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〈行程〉JR・保津峡駅 ⇒ 保津峡 ⇒ 落合橋 ⇒ 清滝川沿い ⇒ 清滝 ⇒ 清滝トンネル ⇒ 嵯峨鳥居本(一次解散)⇒ 化野念仏寺 ⇒ 嵯峨二尊院(解散) ⇒ 嵐山(JR・京福・阪急) 〈歩行距離〉7km 〈参加者〉113名 |
☆ JR保津峡駅(朝会) ⇒ 保津峡 ⇒ 落合橋 | ||
「川に架かる橋の一部がプラットホーム、眺めは絶景!」という駅は「日本広し」と言えどそんなに無い筈。本拠地枚方から数回電車を乗り継ぎやっと到着した『JR保津峡駅』。歩くことが趣味の人以外は滅多に利用しない無人駅のようで、この日も乗客は1時間でたった1人、 降りたのは『くらわん会』メンバー以外に十数人のみだった。 遠方で しかも『くらわん会』最高難度のコースであるため参加者が少ないのではと予想していたが、どっこい元気印113名が集合した。寒さ対策は万全のはずだがじっとしていると足元から冷える。駅を降りた途端にトイレに駆け込む人の多いこと。お陰で朝会は約10分遅れて始まった。今年最後の『くらわん会』で退任されるお世話係の挨拶や難コースに備え柔軟運動等を終え、いざ出発! 歩き始めてすぐ赤色も鮮やかな鉄橋を渡り、右折後、道は急な上りとなる。右手遠くに保津峡駅が見える。絶景度が増した。道の傍らに地震測定器、更に道路の氷結対策用と思われる塩化カルシウムの袋も発見。『鵜飼隧道』辺りの保津峡メインストリートは曲がりくねり緩やかにアップダウンを繰り返し、しかも道幅は乗用車がやっと通れる狭さだ。 |
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☆ 落合橋 ⇒ 清滝川沿い ⇒ 清滝(渡猿橋)
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落合橋から一般道を離れ『東海自然歩道』に入る。清滝川の左岸を上流に向かう恰好だ。すぐにコンクリート製の橋があり、橋を渡った所で最初の休憩を取った。今度は右岸を上流に進むかたちになった。道幅は狭くなり、岩を削った所や瓦礫を敷き詰めた所もありアップダウンも繰り返す。 おまけに道を敷き詰めている落ち葉は湿り気を含み、注意して歩かなければ川に転落する危険を感じる。 歩道の悪さに加え一歩ずつ慎重に進むので隊列が一挙に長くなり、しかも切れ切れになった。前方から別の歩こう会?の1団体。 我々と同世代のようだ。「こんにちは」の挨拶を掛け合い 道を譲り合っている。何とも気持ちがいい光景だ。が、彼らには負けたくない。 |
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☆ 清滝(渡猿橋)⇒ 金鈴橋周辺(昼食休憩場所) | ||
清滝は、愛宕詣の宿場町の名残を今もひっそりととどめている。観光や歩く目的で来た人以外地元の人の気配はない。 愛宕山の愛宕神社へ向かう参詣路線として愛宕山鉄道が昭和4年(1929年)に建設され、あわせて同社の手により山麓の清滝に清滝遊園地が、また愛宕山にホテルや飛行塔のある愛宕山遊園地、スキー場、テント村などが設置されて賑わった。 嵐山から清滝までの平坦線3.4Km、ケーブル線が清滝川 から 愛宕間約2km(高低差639m)が開設されたが、 戦時中に全線が不要不急線に指定されたことから廃線となり、戦後も復活することはなかった。 廃線と同時に、ホテルなどの観光施設もすべて閉鎖され復活することなく自然に還ることとなり、当時の栄華は全く想像できない。 やがて『金鈴橋』を渡った所でリーダから「昼食休憩!」の声。朝早かったせいか救われた。清滝はさすがに紅葉の名所、遅かった今年の紅葉は今がまさに見頃となっている。秋景を眺めながら、それぞれにケーブル始発駅跡などで昼食休憩を取った。 寒いせいか殆どの人が昼食を早々に済ませ、眼で再出発を急かしている。 |
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☆ 清滝 ⇒ 清滝トンネル ⇒ 嵯峨鳥居本(一次解散) ⇒ 化野念仏寺 ⇒ 嵯峨二尊院(解散)
⇒ 嵐山(JR・京福・阪急) |
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午後の第一歩は厳しい上りになった。やっと平坦な所へ出たと思ったらそこはバス停清滝、ここが嵐山〜清滝の愛宕山鉄道平坦線の終着駅だった。 化野念仏寺は、空海が野ざらしとなっていた遺骸を埋葬したのに始まり、その後、法然の念仏道場、現在は浄土宗のお寺である。境内の約8000体という数の石仏・石塔は、1903年(明治36年)頃に、化野に散在していた多くの無縁仏を掘り出して集めたもので、8月には有名な千灯供養が行われる。 <取材 勝川、吉川、小郷、HP作成 冨田> |
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