今日(5月12日)は、川西市の花屋敷にありますナイチンゲール像前にて生誕祭が行われると聞き、見学に
行ってまいりました。また、せっかく川西市の中央地区へ行きましたので、近くにある勝福寺古墳、小戸神社、
栄根寺廃寺や少し足を伸ばし満願寺なども巡りました。
阪急川西能勢口駅と雲雀丘花屋敷駅の中ほどに、世界に2つしかないといわれている実物大のナイチンゲール
像があるのをご存知ですか。
ロンドンの聖トーマス病院ナイチンゲール看護学校入口の像を原型にしたもので、土地の所有者の中山通幽氏が
赤十字病院で療養した関係から1936年8月13日に建立しました。
19世紀のクリミア戦争で敵味方の区別なく傷病兵を手当てするとともに、統計を使って医療衛生の改善や看護婦
養成所を創設し病院改革案をつくるなど、後の国際赤十字社の設立に多大な影響を与えたフローレンス・ナイチン
ゲールをたたえ、川西市赤十字奉仕団など関係者が生誕祭を開催し「奉仕と博愛の精神」を誓っていました。
満願寺は、奈良時代に聖武天皇の勅願によって勝道上人が日本全国に「満願寺」を創建することとなり、摂津国
満願寺として建てられたと寺伝にあります。平安中期に多田院を創建した源満仲が帰依し、以来源氏一門の祈願所
として栄えました。室町時代からは源氏一門である足利将軍家の祈願所となり、最盛期には四十九の坊院が存在し
ていました。山門にある仁王像は、多田院が神仏分離によって多田神社になった際に移されました。また、境内に
は金太郎(坂田金時)の墓や九重塔(重要文化財)などがあります。
栄根寺廃寺は、ナイチンゲール像のすぐ南側にあり、かつて薬師堂がありましたが1995年の阪神・淡路大震災で
全壊し、現在は歴史公園となっています。
薬師堂には県の文化財に指定されている薬師如来坐像が安置されていました。衣服の形が翻波式であるなど平安時
代後期ころと考えられていましたが、1985年の試掘調査で平安~南北朝時代ころの建物の基壇が見つかりま
した。遺物に奈良時代の瓦も少量ですが含まれており、創建時の瓦の可能性が強いと思われます。1999年の発掘
調査では土盛り須弥壇を持つ平安後期の仏堂が発見され話題となりました。
小戸神社は「おべ」と呼ばれていましたが、現在は「おおべ」と呼びます。ご祭神は大山津見命(オオヤマツミ
ノカミ)、天児屋根命(アマノコヤネノミコト)、素盞鳴命(スサノオノミコト)です。
平安時代の延喜五年(905年)醍醐天皇の勅命によりつくられた『延喜式』という書物に、由緒ある神社2861社が取り上
げられ摂津国河辺郡の部に川西市の「小戸神社」「鴨神社」「多太神社」が記載されています。
境内には、推定樹齢500年、根回り約12m、樹高約30mという大クスがあり昭和41年県の天然記念物に指定され
ました。
勝福寺古墳は、明治24年に壁土取りをしている時に発見され、全長約40mの前方後円墳であることが判明しました。
前方部で木棺が2基、後円部で横穴式石室が2基発見されました。
画文帯神獣鏡という中国製の鏡や龍の文様が象嵌された大刀などが出土したことから6世紀初期に淀川流域で台頭し
した継体天皇(継体大王)を支援した有力豪族の墳墓と推定されています。古墳近隣の勝福寺と八坂神社へも参拝い
たしました。
また、川西能勢口駅北西(信号横)にある車輪のモニュメントは、川西能勢口駅-川西国鉄前駅(現JR川西池田駅)
間0.6kmの能勢電鉄(単線)の廃線(昭和56年12月19日)を記念したものです。
2018年5月12日 中村位三郎
ナイチンゲール像 |
生誕祭開催中 |
大塩市長も挨拶 |
看護婦慰霊塔 |
満願寺山門
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山門左:吽形 |
山門右:阿形 |
満願寺本堂 |
金太郎(坂田金時)の墓 |
九重塔(重要文化財) |
栄根寺廃寺遺構 |
栄根寺廃寺説明板 |
銭屋五兵衛の碑 |
小戸神社鳥居と大クス |
小戸神社本殿 |
勝福寺古墳説明板 |
勝福寺古墳入口 |
勝福寺 |
八坂神社本殿 |
車輪のモニュメント |
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