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第4話『天の川・七夕伝説』
・・枚方に伝承される「夢とロマンの物語・七夕伝説」のお話・・
2016年1月1日
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<写真はクリックすると、大きく表示されます>
私たちの町枚方には、語り継がれた多くの昔話があります。枚方市ではそのような昔話を 「枚方市伝承文化保存懇話会」のもとで、次世代に伝承し易くまとめられました。そこで枚方発見の新企画として、伝えられている民話を一話づつ紹介するとともに、史跡などを訪ねながら紹介していきたいと思います。
尚、掲載内容は、市発行の刊行物など(文末に参考資料を記載)を参考にして作成致しました。今回は第4回目として「天の川・七夕伝説」の話を紹介します。
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【 はじめに 】
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「天の川」の標識(禁野橋)
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「星ヶ丘」の標識(京阪交野線)
大阪府枚方市から交野市にかけての地域は、平安時代の頃「交野ヶ原」と呼ばれ、貴族たちが狩猟に興じていました。桓武天皇(737ー806年)は「交野ヶ原」に北極星を祭り、国家の安泰を祈願し、たびたび狩猟を楽しみました。このあたり一帯には、夏の夜空に輝く星の集まりの天の川そっくりの川が流れており、遣唐使などにより中国で生まれた「七夕伝説」が日本に伝わると、美しく敷きつめられた白砂の上をゆるやかに流れるこの川の様子を見て、「天の川」と呼ぶようになりました。そして「天の川」周辺に住む人たちや渡来して来た人たちは、ふる里を思い、七夕にかかわる場所を次々に造り、夢を育てていきました。
枚方・交野には、天空で明るく輝く北極星のある場所を指して、この「天の川」をはさんで「中宮・星ヶ丘・星田」の地名が付けられています。
【 七夕伝説 】
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牽牛星イラスト(天津橋)
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牽牛のレリーフ(天津橋)
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七夕伝説説明板(ふれあい通り)
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織女星イラスト(天津橋)
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織姫のレリーフ(天津橋)
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織姫・牽牛像(ふれあい通り)
天の川の東に住む機織姫(はたおりひめ)は、機で布を織るのが大好きで「天の衣」といわれるほどのすばらしい布を織りました。天帝は、西側に住む牛飼いの牽牛(けんぎゅう)を機織姫に見合わせ、二人は結婚しました。しかし、あまりにも仲がよすぎて、二人とも仕事をするのをわすれ、天帝は困ってしまい、別れさせました。
天帝は、牽牛と別れた機織姫の悲しむ姿をみて、せめて年に一度、七月七日の七夕の日だけは会うことを許しました。そして、二人はこの日を待って、年に一度、楽しく過ごしたということです。
この七夕伝説の『七夕に機織姫と牽牛彦星が天の川で楽しく会う』という話から、七夕にかかわる地上の場所が枚方・交野地区に次々に造られていきました。
代表的なものは天の川をわたる「天津橋」・「逢合橋」・「かささぎ橋」の3つの橋と、天の川の東側に建てられている機織姫に関連する「機物神社」(交野市倉治)・西側の観音山公園(枚方市香里ヶ丘)の高台にまつられている牽牛に関連する「牽牛石」です。また、枚方市役所本館と別館の間を貫く「ふれあい通り」は天の川の清らかな流れをイメージしており、七夕伝説の説明板と織姫・牽牛をイメージした像が設置されています。
【 関連場所探訪 】
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天津橋のモニュメント
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逢合橋の七夕万葉歌碑
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かささぎ橋のモニュメント
《 天 津 橋 》
織姫・牽牛が天の川をわたるために出発するための橋といわれています。現在、橋の欄干は織姫、牽牛のレリーフで装飾されており、欄干横には天の川の上にかささぎを描いた七夕伝説のモニュメントが設置されています。また、欄干横の両歩道上には牽牛星と織女星のイラストがそれぞれ対峙して描かれています。
★枚方市岡東町★
《 逢 合 橋 》
船でわたる”船わたり”と歩いてわたる”橋わたり”のどちらでもわたれる橋といわれています。織姫・牽牛が一年に一度、七夕の日にこの橋の上でひとときの逢瀬を楽しむと伝えられている七夕伝説の中心となる橋です。川辺りには七夕伝説にちなんだ万葉集の歌碑が設置されており、当時を偲ばさせます。
★交野市私部西3 丁目★
《 かささぎ橋 》
七夕伝説によると天の川にかささぎが群れ集まって橋となり、織姫と牽牛との橋わたしをするといわれています。この話にちなんでかささぎ橋と呼ばれるようになった橋で、かささぎに羽を広げてもらい、その背中をわたっていけるということです。橋辺りには2羽のかささぎが飛翔する姿のモニュメントがあります。
★枚方市新町★
《 機 物 神 社 》
5~6世紀の頃、交易商人によって組織された養蚕布織の技術を持った民が大陸から渡来し、一部の集団が東部山地の麓の現神社の所在地の交野市の「倉治」に定住しました。この地を「秦者」と言っていた時代があり、神社の名称はこの「秦者」の人達が祀る「ハタモノの社」と呼ばれていましたが、後に七夕伝説と結ぴ付けられて、「奏」を機織りの「機」に換えて「機物神社」と呼ばれるようになりました。天棚機比売大神(あまのたなばたひめおおかみ)が御祭神の一つとなっており、境内の一角には織姫のはたおりきが展示されています。
★交野市倉治1-1-7★
《 牽 牛 石 》
天の川の西側にある中山観音寺あとの観音山公園の階段を上ると、牽牛像が建てられており、傍に「七夕の歌」と題し『牽牛の 妻迎え船 こぎ出らし 天の河原に
霧の立てるは』(山上巨憶良)と記した万葉の歌碑が添えられています。その牽牛像の後ろの階段をさらに上ると、高台に説明板とともに巨大な「牽牛石」が置かれています。牽牛は、天の川をはさんで東側の「機物神社」の織姫をいつも見つめているようです。
★枚方市香里ヶ丘4丁目★
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 機物神社の鳥居 |
 「織姫のはたおりき」の表示 |
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 観音山公園の案内板 |
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 「牽牛石」の説明板 |
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【 感 想 】
- 枚方・交野に古くから伝わる「七夕伝説」のゆかりの地を実際に訪問することによって、この伝説への理解を深め、郷土に根付いていることを実感することができました。
- 織姫・牽牛が一年に一度、七夕の日に逢うと伝えられている「逢合橋」は、世俗化されていて、もはやロマンを感じられなかったのは残念でした。「七夕伝説」のハイライトの橋だけにもう少し整備を進めて欲しいと感じました。
- 筆者がOBP(大阪ビジネスパーク)に勤務していた頃、最寄りの京阪交野線「星ヶ丘」駅から「おりひめ」号に乗車して直通で「京橋」駅まで行き、また京橋からは「ひこぼし」号に乗車して直通で「星ヶ丘」駅まで帰ったことを思い出します。今はその列車は廃止されていますが、せめて七夕の日には「おりひめ」号と「ひこぼし」号が枚方市で出会うダイヤを計画し、復活させて欲しいものです。
- 『苦しみ・努力する中でひとときの楽しみを享受する』という生き方こそ美しいものであり、その考え方への人々の共感が「七夕伝説」が息長く伝わっている理由の一つではないかと思います。
枚方発見チーム 中村、永井、松島、坂本、福本 HP作成:福本
参考資料
・ひらかた昔ばなし(総集編) 平成16年3月31日 発行:枚方市 企画編集:枚方市伝承文化保存懇話会記録冊子
・天の川とかささぎ橋 かささぎ橋設置の説明板
・機物神社ホームページ http://hatamono.web.fc2.com/index.html
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