天満橋から中之島公園を経て、大阪城公園梅林で観梅

第202回くらわん会例会 2013/3/5(火)


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八軒家浜船着き場
アクアライナー
新会員紹介(朝会)
中之島の定刻噴水(放水銃)
休憩
橋下のトンネル
中央公会堂
中之島図書館横
バラ園入り口
バラ園内でトイレ休憩
天神橋へ螺旋階段を登る
大川を警護する警察の船
大阪城内濠に沿って梅林が遠望
観梅の人出でにぎあう
小梅
紅梅と白梅

行程〉:京阪天満橋駅(下車) ⇒ 大川・川の駅”八軒家浜船着場”(集合) ⇒ 天神橋を渡る ⇒ 中之島公園 ⇒ 中之島公会堂折り返し ⇒ 中之島バラ園 ⇒ 天神橋を渡り大川沿いに天満橋駅 ⇒ 追手門学院前 ⇒ 大阪城公園・梅林(観梅・昼食)⇒ 大阪城天守閣前広場(一次解散) ⇒ 京阪京橋駅 (解散)
行程距離〉: 8Km  〈参加者〉: 153名 

 昭和30年(1955年)代前半頃の京阪電鉄の大阪側の始発駅は「天満橋」駅で、まだ地上にあったが現在は地下に潜って見られない。この天満橋駅から地上に出て世話役のガイドに従い大川岸の集合場所「八軒家浜船着場」に行く。
 八軒家船着場は江戸時代以降、京・伏見との間、約45kmの貨客輸送のターミナルとして三十石船で賑わっていた。 元来「八軒家浜」は天満橋のほとりにあったが、 明治43年(1910年)天満橋と京都五条間47kmに後に京阪電鉄になる鉄道が敷かれてその役割を終えた。今は大川を巡る水上バス「アクアライナー」の発着場「はちけんや」ターミナル としてきれいに整備され、すぐ前には「川の駅」や広場が広がり一新されている。 しかし現在、水の都大阪再生の核・水上交通の拠点となる船着場が新たに「八軒家」として完成、水上ターミナルの役目を果たしている。

 本日は快晴で、観梅には素晴らしい一日になりそうだ。 集合場所はこの近くの「はちけんやリバーステージ」だ。 参加者数は新記録に近い153名と溢れている。
 今日のコースの紹介、来月の例会案内と引き続き行われる、200回記念行事の案内の後、多数回参加者への表彰・本日初参加者の紹介があって 10時20分頃くらわん会本日予定のコースへと出発した。

 集合場所の八軒家船着場から「はちけんやリバ−ビュ−ウォ−ク」の川沿いに西に向かい、天神橋の中央部の螺旋階段を2周して 中之島公園に降り立つ。この公園の突端部は戦艦三笠を模しているそうで、螺旋階段をマ ストが突き抜けて偉容を放ち、艦首とみなす部分には大きな放水銃が設置され,毎定時毎に 数分間放水される様は見ごたえがある。 公園では5月のバラ園の開花に向けて整備が終わっている。 バラ園に入ったところで5分間のトイレ休憩した後、園内を西に向かう。

 途中にある中之島公園内で唯一の橋「バラ園橋」を渡り、次のなにわ橋のガード下をくぐると、市民に親しまれている赤煉瓦の「中央公会堂」が見えてくる。辰野金吾らにより設計され、大正7年に開館され、現在は重要文化財に指定されている。 養生中の広場から阪神高速の下を抜けるとバラ園だ。園内では初夏にかけてのバラ祭りに 向けてバラ園の手入れが進められており、時期には観客で一杯になりそうだ。 「バラ園橋」のそばには女性協議会結成記念のモニュメントがある。バラ園は公園の中央に東西500m、面積3,000uにわたって89種、およそ4,000株のバラが植えられているそうだ。

 難波橋下の狭いトンネルを抜けて大阪の誇る重要文化財の「中央公会堂」を目指す。途中には安宅コレクションを収蔵している「大阪市立東洋陶磁美術館」があり、中国・朝鮮の古い陶磁の「考古発掘成果展示展」が3月28日まで行われている。中央公会堂は大正7年に建てられた赤レンガの建物で、ネオ・ルネッサンス建築の傑作と して中之島公園のシンボルである。玄関前には中之島開発に功績があった関大阪市長の銅像がある。

 栴檀木橋と中央公会堂の横を通り過ぎ、中之島図書館と大阪市役所の間を北側に抜け、ここから中之島公園内を堂島川沿いに東に向け進む。
 この間「ばらの小径」として整備中のようで、一本一本の根元に小さな円盤でバラの種類名が建ててある。しばらく行くと「大阪市立東洋磁器美術館」がある。なにわ橋下のトイレ休憩のあと、天神橋の螺旋階段を上り、大川右岸を東に向かう。天満橋のガードをくぐり、大阪みどりの百選の「毛馬桜の宮公園と造幣局の通り抜け」の標識を見ながら川崎橋を目指す。
 川崎橋の出口には川崎地蔵尊が祀られているが、直ぐ京阪電車の線路を越える陸橋にかかる。陸橋は昭和48年に大阪市が「大阪橋」と命名している。さらに地下道を通って大阪城の「京橋口」に至り、11時20分場内に入る。

 天守閣を右に見ながら極楽橋も渡らずに梅林を目指す。1972年(昭和47年)に造園された「大阪城梅林」は、内濠の東側約1.7haの広さに寒梅・小梅・八重野梅・豊後など約1,000品種およそ1,270本が植えられており、早春には色とりどりの見事な花をつけ、訪れる人たちでにぎわっている。折からの天候の良さもあって、梅林に近づくに従い人並みも増え、園内では中々前進が出来ない状態だった。梅の花は紅梅・白梅とも八分咲きで一番の見ごろであった。12時45分まで昼食時間との宣言があり、皆それぞれの場所を決め梅花に囲まれながらの食事を楽しんだ。

 昼食後は梅林内の茶屋の前に集合、茶屋副会長から200回記念行事の追加連絡があった後、天主閣広場に向け午後の部がスタートした。
 内堀から空掘を過ぎ、石山本願寺の跡地に築城したと言われる、本願寺の記念石碑を左に見ながら「桜門」から場内中心部に入ってゆく。
 大阪城のホームページによれば、昭和6年(1931年)、当時の市長関一(せきはじめ)の提案と市民の募金により天守閣の再建が行われた。太平洋戦争の空襲によりいくつかの建物が焼失し、天守閣も各所で破損したが、戦後の全域の公園化と、昭和33年から41年にかけて行われた櫓・蔵などの修復、そして昭和6年当時の天守閣の姿をよみがえらせるために平成9年に行われた「平成の大改修」により今日見られるような姿となったとの事である。

 ここには5000年後の人に現代の姿を伝えられる様、松下電器と毎日新聞が創設したタイムカプセルが天守閣の南地下15mに眠っており、場所を示す金属製の碑が設置されている。
 13時15分、天主閣前広場でリーダーから一次解散宣言があり、天主閣に上る人、写真撮影に専念する人、梅の花をもっと楽しもうとする人など自由行動となって、大半の人はリーダーと京橋駅に向かった。
 天主閣の周りを右回りに半周し、刻印石広場に出て、極楽橋を渡り北外堀に架かっている「青屋門」から大阪城外にでる。直ぐ前が大阪城ホールであとはOBPを通過して京橋駅で解散となった。
                           <取材担当:梅原、中野>

常夜燈
中之島へ出発
大川沿いに天神橋へ
天神橋への長い隊列
中央公会堂へ
中之島公園を市役所へ
第7代大阪市長関一像
三十石舟の石碑
黄色い遊覧船
大川縁を川崎橋へ
中之島公園
大阪城梅林
紅梅の蕾
白梅
梅林
広場から天守閣を望む
梅林の東に高層ビル群
昼からの行動説明
植木の花市
石山寺本願寺跡地を示す石碑
桜門
一休み
大阪城天守閣
タイムカプセル
タイムカプセルの由来
帰路

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