけで人形の体を支えるこの躍動感は、
   とても500年も前の造形とは思えない素晴らしさだ。かき山として唯一くじ取らずであったことや、
   山籠、真松もない形式からも、山の中では屈指の古いものであることが分かる。
  9《 南 観 音 (みなみかんのん) 山 》   京都市中京区新町通錦小路上ル百足屋町
   俗に「北観音山の観音様は男だが、南観音山は女性なので、南では宵山の夜更けに翌日の
   巡行の無事を祈って“あばれ観音"の行をされる」といういい伝えがあり、「あばれ観音」
   の別名がある。楊柳観音像と善財童子像を安置する。楊柳観音は、三十三観音の筆頭とされ、
   姿を変えて、手に柳を持ち薬師観音と同様に衆生の苦難を救う。
   この山の楊柳観音は頭から袈裟をつけ趺座(ふざ)する。
 10《 大 船 (おおふな) 鉾 》   京都市下京区新町通四条下る四条町
    その成立は応仁の乱以前に遡ることができ、幕末までは後祭(あとまつり)のしんがりを巡行
    した由緒ある鉾です。しかしながら、鉾町一帯を焼き尽くした元治元年(1864年)の蛤御門の変
    によって船形の木組みや車輪等の構造部分を焼失して以降、現在まで鉾本体の復興はならず、
    山鉾巡行に参加しておりません。このたび、鉾本体焼失より150年という節目の年に、大船鉾を
    復興し、山鉾巡行への復帰を目指すことになりました。平成24年からは、ご神体(神功皇后の御神面)
    を入れた唐櫃を担いで「唐櫃巡行」という形で巡行行列に参加してきました。今年150年ぶりに
    大船鉾が巡行に復帰します。20日〜23日まで鉾上で一般参観(有料)ができます。

  【 休 み 山 2基の紹介 》 

  1《  鷹 (たか) 山  》   京都市中京区三条通室町西入ル衣棚町
   江戸時代の大火や豪雨で被害を受けてから休み山となっている。
   宵山期間中の居祭りでは、3体の御神体や見送りなど公開されている。
   御神体は、蟷螂山と並び、からくり人形だったと伝えられている。
  2《  布 袋 (ほてい) 山 》   京都市中京区蛸薬師通室町西入ル
   天明の大火により一部を残しほぼ焼失。
   居祭りでは、布袋尊・二人童子を展示公開している。
   2005年には御符の版木が確認され、翌年には懸装品とされている織物が見つかった。