今回の舞台『服部緑地』は府下4大緑地公園(他は『久宝寺緑地』『大泉緑地』『鶴見緑地』で、鶴見緑地のみ市営)の1つ。昭和25年8月1日開園でその歴史は一番古い。
甲子園球場の33倍の広さを誇り、『日本の都市公園100選』にも選ばれている大規模総合公園で、年間600万人の入場者があるという府下最大の公園だ。
GWの真っ只中の5月3日(憲法記念日)、本拠地の枚方市駅から電車を乗り継ぎ約1時間で、服部緑地公園の玄関口となる北大阪急行線『緑地公園駅』に到着した。そこは『緑地公園駅ビル』の地下1階、早朝ではあるが既にビル内のいくつかの店舗は営業を始めている。
その店舗を見ながら約50mほど進むと外に出た。周囲はマンション風の建物ばかりだが、そこは木々に囲まれたちょっとした広場になっている。犬を散歩させている人、早朝にも拘らずティッシュペーパを配る人、自転車を止めしゃべりながら待ち合わせをしている学生のグループなどがいるが、緑地公園を目指すリュック姿?が少ないように感じる。
電車のダイヤを考慮し、いつもより少し遅れて朝会が始まった。数日前と違い今日は少し肌寒く曇り空、雨の心配が心をよぎる。が、集まった130余名の元気印に今回も天は味方してくれるであろう。多数回表彰やコース説明に続き、今日はメンバーの1人中島さん指導によるストレッチ体操を行なった。身体が暖かく気分が爽快になった所でいざ出発。服部緑地公園までは木々に囲まれた広い緑道だ。数分で公園東中央広場の入り口に到着した。
当初計画していたコースを少々変更し公園内だけを廻ることにしたので、進路をなるべく公園外周へと取る。直ぐ目に飛び込んできたのが乗馬センター。乗馬する姿勢が素晴らしく思わず“かっこいい”の声。こんな場所(失礼!)に結構な頭数の馬が飼育されていると感心した。
車道と並行した外周を歩く。「車が多いなァ」と感心していたら第一駐車場は既に満車状態。これで分かった。公園駅の利用者が少ないのは多くが車で来ているからだ。
ランニングや犬の散歩をしている人が急に目立ってきた。日本民族集落博物館辺りで一回目の休憩。まだ20分ぐらいしか歩いていない。スケートボードで興じる子供・バトミントンで遊んでいる人など急に人が増えたような気がする。
その合間を縫って大きな箱やクーラーボックスをキャリアで運ぶ人がいる。BBQのための器具と材料のようだ。そういえば何処からともなく良い匂いが漂ってきた。再出発した途端、居るは居るは、既にBBQを楽しんでいる人達が。無料の「ちかくの森」は既に超満員だが、その近くにある有料BBQ広場は中学生たりがゆったり余裕を持って楽しんでいる。
約10分して『公園管理事務所』前に到着。「展示品見学のため20分休憩に入ります」の声。管理事務所内にある展示コーナーには公園内の昆虫・そこで採れる木の実、その木の実で作った作品があるが規模は小さい。数分で見終えた人は隣にある『陸上競技場』で行われている全日本薬学生対抗陸上競技大会を見物している。日本には実にいろいろなグループの競技大会があるものだ。
休憩後の進路も公園外周。西中央広場から『みどり橋』方面へ。公園を出て左折、天竺川に沿って数分、ウオーターランド辺りで左折し再び公園内の道に入ってきた。 公園内には10数個の池があるがその1つ『山ヶ池』に沿って暫く歩く。
還暦を過ぎたこの公園には既に役目を終えた古木も多く、切り株もいくつか目にした。「木々も世代交代かな」そんな思いを抱きながら本日の昼食場所『円形花壇』がある公園中央へと向かった。
『円形花壇』は、今上天皇と美智子妃殿下のご成婚を記念して昭和34年作られた。12時には少し早いが、早朝出勤?と途中で嗅いだBBQの臭いのせいか結構お腹もすいている。薄曇りだが気温も大分上ってきて寒くなく、時間もたっぷりあるのでピクニック気分の余裕の昼食タイムとなった。円形花壇やその横にある『梅林』など食事を取る場所には事欠かない、皆が何処で食事をとっているのか分からないくらいに散らばった。
13時再出発。毎年GW前後に開催しているのであろう『植木市』を見ながら通り過ぎて行くと『野外音楽堂』から声が。演奏ではない。恐らく演奏の合間にトークでお客を笑わせているのであろう。が、その声が広大な公園には心地よいBGMになっているので不思議である。
『新宮池』の横を通り『都市緑化植物園』を目指す。本来は火曜日が休園日だが、祭日のため今日は開園している。 少々早いが今日はここが解散場所。 お疲れ様でした。
この機会に植物園を見学する人、次のスケジュールのために『緑地公園駅』に急ぐ人、「今からどうする?」と話合っているグループなど様々だが、雨の心配は全く無くなった。
今回は時間の都合で服部緑地内だけの歩行となり、多くの参加者が再び北大阪急行線を選んだようだが、変化と新たな発見を求めて公園の西出口から阪急電車に向かった健脚もいたかもしれない。乗車駅は『曽根駅』か『岡駅』であろう。
その1つ岡駅は、その昔交通の要衝であった『能勢街道』と『伊丹街道』の結節点近くにある。近くには有名な『原田神社』、その門前町をなしている街道筋には『ナマコ壁』の旧家も見られ、歴史に触れ見聞を広げるには興味をそそられる地域であるが、1995年の阪神大震災で多くの古い家が壊れてしまったとも聞いている。
<取材:冨田、勝川 HP作成:冨田>