4月の例会は豊臣秀吉が最晩年に約1300人を召し従えた盛大な宴(醍醐の花見)を行ったことで知られる醍醐寺を訪ねる。あいにく9時過ぎまで雨が降っており、参加者の減少が心配されたが107名の参加者が集まった。雨のため集合場所を京都地下鉄醍醐駅の近くの折戸公園から、急遽地下鉄駅構内に変更した。
幸いにも朝会を始めるころには雨も上がり、以降雨に降られることはなかった。醍醐付近は地下鉄が開通してから開けた街で、家々も比較的新しくきれいな街である。
醍醐駅からは上り坂ではあるが一本道で、途中の道端にはきれいいた桜もあり 桜を見ながら醍醐寺を目指した。20分ほどでの到着となった。醍醐寺は真言宗醍醐派総本山の寺院である。西門から入り、三宝院前で小休止の後、仁王門へと進み、右側にある今回のコースで最初のトイレ休憩を済ませる。仁王門からは北向きに進路を取り北門へと向かうが、途中の醍醐寺理性院(りしょういん)に立ち寄る。
理性院の門内には赤い前掛けをした千体地蔵がある。醍醐寺の桜は残念ながら前日までの雨もあり、かなり散ってしまっていた。 醍醐寺の北門を出て直進し、第60代醍醐天皇の御陵へと向かう。
この御陵の正式名称は後山科陵(のちのやましなのみささぎ)で、円形の陵の外側を一周してから 御陵にお参りをした。御陵からは西に進路を取り、随心院へと向かう。
随心院は真言宗善通寺派大本山の仏教寺院で、宮中で仁明天皇に仕え歌人として知られる小野小町ゆかりの寺としても知られる。境内には小町の晩年の姿とされる卒塔婆小町像を始め文塚、化粧の井戸などいくつかの遺跡が残る。
また境内には約230本の梅の木がある。山紅梅、白梅、薄紅梅などがあり、梅の時期に訪れるのも良いだろう。随心院からさらに西に進路を取り、勧修寺へと向かう。
山科川を渡ったところで進路を左にとる。川の両側には桜並木があり、ここの桜はまだ十分に 残っていてくれた。ほどなく風呂尻児童公園に到着し、昼食休憩となった。
昼食後は5分ほどで最後の勧修寺(かじゅうじ)である。勧修寺は真言宗山階派の大本山で開基(創立者)は醍醐天皇である。この勧修寺で一時解散となった。
勧修寺では参道や境内に十分に鑑賞できる桜が残っており、今回のコースは後半になるほど桜が鑑賞でき、リーダーの勝川さんも胸をなでおろしたことだろう。
勧修寺からは地下鉄小野駅まで行き、それぞれ帰路についた。
醍醐寺、随心院、勧修寺はともに真言宗の総本山または大本山であるが、真言宗各派は明治以降、対立と分派・合同を繰り返した。現在は約50のの宗派があり、そのうち16派の18の総大本山が、真言宗各派総大本山会(各山会)を結成した。これらの寺院を真言宗18本山という。今回は18本山のうちの3本山を訪れたことになる。
<取材・撮影>斉藤、吉川、樫本、永井 <HP作成>梅原