宝積寺・山崎聖天さんからサントリ-山崎工場へ

第136回くらわん会 2007/9/4

HR
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離宮八幡宮
離宮八幡宮
離宮八幡宮を出発
JR駅前、妙喜庵
宝積寺への参道
宝積寺の階段
宝積寺三重の塔
青木葉谷広場に向かう
右に折れて下る
昼食
サントリー山崎醸造所

コース:阪急大山崎駅 ⇒ 離宮八幡宮 ⇒ JR大山崎駅 ⇒ 宝積寺 ⇒ 山崎聖天堂 ⇒ 公園(昼食) ⇒ サントリー山崎工場見学 ⇒ 阪急大山崎駅 

 阪急大山崎駅西5分程にある、嵯峨天皇縁の離宮八幡宮に103名が集合した。厳しい残暑の中、大山崎の離宮八幡宮 から天王山を目指し、途中から観音寺・山崎聖天 さんへと下り、水生野( みなせの) と呼ばれた山崎の名水で醸造するサントリー山崎醸造所を見学するコースである。

 平安末期、「離宮八幡宮」の社司が荏胡麻を栽培し、長木という道具を開発して大量の搾油を始めた。採れた油は宮中にも献上され、社司は「油司」と認定される。後の鎌倉・室町時代には、「油座」の本所としてえごま油の製造・販売権を独占しおおいに栄えた。いまも植物油の総元締めとして、全国の製油メーカーから油が奉納されている。電気のない時代には油による灯明が人々にもたらしたのは、単なる明るさ以上のものであったろう。もとは嵯峨天皇の離宮とされたことから、「離宮」の名の残った神社である。

 京都府と大阪府の県境に立つホームがあるJR 山崎駅前を通って、右手に室町時代後期、東福寺の僧 春嶽が開山したという妙喜庵を眺めながら進む。妙喜庵には千利休が創作した唯一の茶室とも いう「待庵」( 国宝) がある。
  JR大山崎駅横の幅広い踏切を渡ると、天王山頂上に続く舗装された急な坂道。熱中症に気づかいながらゆっくり歩を進める。宝積寺(宝寺)の山門にまっすぐ続く参道の右側には、桃山時代建立された三重塔(重要文化財)があり、仁王門の両側では、重要文化財「木造金剛力士立像」2体が恐ろしい顔で見下ろしている。
 奈良時代、天武天皇の第一皇子は、夢に出てきた龍神さんから「打出」と「小槌」をもらったそうだ。これで左の手の平を叩けば果報がもたらされるという。それから数十日後に、皇子は天皇の位を譲り受け聖武天皇となった。天皇は行基に命じ、景勝地「山崎」 に小槌を奉納する寺を建立した。それが、宝寺とも呼ばれる「宝積寺」だ。後にこの寺で修行したと伝えられるのが、「一寸法師」でみごと鬼を退治し、打出と小槌で立派な若者にしてもらったのは周知のお話し。

  暫し休憩後、濃淡の緑に覆われた、天王山周辺の森林の坂道を更に行き、右折して下ると商売繁盛、良縁和合で有名な観音寺(山崎聖天堂)がある。「観音寺」の鎮守「聖天さん」は、実に魅力的である。首から上が象、首から下が人間のかたちをした双身が、男天と女天として相抱きあう秘仏である。聖天さんはもとはインドの象頭種族、美女になりすました十一面観音にほだされ、聖天となったそうだ。またの名を「歓喜天」と聞けば、何やら親しみやすい気がしてくる。お寺の創建は平安期の宇多天皇、開山は江戸初期の僧、木食以空上人と伝わる。賽銭をあげ、お参りしている人は一体何を願っているのだろうか。長い階段を下りきると、山崎の町や遠くに山々が見渡せる、昼食休憩する公園。各自、木陰を選び早めの昼食をし、午後のサントリー山崎工場見学に備える。

 ここで問題発生、出発前、総リーダーの行程案内があったにもかかわらず、 一部リーダの案内により、健脚組十数名が天王山頂上に向かい、午後の出発時間に 間に合うか否か心配させられた。総合的に判断する総リーダーの指示が徹底されなけばと反省させられる。

  これからサントリーへ。緑の木々と夏花、遠くに天王山の山並みが見える山崎工場の玄関前からの景観が素晴らしい。それにも増して受付の山上さん、案内の山下さんの笑顔と応対振りが良く見学もまた楽しい。

  二条小麦の麦芽、ピートなどの原材料から始まり、醗酵、蒸留、熟成工程につき丁寧な説明を受けた後、ゲストルームで「山崎」、「白州」の水割りを試飲した。「山崎」は枯れた旨さ、「白州」は若者の荒々しさがあった。厳しい暑さの中、無事、名刹巡りから工場見学まで終えて解散、大山崎駅で解散した。
(担当:清水、冨田)

103名が集合
JR駅前、妙喜庵
JR大山崎駅踏切
急坂を登る
仁王門
宝積寺拝殿
さらに急坂を登る
山崎聖天さんの長い階段
再びJR山崎駅へ
ゲストハウス
蒸溜室
蒸溜ポットの説明
ゲストルームで試飲

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