<行程> 近鉄京都線・山田川駅(集合)⇒松下資料館⇒相楽(さがなか)神社(昼食)⇒大智寺⇒御霊神社⇒JR・木津駅(解散)
<行程距離> 約6km <参加者> 123名
近鉄・山田川駅に集合との事で、JR東西線や京阪・丹波橋から近鉄で来た人いろいろだが、定時には123名の参加でスタートとなった。朝の行事があって10:20出発、
国道22号線に沿って南行、京奈和自動車道の下をくぐると、松下資料館が見えてきた。右折し、回り込み正面入り口になり係の人から案内パンフレットを頂く。先日NHKで放送された「神様の女房」では松下創業者と奥様の間で交わされたであろう会話の数々を真剣に見られた方々も多かったと思うが、ここの資料館では創業者の事業についての心情がすべて展示やビデオで分かるようになっている。ほんの40分間の見学だったが、別途時間に余裕をもって見に来たいものである。
11:00松下資料館をあとに国道22号線を横断して東へ向かう。京奈和自動車道の下を潜り、法泉寺を過ぎた所の点滅信号を左折、木津川漁業組合の養殖池を見ながら北上、道端のコスモスを愛でながら行くこと10分、橙色に見事に実をつけたピラカンサの家で右折、昼食予定地の「相楽(さがなか)神社」に向かう。
11:30から12:15 ランチタイム。社前の二棟の神楽舞台をお借りしての昼食となった。
相楽神社は本殿が三間社流造り、屋根は勾配の緩やかな檜皮葺で、室町時代初期に作られたと見られている。この神社の正月行事と「御田」は京都府有形文化財なっており、豆焼、粥占、餅花、水試(みずだめ)などがある。
午後は国道163号線の地下道を通り山田川沿いに北東に進む。JR西木津駅近くの踏切をすぎ、川尻の集落を右手に見ながら泉小橋の袂を越えて行くと鹿川と井関川の合流した箇所の下河原橋になり、この橋の対岸が木津川本流の左岸堤防で、この上を延々と歩くことになる。途中河原の木津グランドでトイレ休憩15分とる。
木津川と平行してJR学研都市線が走っているが、殿城地区の線路のそばに和泉式部の墓碑があるようだが、今回はパスして次の目標地に向かう。
13:05、国道24号線の泉大橋の袂にある「大智寺」に到着。このお寺はかって「橋柱寺」と呼ばれていたようである。奈良時代にあった泉大橋が洪水で流され、残っていた橋柱で「文殊菩薩」を彫り、安置したのが「橋柱寺」でその後「橋柱山大智寺」となった。本尊の文殊菩薩坐像は残念ながら拝見は出来なかったが、境内の解説文によると半跏の姿勢で獅子に乗った、寄木造りで、宋風の像高65.5cmの像で、鎌倉時代の作で快慶が作ったとも言われている。境内では「国民文化祭・京都2011」「こころを整える〜文化発心」の幟がはためいていた。
13:10、次の御霊神社に向かう。いったん木津市内の細い道から右折、国道24号線の下を通り府道47号線を東行、JR奈良線の踏切を超えて、「御霊神社」に着く。
本殿は三間社流造りで同じ高台にあった昔の灯明寺の鎮守社だったもので、今は兎並区の氏神として祀られている。旧灯明寺の跡地には本尊など5体の仏像を安置する収蔵庫が設置されている。11月3日には一般公開が行われるようだ。
「御霊神社」を出た後、JR関西線の踏切を渡り終着点のJR木津駅に向かう。JR木津駅は北口を新設するための工事が行われており南側の正面入り口に向かう。
線路の下の通路は、JRの明治以来の発展を示すように、幾度も改築された跡が生々しく、まさに長い歴史を感じさせる風景だった。
13:50頃、JR木津駅前にて自然解散となった。
今回のくらわん会例会「木津の町散策(寺社巡り)」は終日快晴に恵まれ楽しい1日だった。
<取材:梅原、中野、吉川 HP作成:梅原>