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近鉄・新田辺駅西口集合 ⇒ 一休寺 ⇒ 薪(たきぎ)神社 ⇒ 甘南備山・神奈備神社(昼食) ⇒ 一休寺(解散) ⇒ JR・京田辺/近鉄・新田辺駅 <距離> 約7㎞ <参加人員> 114名 急に肌寒くなったとはいえ快晴の絶好なウォーキング日和のなか、名残もみじの美しい一休寺から甘南備山を訪れました。 定刻には、本年の平均を若干上回る114名の参加者が集合し、全体ミーティングで歩行に際して地元の人たちにご迷惑にならない行動をと、佐々山会長からの注意があった。 近鉄新田辺駅西口から西へ、JR・京田辺駅南の踏み切りを越え、古い民家が残る市街地を抜ける。狭くて車の往来の激しい旧街道を注意しながら横断し、狭い道をゆくと松代稲荷社にでる。天井川の天津神川の高い堤防を登ると、田園地帯が広がり甘南備時の横を抜け少し街道をゆくと一休寺(酬恩庵)の門前に出る。 一休寺は酬恩庵とも称し、室町時代一休禅師が晩年25年間(1456~81)88歳で亡くなるまで住寺となった有名な寺。師走のころに想う句に、「門松は 冥土の旅の 一里塚 目出度くもあり 目出度くもなし」がある。 門前の紅葉は名残を惜しむかのように美しく、落ち葉で彩られた緑の苔もまた美しい。奥のほうに有料拝観の庭園が広がるが、希望者は帰りに立ち寄ることにし、15分の休憩で出発、すぐに少し落ち葉に埋もれた、薪(たきぎ)神社に着き小休止、ちびっ子広場を抜けて手原川沿いに甘南備山に向かう。 橋を渡って山裾の棚田が広がるのどかな道を行く、小春日和が温かく敷き藁に寝転がってやまなりになった小柿を眺めながら一眠りしたい気持ちになる。田圃には、晩秋を惜しむかのように、ぽつんと取り残された案山子が寂しそう。 甘南備山の登山口に到着、これから急斜面に向かうことを告げられステッキを用意する。登山口からしばらく歩き、健脚組は雨乞いの小径、一般向けは管理道路とに別れ甘南備山頂へ登山道を往く。登り口より30分あまりのぼると、ふたたび道が合流しここでトイレ休憩、ここの紅葉も華麗だった。最後の急坂を登ると、展望台と神奈備神社との分岐に出る。山頂展望台と神奈備神社前と別れ昼食休憩を取る。 信貴生駒山系の最北端の甘南備山は、「神が鎮座まします場所」とされ信仰の対象になっていた。また平安京造営の際には、京の中央線、朱雀大路の目印になった。神奈備神社は平安時代には“甘南備神社”とも称され祭神は、天照大神、天児屋根命、鵜茅葺不合尊、大国主命で、社殿は昭和52年に修築されたものだ。甘南備山は、古くから水晶の山としても有名。展望台からは京田辺市内、木津川、城陽一帯が一望できる。 約1時間、昼休みの後、神奈備神社横の尾根道を管理道路まで下り、急斜面を避けなだらかな管理道路を下山。一休寺まで元来たコースをのんびりと下り帰り、一休寺で解散。一休寺庭園拝観組、JR・京田辺、近鉄・新田辺駅方面に三々五々と向かった。快晴に恵まれて、この一年のくらわん会例会を締め括った。 安井重仁・梅原光弘記
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新田辺駅西口を出発しJR京田辺駅に向かう |
道端には色付き始めた柑橘が |
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農家の庭先には、冬らしく南天の実が色づく |
師走のころに一休が詠んだ句に、「門松は 冥土の旅の 一里塚 目出度くもあり 目出度くもなし」がある |
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苔むした石垣に残り紅葉が花を添える |
有料拝観の窓口で庭園の様子を確認する |
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庭園に続く中門・本堂への参道 | 一休寺霊園前の三本杉と紅葉 |
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薪神社を出て手原川沿いに甘南備山へ |
甘南備山を目指して山裾を行く |
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甘南備山の登山口に到着、これから急斜面に向かうことを告げられステッキを用意する |
合流点では、見事な紅葉が見られたが、中でもあけぼの杉(メタセコイヤ)の紅葉は圧巻だった |
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山頂分岐で世話役打合せ、山頂展望台と神奈備神社前と別れ昼食休憩 |
神奈備神社前で昼食を摂るトラの会の面々 |
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信貴生駒山系の最北端の甘南備山は、「神が鎮座まします場所」とされ信仰の対象になり、平安京造営の際には、京の中央線、朱雀大路の目印になった |
神奈備神社の社殿は昭和52年に修築されたもの、1月3日には新春初登りで賑わう |
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約1時間、昼休みの後、神奈備神社横から下山 |
急斜面を避けなだらかな管理道路を下山 |