保津峡から嵐山

第187回くらわん会例会 2011/12/6(火)

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〈行程〉JR・保津峡駅 ⇒ 保津峡 ⇒ 落合橋 ⇒ 清滝川沿い ⇒ 清滝 ⇒ 清滝トンネル
         ⇒ 嵯峨鳥居本(一次解散)⇒ 化野念仏寺 ⇒ 嵯峨二尊院(解散) ⇒ 嵐山(JR・京福・阪急)
〈歩行距離〉7km  〈参加者〉113名
☆ JR保津峡駅(朝会) ⇒ 保津峡 ⇒ 落合橋
駅から見る保津峡

 「川に架かる橋の一部がプラットホーム、眺めは絶景!」という駅は「日本広し」と言えどそんなに無い筈。本拠地枚方から数回電車を乗り継ぎやっと到着した『JR保津峡駅』。歩くことが趣味の人以外は滅多に利用しない無人駅のようで、この日も乗客は1時間でたった1人、 降りたのは『くらわん会』メンバー以外に十数人のみだった。

 遠方で しかも『くらわん会』最高難度のコースであるため参加者が少ないのではと予想していたが、どっこい元気印113名が集合した。寒さ対策は万全のはずだがじっとしていると足元から冷える。駅を降りた途端にトイレに駆け込む人の多いこと。お陰で朝会は約10分遅れて始まった。今年最後の『くらわん会』で退任されるお世話係の挨拶や難コースに備え柔軟運動等を終え、いざ出発!

 歩き始めてすぐ赤色も鮮やかな鉄橋を渡り、右折後、道は急な上りとなる。右手遠くに保津峡駅が見える。絶景度が増した。道の傍らに地震測定器、更に道路の氷結対策用と思われる塩化カルシウムの袋も発見。『鵜飼隧道』辺りの保津峡メインストリートは曲がりくねり緩やかにアップダウンを繰り返し、しかも道幅は乗用車がやっと通れる狭さだ。

  右手山の斜面に『トロッコ列車保津峡駅』。その時静寂をついてトロッコ列車の到着を知らせるチャイム、皆何事かと驚いたようだ。左手に時々落石注意の看板が現れ 対向車も来る。斜面や谷から流れてきた水で道は所々ぬかるんでおり、また冬支度を急ぐ木々の落ち葉で滑り易い。皆足元に気を付けながら進んでいる。2つ目の『落合隧道』を出たところが朱塗りの欄干の『落合橋』。

JR保津峡駅
駅前広場で朝会風景
柔軟運動
赤色も鮮やかな鉄橋
遠くに保津峡駅
トロッコ保津峡駅
落合橋
☆ 落合橋 ⇒ 清滝川沿い ⇒ 清滝(渡猿橋)
『東海自然歩道』に入る

 落合橋から一般道を離れ『東海自然歩道』に入る。清滝川の左岸を上流に向かう恰好だ。すぐにコンクリート製の橋があり、橋を渡った所で最初の休憩を取った。今度は右岸を上流に進むかたちになった。道幅は狭くなり、岩を削った所や瓦礫を敷き詰めた所もありアップダウンも繰り返す。 おまけに道を敷き詰めている落ち葉は湿り気を含み、注意して歩かなければ川に転落する危険を感じる。

 歩道の悪さに加え一歩ずつ慎重に進むので隊列が一挙に長くなり、しかも切れ切れになった。前方から別の歩こう会?の1団体。 我々と同世代のようだ。「こんにちは」の挨拶を掛け合い 道を譲り合っている。何とも気持ちがいい光景だ。が、彼らには負けたくない。

  1回目の休憩から20分ほどしか経ってないが2度目の休憩をとった。昼食場所まであと0.7Kmの地点。残っているエネルギーをフル回転、再び狭く滑り易い道との格闘が始まった。このあたりはゲンジボタル(天然記念物指定)が飛び交う豊かな自然に恵まれた地域だ。悪路に慣れてきた頃、鉄骨製の『清滝橋』(青龍橋)、続いて朱色も鮮やかな『渡猿橋』を渡る。

渡猿橋の直下の左岸には、大理石に刻まれた与謝野晶子の碑文があり「 ほととぎす 嵯峨へは一里 京へ三里  水の清滝 夜の明けやすき 晶子」とある。少女の頃、母と共にここを訪れ一夜を過ごした折々の初夏の早朝の情景を詠んだもので、「明星」の明治34年7月号に発表されたものだ。

コンクリート製の橋を渡る
最初の休憩
右岸を上流に進む
狭く滑り易い道との格闘
鉄骨製の『清滝橋』
朱塗りの渡猿橋
金鈴橋
☆ 清滝(渡猿橋)⇒ 金鈴橋周辺(昼食休憩場所)
金鈴橋2
 清滝は、愛宕詣の宿場町の名残を今もひっそりととどめている。観光や歩く目的で来た人以外地元の人の気配はない。

  愛宕山の愛宕神社へ向かう参詣路線として愛宕山鉄道が昭和4年(1929年)に建設され、あわせて同社の手により山麓の清滝に清滝遊園地が、また愛宕山にホテルや飛行塔のある愛宕山遊園地、スキー場、テント村などが設置されて賑わった。

  嵐山から清滝までの平坦線3.4Km、ケーブル線が清滝川 から 愛宕間約2km(高低差639m)が開設されたが、 戦時中に全線が不要不急線に指定されたことから廃線となり、戦後も復活することはなかった。

  廃線と同時に、ホテルなどの観光施設もすべて閉鎖され復活することなく自然に還ることとなり、当時の栄華は全く想像できない。

  やがて『金鈴橋』を渡った所でリーダから「昼食休憩!」の声。朝早かったせいか救われた。清滝はさすがに紅葉の名所、遅かった今年の紅葉は今がまさに見頃となっている。秋景を眺めながら、それぞれにケーブル始発駅跡などで昼食休憩を取った。   寒いせいか殆どの人が昼食を早々に済ませ、眼で再出発を急かしている。
ケーブル始発駅跡看板
愛宕山登山道
ケーブル駅跡で昼食
昼食休憩
紅葉の景色1
紅葉の景色2
紅葉の名所清滝
☆ 清滝 ⇒ 清滝トンネル ⇒ 嵯峨鳥居本(一次解散) ⇒ 化野念仏寺 ⇒ 嵯峨二尊院(解散)
      ⇒ 嵐山(JR・京福・阪急)
清滝を出発

 午後の第一歩は厳しい上りになった。やっと平坦な所へ出たと思ったらそこはバス停清滝、ここが嵐山〜清滝の愛宕山鉄道平坦線の終着駅だった。
  愛宕山鉄道のトンネルであった『清滝トンネル』を行く。車は片側時間差通行で電灯の薄明かりを頼りに恐る恐る歩くが、車が通る時の騒音や風圧は迫力満点! いや危険満点だ。このトンネルは、京都有数の心霊スポットといわれている。
  やっとの思いでトンネルを出たら右手に天台宗の愛宕念仏寺、参拝者が自ら彫って奉納する『昭和の羅漢彫り』が1981年から始まり、10年後には1200体に達したお寺だ。

  さらに進むと鳥居本の有名な『平野屋』。嵯峨鳥居本は、古くは化野(あだしの)と呼ばれ、京の人々の埋葬の地であった。現在の町並みは愛宕神社の門前町として発展したもので、化野念仏寺を境に瓦屋根の町家風民家が並ぶ下地区と茅葺きの農家が多い上地区と二つの風景が共存する。1979年に国の重要伝統的建造物群保存地区として選定された。 ここで一次解散し、街並みをぶらぶら覗きながら帰るもよし、一目散に駅を目指すもよしとなった。

 化野念仏寺は、空海が野ざらしとなっていた遺骸を埋葬したのに始まり、その後、法然の念仏道場、現在は浄土宗のお寺である。境内の約8000体という数の石仏・石塔は、1903年(明治36年)頃に、化野に散在していた多くの無縁仏を掘り出して集めたもので、8月には有名な千灯供養が行われる。
  道の両側のこじゃれたお店を見ながら二尊院に到着。ここが今日の最終解散地点。ここからは嵯峨野の風情を楽しみながらそれぞれで嵐山(JR・京福・阪急)に向かった。お疲れ様でした。

<取材 勝川、吉川、小郷、HP作成 冨田>

バス停清滝
清滝トンネル1
清滝トンネル2
鳥居本平野屋
化野念仏寺1
化野念仏寺2
清涼寺多宝塔

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