枚方東部の神社へ初詣

第128回くらわん会 2007/1/9

HR
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津田駅を出発
地下道の壁絵
地蔵池の堤防
春日神社(津田)
津田高校
穂谷川沿いに
杉中学前
甑炉(溶解炉)
王仁公園で昼食
王仁博士の墓石
<行程> ⇒コース地図(ここをクリック)
JR・津田駅 ⇒ 地蔵池 ⇒ 春日神社 ⇒ 津田高校 ⇒ 杉中学校 ⇒ 旧田中家鋳物資料館 ⇒ 王仁公園 ⇒ 伝王仁墓 ⇒ 菅原神社
<距離> 約8km  <参加人員> 114名

 津田駅に集まった人達は、いつもと同じ顔ぶれではあるが、年も改まって互いに今年も元気にやりましょうと新年の挨拶などを交わしあう。
  今日はお正月らしく枚方の古い神社をめぐり参拝をすることに。津田高校美術部の明るい壁絵に飾られた津田駅北のガードを潜り、マンション群を抜けると新しい住宅の裏に影見池がある。影見池は、いつも清水を湛えていたので、惟喬親王が遊猟のとき、見失った愛鷹が池面に写る姿から発見されたという伝説を残している。田を養ってきたこの池も宅地化の波にのまれその役割を終えたが、枯れることなく湧く水が惟喬親王の秘話を今に伝えている。
 この地方を治めた津田周防守の山城があった国見山を右手に見ながら北に進むと、地蔵池にぶつかる。地蔵池は明治16年の大旱魃の時に津田の人々が、家伝来の系図を質入してまで私財を集めて大改修をしたため池で、付近から石地蔵が沢山見付かったのでこの名前が付いた。池の横には沢山の地蔵が祀られ、オアシス公園が設けられている。 地蔵池の大きな土手を下っていき、昔ながらの古い家並み、そのなかに幼稚園などがある細い路地を行くと春日神社にやって来る。
 津田は昔、穂谷にある三之宮神社を氏神としていたが、嘉吉2年(1442)三之宮の内宮として春日4神を勧請して春日神社ができた。 津田村の村社として親しまれた社、中に入ると広い境内があり幼稚園児も来ており、神主さんも今日は正装している。一行はお参りし、しばしここで休む。
 307号を横切り、津田高校のあたりから右手に入る。穂谷川自然巡回道路の標識がある。右手には惣喜池があり、穂谷川が流れ、こんもりした林がある散歩道。自然を満喫しながら歩く。左手のほう、王仁公園の前あたりは今まであった林が切り取られ急激に宅地開発が進んでいるのを見ると、自然は残してほしかったと残念に思う。杉中学の校舎からは生徒が手を振り、我々老人を励ましてくれる。
 王仁公園の一角にある旧田中家鋳物資料館に入ってきた。江戸時代に栄えた鋳物師の田中家がその伝統の鋳物の技術を残そうとこの資料館が出来た。鋳物を作る道具やら技術を展示、昔の民家、民具なども展示、弥生時代の掘立て住居の復元などを興味深く見て回る。入場無料で公開しており小学生などには人気のスポットなのであろう。構内には枚方文化財研究調査会の建物もあり、遺跡からの出土品の分類、復元の作業をやっている。
 王仁公園の中で弁当になる。今日は天気もよく暖かくなってきた。皆、思い思いに、あるいは椅子に座り、あるいは筵を敷いて車座になるなどしてしばし憩う。新年でもあり熱燗をちょっぴりときこしめしている人達もいる。
 伝王仁墓へはまた細い路を行くと、藤阪東町の住宅街の中にひっそりとその墓がある。昨年出来たばかりの百済門がこじんまりとしてはいるが、極彩色に彩られて正面に立つ。応神天皇の時代に百済からこの地に王仁博士が伝えたという漢字が言ってみれば日本文化の源流でもある。今その博士の墓の前に立ち、枚方という地は歴史と文化の伝統が息づく素晴らしいところであると、改めて感じる。
 程なく菅原神社に着く。長尾村の時の殿様が建てたもので菅原道真を祀っている。鳥居を潜り長い参道を行くと奥に神殿がある。三が日も過ぎて今はお参りする人もないが、思わぬ参拝者で道真様もさぞやお喜びになっているだろう。
石田富雄、小郷伸一記
地蔵池から国見山を望む
津田元町
春日神社境内
藤阪駅が見える
西部新道
旧田中家鋳物資料館
王仁公園
百済門
菅原神社参道
菅原神社(長尾)
本殿で参拝
鳥居前で解散

JR津田駅に集合
津田駅前に119名が集まり、佐々山会長から新年のご挨拶
影見池
影見池は、いつも清水を湛えていたので、惟喬親王が遊猟のとき、見失った愛鷹が池面に写る姿をみて発見されたという伝説を残している
鳥居下のしめ飾り
鳥居の下の低い位置にしめ飾りが渡してあり最敬礼で入場
御手洗場
御手洗場でまずは手を清めて参拝へ
参拝
津田は昔、穂谷にある三之宮神社を氏神としていたが、嘉吉2年(1442)三之宮の内宮として春日4神を勧請して春日神社ができた
神社を出発
春日神社を出発し津田本通りを307号線に向かう
穂谷川自然巡回道路
津田高校の先のあたりから右手に入る。穂谷川自然巡回道路の標識がある
自然巡回道路
穂谷川自然巡回道路を自然を満喫しながら歩く
王仁公園通り
森の中の道だった王仁公園通りの左手は、昨年に伐採開発され一大住宅地に変貌、自然は残してほしかったと残念に思う
梵鐘の型展示
鋳造した梵鐘は、判るだけでも44口を数えるが、大半が戦時中に供出、残っているのは15口で、枚方で現存するのは渚院観音寺の梵鐘だけ
復元竪穴住居
資料館を入った右手に弥生時代の復元竪穴住居、田口山遺跡で検出されたものを基に上部構造を復元したものがある
恒久平和のモニュメント
1987年に戦争による犠牲者の霊を慰め、核兵器の廃絶と恒久平和を祈念し建設された
史跡伝王仁墓
4~5世紀に百済から日本に漢字や儒教を伝えたとされる王仁博士の墓と伝えられている王仁塚には昨年、百済門が設置された
長尾台
藤阪東町から長尾台に抜け道路に出る、この道路は307号と長尾駅を結ぶ幹線
正俊寺
菅原神社手前にある正俊寺は、江戸初期に長尾村に陣屋を構えていた領主、久貝家の菩提寺(曹洞宗)で初代久貝因幡守正俊氏追善の為に建立された
東風吹かば
「東風(こち)吹かば匂ひおこせよ梅の花 主(あるじ)なしとて春を忘るな」と詠まれた菅原道真公は、ことのほか梅を愛された
撫ぜ牛
撫で牛の像は、菅原道真公が亡くなられたのが丑の年、丑の日、丑の刻というところから奉納され、触れば患部が直ると信じられている

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