高槻(史跡探訪)
第237回 くらわん会例会 2016/2/2(火)
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〈行程〉
JR・摂津富田駅 ⇒ 今城塚古墳(朝会・見学)⇒ 今城塚古代歴史館(見学)
⇒ 闘鶏野神社(参拝)⇒ 新池ハニワ工場公園(昼食・見学)
⇒ 太田茶臼山古墳(参拝)⇒ JR・摂津富田駅(解散)
〈距離〉
約 8km
〈参加者〉
119名
JR・摂津富田駅
★JR・摂津富田駅 ⇒ 今城塚古墳(朝会・休憩)
今月の「くらわん会」は、本格的歴史探訪の旅である。駅前広場での朝会はやや狭いので、先ず最初の目的地である今城塚(いましろづか)古墳へ出発。駅前には、稼働中と思われるパナソニックの工場(旧:照明社)があり、少し嬉しい気分になる。
約30分で今城塚古墳へ到着。ここは531年に没した第26代継体天皇の真の陵墓と考えられ、高槻市埋蔵文化財調査センターが、古墳の保存と整備のために発掘調査に乗り出したのは1997年。調査の結果、大王クラスの古墳ならではの特徴が次々に発見され、なかでも特筆すべきは、埴輪祭祀区(はにわ さいしく/ハニワ祭りの場)の存在ということである。
祭祀区は東西約65m、南北約6mと日本最大、出土した埴輪の種類も人物埴輪から動物埴輪、家形埴輪、器財に関わる埴輪まで実に様々。今城塚古墳に眠る被葬者の権力がいかに強大であったかが偲ばれるという。祭祀区には出土した埴輪のレプリカが並べられ、埴輪による古代の祭祀の様子が再現されており、その埴輪の数や種類に圧倒される。
ここでの恒例の朝会後、古墳公園に隣接する今城塚古代歴史館での自由見学となった。
★
今城塚古代歴史館(見学)
⇒闘鶏野(つげの)神社(参拝)
館内には、三島古墳群の概要をはじめ、今城塚古墳の発掘調査で判明した古墳づくりの色々な工夫を、実物大のジオラマ模型や映像も用いながら解説されている。
実物の埴輪や豊富な出土品を通じて歴史遺産ネットワークの拠点として様々な情報を発信する歴史体験と学習の場であるが、館内見学もそこそこに、ハニワ再現パズルを楽しんでいるグループもあった。
今城塚古代歴史館に別れを告げ、新池ハニワ工場公園へ向かう。約20分の歩行後、名神高速道路の跨線橋を渡った場所にある闘鶏野(つげの)神社で参拝・休憩。
さらに約15分の歩行後、新池ハニワ工場公園に到着し、昼食休憩となった。
★ 新池ハニワ工場公園(昼食・見学)
史跡・新池ハニワ工場公園は、日本最古最大級のハニワ工場である新池遺跡(しんいけいせき)を保存、公園として1995年3月に公開された。ハニワ工場は日本全国で約90ヶ所発見されているが、大王級(天皇)のハニワ工場で全体像が分かっているのはこの遺跡だけと言われている。
この遺跡は、5~6世紀にかけての埴輪を焼く場所であったそうで、発掘の結果、埴輪を焼く窯18基と作業場3棟、そして職人達の住む竪穴式住居14棟が確認されたという。
★太田茶臼山古墳 ⇒ 摂津富田駅(解散)
ハニワ公園から出発地の摂津富田駅へ向かうが、その帰路に太田茶臼山古墳(茨木市)がある。この古墳は現在宮内庁が継体天皇陵と指定しており、古事記に「御陵は三嶋の藍御陵」、日本書紀に「藍野陵に葬る」、延喜式に「三嶋藍野陵、摂津国島上郡」と記載されていることが根拠という。(現在の行政区では、藍野は茨木市に属している)
戦後、太田茶臼山古墳周辺の考古学的研究により、この古墳は5世紀中頃に築かれたことが分かり、継体天皇の没年と合わないこと、また規模も小さく天皇陵と考えるのには無理があるとされている。
今城塚古墳は発掘調査の結果、6世紀中頃に築かれたことが分かり、継体天皇の在位期間でもあり、時代的には延喜式にある通り、島上郡(高槻市)にある今城塚古墳が継体天皇陵として疑いないと歴史学者は考えているという。(宮内庁の見解とは異なる)
◇本日は天候にも恵まれ、楽しく歴史を学べました。本稿における史跡に関する考察は、当該のHPから引用させて頂いた部分があります。
<取材>安藤、梅原、吉川、松島 <HP作成>吉川
出発前の談笑風景(駅前広場)
女瀬川沿いに行進開始
パナソニック工場
今城塚古墳(内濠の一部)
今城塚古墳での朝会風景
200回参加表彰
埴輪祭祀区風景1
埴輪祭祀区風景2
今城塚古代歴史館
歴史館内部(古墳1/100模型)
歴史館内部の展示品
歴史館でのハニワ再現パズル
首尾よく再現されたハニワ
闘鶏野(つげの)神社鳥居
闘鶏野神社へ参拝
ハニワ工場公園(工房跡)
ハニワ工場公園(ハニワ窯跡)
昼食風景1
昼食風景2
太田茶臼山古墳全景
太田茶臼山古墳へ参拝
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