 京阪唐橋前駅 |
琵琶湖畔を歩くのは「くらわん会」では3度目である。最初は雨に祟られ少人数の参加であったが、リベンジのその翌年(2008年)は快晴に恵まれた。しばらくぶりの琵琶湖畔だが、このところ日替わりに天候の変わる日が続いていたが、今日は絶好の五月晴れの一日となった。
京阪三条から地下鉄東西線と京阪京津線が同じホームに乗り入れており、慌てて早く乗った東西線で先月の集合場所である「六地蔵」へ行った方が何人かおられた。時間待ちで、時刻をずらして始めることにした。
京阪唐橋前駅より東に少し歩き、かの有名な「瀬田の唐橋」を渡った瀬田川岸に元気印113名が集まった。
古来、瀬田川にかかる唯一の橋であった瀬田の唐橋は京都防衛上の重要地であったことから、古来より「唐橋を制する者は天下を制す」と言われた。またこの端を挟んで源平合戦(1184年)や承久の乱(1221年)、建武の戦い(1336年)など多くの戦がここで交わされた。
5月3日から6日まで第68回朝日レガッタが開催中で、全国から496クルー、1448人が出場する。瀬田川周辺には大学のボートクラブが合宿し、早朝から熱心な練習が続いていた。
川面を渡る心地よい川風に吹かれながら「さざなみ街道」沿いに歩き北上した。まもなく玉之浦県立琵琶湖漕艇場がある。
瀬田川には外輪船を模した観光船が行き、国道1号線、続いて東海道線の下を抜けると向こうに近江大橋と比叡山が見えてきた。河岸には家族連れが憩っていて、さらに進むと大勢の若者が集っており、今ちょうどボートレースの真っ最中で朝日レガッタが開催されていた。
しばらく歩いた所の湖岸で小休憩。さらに湖岸道路を進んで近江大橋の下をくぐり、少し行った先でUターンして橋の歩道上へ出た。
近江大橋は1974年に完成したもので全長約1300mあり、誰も琵琶湖大橋の方がはるかに長いと思っているが、どちらも同じ位の長さであり、いかに琵琶湖の北湖と南湖の境が縊れているかが知れる。
橋上を約20分掛けて渡り橋端で下りてくぐり暫く歩くと膳所城址公園についた。連休中でしかも好天なのでもっと多くの市民の方が来られているのではないかと思ったが案外人出は少なく、ここでそれぞれ緑陰の元で昼食休憩とした。グループによっては大いに盛り上がっているようだ。
膳所城は慶長6年(1601年)関ヶ原の戦い後に築城されたもので、大津城、坂本城と並ぶ「琵琶湖の浮城」の一つ。陸続きの部分に三の丸を配し、二の丸・北の丸・本丸が琵琶湖に突出する梯郭式の縄張りであった。本丸には4重4階の天守が上げられ、水面に映える姿は里謡に「瀬田の唐橋からねぎぼし、水に浮かぶは膳所の城」と謡われていた。明治維新後に廃城となり現在は市民の城跡公園となっている。
旧制第四高等学校の漕艇員遭難の慰霊のために植えられた桜が「四高桜」として知られているが、今は葉桜の季節となっていた。また戦没者の慰霊に建てられた平和の礎もある。
昼食休憩後は元の橋下まで戻り、湖岸のなぎさ公園へと歩を進める。なぎさ公園は湖面につき出した場所にあり、最も展望の良い広場で湖面を通して比叡・比良等の美しい山並みや琵琶湖大橋・近江大橋・市内の街並みが望め、周りの園地には芝桜も咲いていて湖上には観光船も浮かんでいて見飽きることがない。
ひときわ目立つ大津プリンスホテルは、レンズ型で琵琶湖のパノラマを望むことができる38階建て高さ130mの高層ホテル。540室ある客室はすべてレイクビューになっている。ホテル横の道路を西進し、西武ショッピングセンターで一次解散した。
ここから膳所駅に行くのであるが、途中「義仲寺」に立ち寄る方もいた。この寺は平家討伐の兵を挙げて都に入り、帰りに源頼朝軍に追われて粟津の地で壮烈な最期を遂げた木曽義仲(1154-84)をここに葬ったことに由来し、近江守護であった佐々木六角が、室町時代末期に建立したといわれる。また芭蕉が生前の遺言によってここに墓が立てられたと言われている。
それぞれ好天に恵まれた快適な散策を楽しんで、同じ所にあるJR膳所駅、京阪膳所駅に向かって帰路に着いた。
取材:吉川・小郷・永井・中溝 HP作成:冨田
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 瀬田の唐橋 |