『坂上田村麻呂』の年譜

2016年7月1日

西暦/和暦年齢坂上田村麻呂の年譜枚方の歴史日本の歴史
天平勝宝2(750)年 百済王敬福が河内守に任ぜられ、交野郡中宮
に移り、百済寺を建立
土器に万葉仮名・や人面の墨書される
(招堤中町遺跡・藤田山遺跡)
天平勝宝4(752)年 東大寺大仏開眼供養
天平宝字2(758)年 坂上苅田麻呂の次男・三男として生まれた
光仁天皇が交野へ行幸する
宝亀11(780)年 23歳 近衛将監になった
延暦 2(783)年 桓武天皇が交野で鷹狩する
延暦 3(784)年 長岡京に都を移す
延暦 4(785)年 28歳 11月 正六位上から従五位下に進んだ 桓武天皇が交野柏原に郊祀壇を築き天神を祀
延暦 6(787)年 30歳   3月 内匠助を兼ねた 9月 近衛少将になった 藤原継縄、楠葉に別荘造る
平窯での瓦の生産がおこなわれる
(楠葉瓦窯跡・牧野瓦窯跡)
延暦 7(788)年 31歳   6月 越後介を兼ねた
延暦 9(790)年 33歳   3月 越後守を兼ねた 桓武天皇「百済王氏は朕の外戚」と詔を下す
延暦10(791)年 34歳   1月 軍士・兵器の点検で東海道に遣わされた
  7月 征東副使になった
延暦11(792)年 35歳   3月 従五位上に進んだ
延暦12(793)年 36歳   2月 征東副使が征夷副使に改称になった
   辞見した
延暦13(794)年 37歳   6月 坂上田村麻呂以下が蝦夷を征した
10月 大伴弟麻呂が戦勝を報告した
平安京に都を移す
延暦14(795)年 38歳   2月従四位下に進んだ・木工頭を兼ねた
延暦15(796)年 39歳   1月 陸奥出羽按察使、陸奥守を兼ねた
10月 鎮守将軍を兼ねた
延暦16(797)年 40歳 11月 征夷大将軍になった
延暦17(798)年 41歳 閏5月 従四位上に進んだ
  7月 清水寺を建立した
延暦18(799)年 42歳   5月 近衛権中将になった
延暦19(800)年 43歳 11月 諸国に移配する夷俘を検校した
延暦20(801)年 44歳   2月 節刀を受けた
  9月 蝦夷の討伏を報告した
10月 帰京して節刀を返した
11月 従三位に進んだ
12月 近衛中将になった
延暦21(802)年 45歳   1月 造陸奥国胆沢城使として遣わされた
  度者一人を賜った
  4月15日 阿弖利為母礼ら500余人が降伏
  7月10日 阿弖利為母礼を伴い入京した
  8月13日 阿弖流為母礼宇山で斬られる
緑釉土器や黒色土器が使われる
(招堤中町遺跡・禁野本町遺跡)
延暦22(803)年 46歳   3月 造志波城使として辞見した
  7月 刑部卿になった
延暦23(804)年 47歳   1月 再び征夷大将軍になった
  5月 造西寺長官を兼ねた
  8月 和泉国と摂津国に行宮地を定めるため
  三島名継とともに遣わされた
10月 藺生野の猟に従い、
  物を献じて綿二百斤を賜った
延暦24(805)年 48歳   6月 参議になった
10月 清水寺の地を賜った
11月 坂本親王の加冠に列席し衣を賜った
大同 元(806)年 49歳   3月皇太子が桓武天皇の崩御を悲しんで
  起きなかったので、田村麻呂と
  藤原葛野麻呂が支えて下がった
  4月 藤原雄友に従い誄を奉った
  中納言になった・中衛大将を兼ねた
10月 陸奥・出羽に擬任郡司と擬任軍毅を
  任ずることを願い、認められた
大同 2(807)年 50歳   4月 右近衛大将になった
  8月 侍従を兼ねた
11月 兵部卿を兼ねた
雄徳山への埋葬が禁止される
火葬し、四耳壺に納めて埋葬する
(藤阪火葬墓)
この頃天皇、交野へ行幸・遊猟する
(百済寺跡・田口中島遺跡)
大同 4(809)年 52歳   3月 正三位になった
弘仁 元(810)年 53歳   9月 平城京の造京使に・大納言になった
  ・ 薬子の変の鎮圧に出撃した
翌日、上皇の東国行きが阻まれ、変は終わる
10月 清水寺に印を賜った
弘仁 2(811)年 54歳   1月 孫の葛井親王の射芸を喜んだ
  渤海の使者を朝集院で饗した
  5月23日 山城国の粟田の別宅で亡くなる
  5月27日 山城国宇治郡七条咋田西里栗栖村
  に葬られた・従二位を贈られた
10月 墓地として3町を賜った
引仁 6(815)年 橘清友と田口の娘の間に生まれた橘嘉智子が
 嵯峨天皇の皇后になる
引仁 7(816)年 百済寺、粟倉寺に綿が施入される
(アゼクラ遺跡)
空海、金剛峯寺を創建
合口甕棺に埋葬される(小倉東遺跡)
天長 8(831)年 杉・尊延寺に氷室が増設される

【参考資料】

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