洛東吉田山周辺の紅葉
第199回 くらわん会例会 2012/12/4(火)
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〈行程〉 京阪三条駅 ⇒ 川端通 ⇒ 冷泉通 ⇒ 平安神宮 ⇒ 丸太町通 ⇒ 金戒光明寺 ⇒ 真如堂 ⇒ 竹田稲荷 ⇒ 吉田山 ⇒ 吉田神社 ⇒ 京大前 ⇒ 京阪出町柳(解散) 〈距離〉 7Km 〈参加者〉119名 |
残り紅葉を求めて京都洛東へ。 京都随一のアカデミックなエリア岡崎から上る(北に進む)コースは『くらわん会』にとってポピュラーなように見えて、
実は10年ぶりとなる2回目。 昨夜の雨で出足を心配していたが、集合場所の鴨川遊歩道に集まった元気印は119名。今年の夏は暑く秋も早々に訪れ寒暖の差が大きくなったことで紅葉には好条件! 例年以上に期待出来る!とは事前情報。だが、時期的に少々遅いので「紅葉見られるだろうか」とひそひそ話が聞こえてくる。 12月に入り寒さが一段と厳しさを増したので皆防寒対策は怠ってない。 定例の朝会が始まった。リーダーからいつものように新入会員4人の紹介と多数回表彰などがあり、コース説明の後、ストレッティングを済ませて、いざ出発。鴨川の遊歩道を暫く進んでから冷泉通に入った。左手に疏水(鴨東運河)を見ながら歩く遊歩道はくらわん会の“十八番の道”である。桜の葉は全て落ちてしまっているが処々に紅葉が残っている。左手のレンガ造りが大正3年(1914年)竣工の夷川(えびすがわ)発電所で歴とした関西電力の現役(出力300kw)発電所だ。貯水池の横には、琵琶湖疏水を計画、周囲を根気強く説得して完成させ京都の再生を推進させた第3代京都府知事・北垣国道の銅像がある。 疏水に架かる『れいぜんばし』を渡り京都一のアカデミックな地域『岡崎』に入った。老朽化に伴う改修が行われている京都会館を右手に見ながら進み『平安神宮』に到着。明治28年(1895年)に平安遷都1100年を記念して開催された内国勧業博覧会の目玉として、平安京遷都当時の大内裏の一部を復元、博覧会後に桓武天皇を祀る平安神宮として創建された。京都三大祭で有名な『時代祭』はその紀年祭の奉祝行事。ここで1回目の休憩をとった。季節的なことであろうか修学旅行生や一般の参拝客が少ない。 寒いし時々来ているので皆、ひと塊になってしゃべっているだけだ。 11:05再出発。200mほど東に進んでから岡崎通を左折 、丸太町通との交差点を右折。300mほど東に進むが歩道は“紅葉”に交じって“公孫樹(いちょう)の黄色の葉”で埋まっている。掃除をしている人がいるが、風が吹く度に新たな葉っぱが舞いおりてくる。「たいへんだろうな」と思いつつも秋を実感。やがて角に「黒谷本山(金戒光明寺)への参拝道」の看板。そこを左折すると右手は『岡崎神社』左手は『岡崎別院』。少し勾配のある坂道を登って行くと『金戒光明寺』の南門。 法然上人が比叡山の黒谷を下り草庵を結んだ浄土宗最初の寺院(金戒光明寺)で「黒谷さん」と親しまれる。浄土宗の大本山の1つで、広大な墓地が併設されている。金戒光明寺は徳川初期に同じ浄土宗の知恩院とともに城郭構造に改められ、会津藩主松平容保公が幕末に京都守護職に就任すると、京都守護職会津藩の本陣となり、藩兵1,000人が京都に常駐し1年おきに交替した。会津藩士のみでは手が回りきらなかったため、守護職御預かりとして新選組をその支配下に置き治安の維持に当たらせた。 大河ドラマの影響であろうか崇源院(お江)の供養塔の案内板がまず目に飛び込んできた。お江の横には春日局や徳川忠長の供養塔もある。鳥羽・伏見の戦いで戦死した会津藩士の菩提を弔っている。石の極楽橋を渡り右折、阿弥陀堂・御影堂(大殿)へ、右手には見事な枝振りの「鎧架けの松」がある。 特別公開中とあって観光客は多いが紅葉は既に終わっている。 早々に金戒光明寺見学を終え北門から出て坂を降りてゆくと右手に真如堂がある。正式名は『鈴聾山 真正極楽寺』と云い、『真如堂』はもともと本堂の呼び名である。西門を潜ると右手に三重塔(法華塔)。そこへの道一面に敷き詰められた散り紅葉・黄葉が実に美しい。また鐘楼堂周辺の紅葉が逆光ゆえであろうか格別に素晴らしい。京都のお寺は一般的に人工的な美の印象が強いが、ここ真如堂は自然で素朴な美しさを楽しめ紅葉を楽しむ寺には珍しく拝観料なしだ。また観光客の姿も少なく絶好の観光スポットだ。十分堪能したあと再び西門から出て真っ直ぐ進む。 突き当たりが宗忠神社(むねただじんじゃ)黒住教の教祖である黒住宗忠を祀る神社。右折すると左手に元東伏見宮家の別邸『吉田山荘』。その先を左折した途端に急な登り坂になった。昼食まで最後の力を振り絞り100mほど上ったであろうか右手に『竹中稲荷大神』の鳥居。その鳥居を潜り更に4つ潜ったら左手に『吉田山公園』がある。ここが今日の昼食場所。遠足に来ていた幼稚園児が出迎えて?くれた。まずはお疲れ様でした。 『吉田山公園』にはベンチや遊具もあり、暖かい季節には絶好のピクニック場所であろうが12月初めはさすがに寒い。風による松葉や枯れ葉の洗礼を受けながら昼食をとりだした。広場のすぐ上に京都大学の前身である旧制三高寮歌「紅萌ゆる」の歌碑がある。昼食時間を利用して200~300m先の吉田山頂上まで行った者もいる。その山頂からは京都の夏で有名な大文字が真正面に見える。 その山頂組を待って12:50再出発。急な下り坂を一歩一歩慎重に下りた所が目的地の1つ吉田神社。 貞観元年(859年)平安京における藤原氏の氏神として創建された。この吉田神社は厄除けの崇敬厚い本宮を始め、吉田兼倶が吉田神道(唯一神道)を創始し、その拠点として文明16年(1484年)、境内に末社・斎場所大元宮を建立、全国の神を祀る大元宮等摂・末社が多いが、京都の人には「節分の吉田神社」として有名。ここで今日一の紅葉に出合った。お参りをすませ参道となっている階段を下りると大鳥居を出ると東1条通。 参道を出た所が、国立京都大学吉田キャンパス(中央キャンパス)大学正門で、門を入ってすぐ前に百周年時計台記念館がある。幕末期には尾張藩京都下屋敷が置かれていた。明治22年(1889年)大阪から移転してきた第三高等中学校(のちの旧制第三高等学校)の校地となり、明治 30年(1897年)の京都帝国大学設立に際して校地・施設を譲ったので、京都大学設立以来のキャンパスである。iPS細胞研究所山中伸弥所長が今年ノーベル医学生理学賞を受賞して更に有名になった。東一条通を右折し東大路を百万遍に向かって歩くと両側は、本部キャンパス・西部キャンパスの学舎が並ぶ。百万遍の交差点を横切り、交通量の多い今出川通を避け横道から本日のゴール『出町柳』を目がけて進むが、手前200mで今日は解散。 御苦労さまでした。 皆さん少しは「紅葉」を堪能できましたでしょうかねェ。 <取材 冨田、勝川> |
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