近鉄奈良駅前 |
立冬も近づき急速に冷え込んだ快晴の一日、11年ぶりに桜の葉が見事に紅葉し始めた奈良公園散策の例会である。近鉄奈良駅までは最短でも約1時間、やや遠い例会だ。近代的な地下駅の階段をあがると、古都奈良らしく行基菩薩像が噴水の前で合掌されている。
集合場所は、駅横から始まる「東向商店街」を南へ少し歩き左折して興福寺に向かう坂道を上がったところの北円堂と南円堂の間の広場だ。曲がり角は解かりにくいので松愛会の旗持参で誘導していただく。
北円堂(国宝)は承元2年(1208年)頃の再建で、興福寺に現存している建物の中では最も古い建物。秋の特別開扉中で、法隆寺夢殿と同じ八角形の美しい円堂内には、運慶一門の手による本尊の弥勒如来坐像・無著菩薩立像・世親菩薩立像(国宝)が安置されてる。また周辺には回廊が建設工事中だ。
この例会には126名の方が集まっていただき、いつもの様に色づき始めた紅葉に囲まれた興福寺境内で朝会を行った。今日は狭いならまちの路地をいくため、2つのグループに分かれて出発する。
奈良公園の中心部にある興福寺は法相宗の大本山の寺院で、藤原氏の祖・藤原鎌足とその子息・藤原不比等ゆかりの寺院で、藤原氏の氏寺であり、古代から中世にかけて強大な勢力を誇った。
度重なる火災にあった中金堂は、創建当初の規模に復元するため2018年落慶予定で建設中だ。その建設中の中金堂の工事横を、奈良公園のシンボルとも言える五重塔に向かって進む。
五重塔(国宝)は、現存の塔は応永33年(1426年)頃の再建で、高さ50.1mで、木造塔としては東寺五重塔に次ぎ、日本で2番目に高く古都奈良を象徴する塔だ。
五重塔横から三条通を横切って急な階段を猿沢の池に向かって下り、柳並木の道を采女神社横から元林院町の細い路地に向かう。元林院町には昔は色街があったと言われ、狭いが雰囲気のある短い路地が続く。もちいどのセンター街という商店街に出て、下御門町まで南下する。通りには杉岡華邨書道美術館や市立資料保存館、古美術商や染色工芸、和菓子の店など古都らしい趣の建物が並び雰囲気を醸し出している。
「奈良市音声館」の前で左折し狭い路地を元興寺町に向かう。この館は奈良市が歌声による人づくり、街づくりを目指して奈良県内に伝わる“わらべうた”の保存・普及を中心に、様々な活動をしているところ。
すぐにまた左折して折り返すと左に庚申堂の前を通る。奈良町の家の軒先には赤いぬいぐるみがぶら下がる。これは、「庚申(こうしん)さん」のお守りで、中国の道教の教えを説く庚申信仰で、江戸時代に民間信仰として庶民にひろがった。魔除けを意味し、家の中に災難が入ってこないように吊るし、災いを代わりに受けてくださることから「身代り申」とよばれている。 また、背中に願い事を書いてつるす「願い申」ともいう。
すぐ角の西新屋町に「奈良町資料館」があり、私設資料館として懐かしい昔の看板、美術品や奈良町の艮俗資料や、仏像などがあり、無料公開している。
毘沙門町を左折して中院町に差し掛かったところに、世界遺産「元興寺(がんごうじ)」がある。現在は、極楽坊という念仏道場として使った伽藍のみになっている。元興寺は蘇我馬子が飛鳥に建立した、日本最古の本格的仏教寺院である法興寺がその前身で、平城京遷都に伴って飛鳥から奈良へ移転して元興寺となった。飛鳥の法興寺も元の場所に残り、今日の飛鳥寺となっている。
奈良時代には近隣の東大寺、興福寺と並ぶ大寺院であったが、いまは大寺院の面影はなく、明治、大正、昭和18年までは無住の寺となり荒廃し、寂れるにしたがって寺域内に住宅が建ち並び宅地化が進んだ。気をつけていないと見過ごしそうな民家の中にひっそりと元興寺極楽坊があり、元興寺の境内だった古都の風情を今に伝える奈良町となった。
そのまま北上して、猿沢池湖畔の公園に出て小休止をとった。ここからは、興福寺五重塔などが一望できる。猿沢池七不思議、池は決して澄むことなくまたひどく濁ることもない。水が流入する川はなくまた流出する川もないのに、常に一定の水量を保っている。亀はたくさんいるが、なぜか蛙はいない。なぜか藻も生えない。毎年多くの魚 が放たれているので増える一方であるにもかかわらず、魚であふれる様子がない。水より魚の方が多くてもおかしくないというような池伝説や采女伝説などの石碑があって考えさせられる。
休憩の後、三条通を春日大社一の鳥居へと向かう。春日大社は、藤原氏の氏神を祀るために768年に創設された。全国に約1000社ある春日神社の総本社であり、武甕槌命が白鹿に乗ってきたとされることから、鹿を神使とし、ユネスコの世界遺産に「古都奈良の文化財」の1つとして登録されている。例祭である春日祭は、賀茂神社の葵祭、石清水八幡宮の石清水祭とともに三勅祭の一つとされる。
一の鳥居前から緩やかな丘陵を登り、鷺池から浮御堂へ、すぐ上の円窓亭付近で昼食休憩をとった。奈良公園は国の名勝であり、公園内には多くの国宝指定・世界遺産登録物件が点在し、年間を通じて日本国内のみならず外国からも多くの観光客が訪れ、日本を代表する観光地の一つとなっている。
奈良の大仏や鹿(約1200頭)は国際的にも有名で、奈良観光のメインとなっており、修学旅行生の姿も多く見られる。東大寺修二会やなら燈花会、正倉院展、春日若宮おん祭など古都ならではの見ごたえのある行事も数多く、春には桜の名所として、日本さくら名所100選に選定されており、浮見堂周辺で花見を楽しむ人も多い。塀・柵・門などがなく入園料も不要なのでどこからでも、いつでも(365日・24時間)散策することができる。
休憩後は参道を北上して三月堂、二月堂に向かう。途中には奈良県新公会堂の前から左手に東大寺大仏殿が、右には若草山が遠望できる。
東大寺二月堂(国宝)は、奈良時代創建の十一面観音を本尊とする仏堂で現存する建物は1669年の再建で、国宝に指定されている。奈良の早春の風物詩である「お水取り」の行事が行われる建物として知られる。「お水取り」は正式には修二会といい、8世紀から連綿と継続されている宗教行事である。二月堂は修二会の行事用の建物に特化した特異な空間構成をもち、17世紀の再建ながら、修二会の作法や習俗ともども、中世の雰囲気を色濃く残している。
中でも3月12日から14日まで行われる達陀(だったん)の行法と、12日深夜に行われる「水取り」の行法は修二会の代名詞となっている。二月堂前にある若狭井から香水を汲み上げ、十一面観音に捧げる儀式である。これは伝承では若狭国の遠敷明神(おにゅうみょうじん)が湧き出させた霊水であるとされている。
達陀は、異国風の帽子を被り「八天」に扮した練行衆が、次々に内陣正面に走り出て、鈴や錫杖を鳴らしたり、大刀を振り回したり、ハゼ(もち米を炒ったもの)を撒き散らすなどの所作をするもので、クライマックスは火天役の練行衆が、長さ3mもある大松明をかかえて跳びはね、内陣を一周した後、その松明を礼堂に向けて投げ倒し、火の粉を撒き散らす松明加持である。
ともあれ二月堂の舞台に登ると、吊り灯籠の向こうに左奥に大仏殿 大屋根、奈良市内が一望できる素晴らしい風景である。二月堂の回廊を下り東大寺大仏殿裏を抜け、寧楽美術館、吉城園前まで続く土塀の道をたどって、奈良県庁横の文化会館前で解散となる。
一日中ひつじ雲の秋空が広がり、穏やかな陽射しを浴びながら、このところの冷え込みで色づき始めた紅葉をバックに、数々の文化遺産と建造物をたどる心地良いくらわん会例会となった。
取材:永井、吉川、梅原 HP作成:冨田
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北円堂横で朝会風景 |