京阪樟葉駅 |
11月中は温かい日が続いていたが、月末から師走にかけて一気に冬らしい気候になってきた。今日は陽射しもあり小春日和といえる絶好のウォーキングデイ。京阪樟葉駅モール前には今年最高の134人のくらわん会会員が集まってきた。
樟葉の町は100年の歴史を持つ京阪電車が創った町。1960年春、京阪電鉄は沿線開発の一環として、八幡町と合意して丘陵地帯へ男山住宅団地の誘致を申し入れた。公団は進出条件として樟葉駅までのバス路線乗り入れの条件を付け、これが官民一体との「くずはローズタウン」誕生の発端となり、約136万㎡の大ニュータウン造成計画となり、原野だった一帯に街路、樟葉中央公園を中心に各区に14の公園を整備、公共下水道の整備、駅移転と駅前広場、バス路線網、大型商業施設を含む「くずはモール街」が1972年4月に開業した。デパートとスーパーを核として70店の専門店と銀行などを有機的に組み合わせ、駐車場を備えた本格的広域型ショッピングセンターが建設された。
さらに2014年3月には大リニューアルが行われ本館には「ミドリノモール」「ハナノモール」、新設の南館には「ヒカリノモール」「TOHOシネマズくずはモール」が10館の映画館を開館、駐車場の収容も約3000台へ増やされ、若者が集まる街へと生まれ変わった。
朝会では女性で初めての200回参加の橋本育子さん(枚方北)が表彰され、全員に祝福された。最多の新入会員7人が挨拶、担当リーダーの斉藤副会長から本日のコースの紹介、新春の松尾大社初詣への交通アクセスが紹介された。
クリスマス飾りが付けられたモール横を抜けて、41階137mのくずはタワーが聳えるモール南を左折して南楠葉の町を北に向う楠葉野田の手前で右折、小規模特養「ホームくずは美郷」前の狭い道路を突き当たると樟葉小学校。小学校の北側にそって更に狭い道を進むと市民の森公園の郷土の森ゾーンに入る。
「市民の森」は、閑静な住宅街に囲まれた中にある緑地公園で市政35年を記念して建設された。約2万6千㎡ある広大な敷地面積に、約1万2千本もの樹木が植えられ花しょうぶ園、花壇、せせらぎの森、芝生広場など8つのゾーンに分かれており、中央に鏡伝池があり池の横の公園課の管理事務所では「緑化講習会」や「展示会」が開催される。
「鏡伝池」は最初は比較的大きな池であったが、市民公園として整備されて狭められてしまった。月の名所とされ、続古今和歌集の藤原実経の歌「くもらじな真澄の鏡影そうる楠葉の宮のはるの夜の月」は、この鏡伝池に映る春の夜の月を詠んだもので、「日本紀を見侍りて継体天皇を」と云うことばがきが付いている。
この歌は単に、池に映る月を詠んだだけのものではなく、この池のすぐ上にあったと伝えられる楠葉の宮で即位する継体天皇の威風堂々とした姿と、その「くもりなき」清い心を称える意味をも持つものであったと考えられる。「澄み切った鏡のような池に、春の夜の月が、いっぱいに光を溢れさせ、楠葉の宮も光を浴びて池に影を落としている。この宮で即位された継体天皇の御心も、この池のように曇りなきものであった」
管理事務所の横の出口を北に出ると樟葉中学校があり学校に沿って回り込むと交野天神社(かたのあまつかみのやしろ)の参道に出て、正面に樟葉宮跡の杜が広がる。樟葉宮跡の杜は交野天神社の境内にあり、石灯籠が並ぶ参道を進むと拝殿の向こうに室町時代の一間社流造で桧皮葺の交野天神社本殿と末社八幡神社本殿が見え、拝殿右側の杜の奥には貴船神社が鎮座する小丘がある。この小丘周辺は継体天皇が即位した樟葉宮跡の伝承地として大阪府の史跡に指定され、小丘の麓には顕彰碑が立っている。
「日本書紀」によると、506年に25代武烈天皇が後継者を定めず崩御したため、大連(おおむらじ)大伴金村(おおとものかなむら)らによって越前の三国(福井県)から、応神天皇5世の孫・男大迹王(おおどのおう)を迎え、大和王権に推挙しこの地・河内樟葉宮で26代継体天皇として58歳で即位し、5年にわたり宮を営んだとされている。天神社本殿の脇から原生林の中を50mほど進むと、小高い丘の上に継体天皇が合祀されている「貴船神社」がある。
樟葉宮の杜を回り込み楠葉野田を抜けると八幡市の住宅街に入りる。高台になっている所に足立寺史跡・和気神社がある。この辺りには瓦を焼いた平窯跡があり、男山を始め周囲の見晴らしが良い高台になっている。
足立寺(そくりゅうじ)は、出土品から寺の建立は白鳳時代のもので、地元の豪族が建立した寺を和気清麻呂公が再構築したもの。和気神社は、その足立寺を護持する神社としてこの地に鎮座することになり、足の神様としてうやまれている。
奈良時代に弓削道鏡が、宇佐八幡の神託を受け皇位につこうとしたが、和気清麻呂が宇佐八幡に赴き、神託が嘘であったことを見抜いた。これに怒った道鏡は和気清麻呂の足を切って流罪にしたが、左遷先に向かう途上で何百頭という猪が現れ、宇佐八幡宮へと導かれ参拝したところ、足が生えて来たという伝説があり、和気清麻呂公が報恩の為に足立寺を建立したと伝えられている。
史跡公園裏から少し行くと八幡市立さつき近隣公園につきここで昼食休憩を取る。「さつき近隣公園」は、八幡市男山笹谷にある大きな公園で、園内にはソフトボールなどに使用できる多目的グラウンドやテニスコート、屋外プールなどのスポーツ施設がある。昼食休憩後、男山指月から見事に黄葉した銀杏並木を東高野街道へ出る。京から摂津や高野山への主要街道だった由緒ある道を北上すると善法律寺(紅葉寺)がある。
この寺は奈良唐招提寺末で律宗に属、鎌倉時代に石清水八幡宮社務善法寺宮清が奈良東大寺実相上人に帰依し、私宅を寺に改めたことに始まる。室町時代には、善法寺通清の娘紀良子が足利三代将軍義満を生んだことから将軍家との関係は深い。良子が紅葉の樹を寄進し、今も紅葉が美しいことから「紅葉寺」とも称される。この寺の苔と紅葉は素晴らしかった。
東高野街道を更に進み石清水八幡宮の帰り参道に向かって行くと右手にある泰勝寺の門前には、「松花堂旧跡」の石標が立ち松花堂昭乗の菩提寺。茶席「閑雲軒」では、松花堂弁当が出され、弁当は昭乗の愛用していた絵具箱(煙草盆)を模して作られたという。大谷川畔の安居橋で解散、八幡宮の一の鳥居を抜けて京阪八幡市駅に向かった。
取材:小郷・永井・中溝 HP作成:冨田
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京阪樟葉モール前 |