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京阪伏見稲荷駅近くの公園に集合 ⇒ 伏見稲荷大社 ⇒ 千本鳥居 ⇒ 稲荷奥社 ⇒ 三つ辻 ⇒ 泉湧寺 ⇒ 今熊野観音寺 ⇒ 新熊野神社 ⇒ 三十三間堂⇒ 豊国神社(方広寺) ⇒ 耳塚 ⇒ 七条駅 <距離> 約7km <参加者数> 117名 平成18年の新しい年の門出、117名の人たちが集まり、「おめでとう」と言いながら、今年もまた元気に歩ける喜びを噛みしめる。 伏見稲荷大社は3ヶ日が過ぎた今日も、まだ大勢の人のお参りが続いており、我々も神殿の前に神妙に手を合わせる。朱塗りの千本鳥居のなかをやや登り加減に歩いていく。この鳥居は小さいものでは18万円くらいで奉納できるそうで、これくらいなら一本自分の名を刻んでもよいかなと思ってしまう。 三辻から鳥居を離れて薮の小道を歩く。やがて住宅地に出て、薄暗い修験道の道場のある五社の滝を横に見ながら大きな泉涌寺の境内に入ってくる。皇室に縁のある寺で,皇族の墓や古墳などがあちこちにあり、しんと鎮まりかえっており清々しい雰囲気が漂う。 西国三十三観音霊場の今熊野観音の広い休憩所を借りて弁当を食べることになる。京都は雪こそ降らないが今日も寒い日であり、ポットに入れてきた熱燗で身体を温めている人たちもおり、新年だなと思う。 泉涌寺通りを下っていくと、車が多い東大路に行き当たる。歩道の脇には昔ながらの京の古い商店街があり、野菜とか魚とか肉などが店に並び生き生きした生活感のある町かどがあり、その中を歩いていく。前方に大きな楠の木が聳える新熊野(いまくまの)神社に入ってくる。かって後白河上皇がここから熊野詣でに出発しその後何回も何回も熊野を歩いて、今日の熊野信仰の礎を築いた神社であり、830年前に上皇が手植えられた楠の木が今こんなに大きな木になっている。 重層なつくりの南大門をくぐると三十三間堂の長い建物が見える。今は三十三間堂の前に小さな法住寺という寺があるが、このあたり一帯は後白河上皇の御所があった法住寺殿があったところであった。 京都国立博物館の格調のある洋風の建物を回りこむと豊国神社に来る。その昔、権勢を誇った秀吉が建てた壮大な方広寺があったところである。今はそのなごりの、豊臣氏滅亡の元になったといわれる鐘のみが残っている。国家安泰、君臣豊樂という字は今も白く塗られて歴史の生き証人の如くに見える。すぐ近くには、秀吉の朝鮮遠征のとき、敵の耳を切り取って持って帰ったものの供養の耳塚もある。 今日は東山の一角の寺社を巡り、新春の気を養うことが出来た。 石田富雄、小郷伸一記
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