しだれ櫻満開・琵琶湖疎水から山科疎水を往く

第131回くらわん会 2007/4/3(火)


(写真をクリックすると大きくなります)

三条鴨川の河原に集合
石田副会長からの挨拶
鴨川の堤防を上がる
夷川発電所付近の桜
琵琶湖疎水記念館横の噴水
お花見遊覧船
琵琶湖疎水記念館横の噴水
南禅寺の僧
南禅寺三門
七福思案処
永興寺の広場で昼食
山科へ
山科疎水沿いに駅へ
<行程>⇒コース地図(ここをクリック)
京阪本線三条駅・鴨川河川敷の川端御池付近集合  ⇒ 琵琶湖疎水・平安神宮西横疎水沿い ⇒ 疎水記念館 ⇒ 南禅寺水路閣 ⇒ 七福思案処 ⇒ 永興寺下広場 ⇒ 琵琶湖疎水左岸沿いに ⇒ 諸羽神社 ⇒ JR山科・京阪山科駅
<距離> 約8.5km  <参加者数> 131名

 集合場所になった鴨川縁の川風はまだまだ冷たい、天気は快晴、花を愛でながらの絶好のウォーキング日和である。定刻には、交通の便も良いせいか続々と参加者は増え131名になった。
 今月の担当総リーダ石田副会長から、今日のコース説明と注意事項を聞き、恒例の多数回賞の表彰、来月のコース説明などを終え、早々に出発した。
 河川敷を北へ向けて大池橋下、ニ条大橋(川端ニ条)下をくぐり、田辺小橋から堤防上に上がり、琵琶湖疎水沿いの並木歩道を東へ歩く。疎水沿いの桜は満開に近く水面に映える桜並木は見事である。花を愛で、写真を写しながら歩く。間もなく左に夷川発電所がある。正面レンガ作りの建物は、大正3年(1914)の建設である。
 琵琶湖疎水は「北垣国道」が第3代京都府知事として在任中に、東京遷都のため寂れて行く京都に活力を呼び戻すため、琵琶湖疎水を建設した。疎水の水力で新しい工場を興し、船で物資の行き来を盛んにしようと計画し、5年の歳月を経て明治23年(1890)に完成し、明治24年、蹴上げに日本初の商業用水力発電所が稼働した。現在では、147万人市民の水道と電力を供給している。
 疎水に沿って右に曲がると左に京都会館がある。川端通りを左に曲がると国立近代美術館と京都市美術館があり、その間に平安神宮の大鳥居が偉容を誇っている。遷都千ニ百年事業で色が塗り替えられて綺麗になっていた。桜花と朱色の大鳥居が見事に調和して春の景色を満喫させてくれる。
 平安神宮は明治28年に着工、大正2年に完成した。天正年間に豊臣秀吉によって造営された、三条大橋、五条大橋の橋脚が使用されている。ご祭神は、第50代桓武天皇と第121代孝明天皇である。西神苑には、菖蒲、睡蓮、コウホネの群生する池がある。
 疎水沿いの桜並木は満開まじかで道行く人の心を和ませていた。
 程なく琵琶湖疎水記念館に着く、ここで記念館見学とトイレ休憩を兼ね小休止した。記念館には、この事業は明治維新の東京遷都で人口の1/3が流出し、衰退し往く京都を再興させるための事業であり、その全容が記録・展示され、また当時先進的な疎水建設の関係資料が展示されている。
 記念館を出発して、南禅寺の境内を通り、思案処へ向かう。桜の陰に垣間見える壮大な三門(大門の両脇に小さい門がある)を左に見ながら、文明開化と共に造られた今も現役の水路閣(疎水)をくぐる。
 南禅寺は、正応4年(1291)亀山上皇が無関普門禅寺(大明国師)を迎えて開創された。亀山上皇は正応2年離宮禅林寺殿で、出家され法王(法名・金剛眼)になられた。嘉元3年法王は、離宮には伽藍として機能するものが無いので、南禅寺第2世として規庵禅師を選任され、伽藍建立の任を課された。規庵禅師入寺からおよそ15年後に、ようやく南禅寺が完成した。南禅寺の境内は広く、観光客も多い。境内に疎水の水路閣が通っている。
(全長93.17m、全幅4.06m、水路幅2.42m)
 インクライン・水路閣から西500mの所にある。わずか600mの間に33㍍の落差があり、大津から来る船の運行が出来ないため、傾斜面にインクラインと言う軌道を施設し、船を台車に載せて運行を可能にした。
 水路閣を過ぎて山道に入ると急な登り道になり、すでに予告されていたステッキを取り出して登りはじめる。列がかなり長くなった。暫く登ると、昔の旅人がどっちへ行こうか思案したといわれる峠に着いた。此処が七福思案処である。5叉路になっていて、南禅寺、山科毘沙門天、大文字山の道標がある。此処で小休止する。
 元気が快復した所で山科へ向け出発、此処から再び琵琶湖疎水に出るまで下り道だ、足元に注意しながら一気に下る。12時10分「永輿寺(ようこうじ)」下の公園に到着。三々五々各自適当な場所を選んで桜を見ながら昼食をとる。
 13時、腹ごしらえは出来、元気に出発。改修されたばかりの琵琶湖疎水に沿って、東山自然緑地ジョギングコースを歩く。疎水の右岸を行き本圀寺下の橋を渡って、琵琶湖疎水上流に続き、分線・山科疎水左岸を歩く。ここから一転して平坦で整備された道に変わり、疎水沿いのしだれ桜が見事に満開、終点まで延々と続き今日のウォーキング・コース後半のビッグポイントである。
 右に天智天皇山科稜がある。天智天皇は、第38代天皇・推古34年(626)~天智天皇10年
(672)。ジョギングコースから外れて降りると終着点、諸羽神社の境内に入る。ここで佐々山会長から解散の挨拶と、JR・京阪山科駅までの案内があり解散。
各自友と語らいながらそれぞれ家路についた。
紀行記事 : 安井 重仁・梅原 光弘
琵琶湖疎水遊歩道へ
鴨東運河沿いの桜並木
京都府知事 北垣国道 の銅像
満開の桜の下を行く
見事に咲き揃った疎水沿いの桜
南禅寺大門
水路閣
七福思案処からの下り
昼食後の柔軟体操
山科に向け出発
山科疎水の桜並木
天智天皇陵横を行く
桜の大樹と菜の花
菜の花と桜の競演
諸羽神社で解散
琵琶湖疎水・美術館横の桜
桜十選:琵琶湖疎水・美術館横の桜
平安神宮の赤い橋を望む
桜十選:平安神宮の赤い橋を望む
桜に霞む南禅寺三門
桜十選:桜に霞む南禅寺三門
小輪の花が密集
桜十選:小輪の花の密集
白い大輪の花
桜十選白い大輪の花
ピンクの大輪の花
桜十選ピンクの大輪の花
葉桜の緑とのコントラストが美しい
桜十選:葉桜の緑とのコントラストが美しい
疎水を覆うように桜
桜十選疎水縁の大樹
菜の花の黄色との調和
桜十選:菜の花の黄色と桜の大樹
山科疎水の桜
桜十選:山科疎水の桜
来月の行程と集合場所の説明
野口リーダーから来月の行程と集合場所の説明
北垣国道の記念碑
北垣国道知事(1836~1916)の功績を称えた記念碑
疎水竣工100周年記念碑 琵琶湖疎水竣工100周年記念碑
山頂の祠

山頂の祠
昼食前に世話役ミーティング
永興寺下公園に到着、昼食前に世話役ミーティング
山科諸羽神社も近い
山科安朱辺り間もなく諸羽神社に到着

HR

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