丸い自然石の墓石や「博士王仁墓」と刻まれた墓碑は、江戸時代後期に京都の儒学者が「日本の学問の祖」王仁の墓探しに奔走し、枚方市禁野の和田寺で発見された古文書から考証し、ここを墓としました