今月の例会は海上都市・咲洲を巡る。1年で最も寒い時期であるが、幸いにも風がほとんどなく、あまり寒さを感じない例会となった。
南港は昭和初期に住之江沖に計画された埋立地で、戦後本格化した埋め立ておよび造成により、弁天埠頭に代わるフェリーターミナルやコンテナ埠頭を設けた。その後、南港水路以北の人工島である咲洲では「南港ポートタウン」の名称のもとで団地建設が進み、相愛大学などの学校、商業施設、公園、なにわの海の時空館がオープンした。
しかし、新たに追加された埋立地に計画された「コスモスクエア」の整備計画(コスモタワーなど)は、バブル期に過大な規模にまで拡大された結果、テナントの撤退や土地の分譲不能など思惑がはずれ、その事業費が事業者である大阪市(港湾局)の大きな負担となっている。
集合は中国上海港行きや韓国釜山港行きのフェリーが発着している大阪港国際フェリーターミナルの最寄り駅である大阪地下鉄中央線のコスモスクエア駅である。駅に隣接して大阪入国管理局のビルもある。朝会では4名の新入会員の紹介がされた。くらわん会の存続・発展のために喜ばしいことである。
大阪北港を右手に見ながら、岸壁の整備された道を野鳥園に向けて歩いてゆくと、『なにわの海の時空館』の建物が現れる。大阪市市制100周年記念事業の一つとして総工費176億円をかけて建設、2000年に開館した。建築は世界的に著名な建築家ポール・アンドリューの作品で、ユニークな4208枚のガラスを用いたドーム型の建物。エントランス棟とドーム型の展示棟があり、両棟は海底トンネルで繋がっている。
年間60万人の入場者が見込まれるとして建設されたが、入場者は初年度の20万人が最高で、2008年度には入場者数が10万人を割り込んだ。しかも入場者の6割以上を社会見学の小中学生等の無料入場者が占めていた。毎年の赤字は3億円以上にのぼり、2013年3月に閉館となった。
エントランス棟の前には復元された北前船が淋しそうに展示されていた。海の時空間を素通りして、野鳥園を目指す。
コンテナートラックが走り回る広い道の横に併設された歩行者用散策路を歩いてゆくと、ほどなく市立の大阪南港野鳥園に到着する。
古来より大阪南港周辺は住吉浦という自然豊かな地であったが、現在野鳥園は人工干潟として多くの渡り鳥の飛来地として屈指の存在となっている。
1983年、地元住民「南港の野鳥を守る会」の熱望が実り、当時埋立造成中であった湿地帯を野鳥園として開設するに至った。そのまま造成が完了していれば、古来よりこの周辺に渡来していたシギ・チドリ類の居場所が消滅するのは明らかだった。
園内は12.8haの干潟6.5haの緑地に分かれ、四季それぞれにさまざまな野鳥をはじめとする小動物などが多く観察でき、市民の野鳥観察会や学校の環境教育の場として利用されている。この日は残念ながら野鳥の数も少なかった。しばらく野鳥を眺めたのち、隣接の公園内を散策した。健脚組は丘を超え、階段の上り下りを2回すると、皆さん少々疲れたようで、出口付近の石垣に腰掛けて休憩する人もいた。
歩いてきた散策路を戻り、ATC(アジア太平洋トレードセンター)へ向かう。ATCオズ岸壁で海を眺めながら昼食休憩をとる。この日は節分であり、弁当が海苔巻という方もおられた。
オズ岸壁は大阪市が所有していた航海練習船『あこがれ』(帆船)の母港であった。あこがれは大阪市長に就任した橋下 徹による一連の市政改革の一環により、2012年末をもって運航を終了した。
昼食後は大阪府咲洲庁舎内を通り、大阪国際見本市会場『インテックス大阪』を経由して、南港ポートタウンへ向かう。咲洲庁舎は旧WTC(世界貿易センター)で地上55階、地下3階の超高層ビルである。東日本大震災で多数の亀裂が入るなど、耐震性への不安は記憶に新しいところである。
インテックス大阪は東京ビッグサイト(東京都)、幕張メッセ(千葉県)に次いで国内3番目の延床面積をもつ国際見本市会場である。
南港ポートタウンは咲洲の中央部に位置する高層住宅地で、面積は100ha(1k㎡)、約1万戸の住宅が建っている。
ポートタウン内は公園や散策路が整備され、さらに一般車の侵入が制限されているため、落ち着きのある住宅地と言えるだろう。
散策路に沿った小川には多くのカモがおり、野鳥園ではあまり見れなかった野鳥を見ることができた。南港ポートタウンを西から東へ横切り、ポートタウン東駅での解散となった。このコースは街中でありながら、信号のある道路を横切ることがない珍しいコースであった。
●取材・撮影:梅原、斉藤、吉川 ●HP作成:梅原