『 意賀美神社 』(おかみじんじゃ)

枚方の神社シリーズ 第11回
2014/12/9 取材

roseline

<画像をクリックすると大きく表示されます>

画像
  意賀美神社の「神額」
 枚方発見神社シリーズの第11回目として「意賀美神社」を取材しました。この神社は京阪電車「枚方市駅」から「枚方公園駅」方面に500mほどのところの小高い万年寺山の上に鎮座しています。万年寺山周道に面した鳥居をくぐると森に囲まれた石段の参道があり、その上に拝殿、神楽殿等を容する境内があります。末社として「稲荷神社」と「琴平神社」も祀られています。境内やその周辺には意賀美梅林や枚方八景の一つ「万年寺山の緑陰」などがあり、見どころの多い場所となっています。
 当日は、正田宮司様に境内の会館に御案内いただき、懇切・丁寧な説明を拝受しました。また、同館資料室保管の貴重な収蔵物も見せていただきました。

【意賀美神社の概要】
所在地 枚方市枚方上之町1-12
境内の敷地 約4,600 坪
祭神 ・高龗大神(たかおかみのおおかみ)
・素盞鳴大神(すさのおのおおかみ)
・大山咋大神(おおやまくいのおおかみ)
・大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)
創建  創建年代は不詳。開化天皇の御代に当地の豪族伊香色男・伊香色女の邸内に鎭座していたと伝えられている。
主な年中行事 ・一月元日/歳旦祭、 十五日/火焚祭
・二月下旬/祈年祭
・四月十五日/春祭
・六月三十日/大祓式(夏越の祓之)
・十月十五日/例大祭(秋祭)
・十一月二十三日/新誉祭

【意賀美神社の由緒】
画像
   万年寺山周道前の鳥居
画像
     正面の鳥居
画像
       参道
 創建年代は不詳ですが、延喜式内の古社です。「延喜式」とは平安初期の国家の法制書で、「式内」とは延喜式に登載されていることを意味します。元伊加賀宮山の地にあり、産土神として、又淀川の鎮守として御神威高く、古来航行の船人達が通航の安全と水害排除祈願のために創建し、開化帝の御代に伊香色男命、伊香色女命の邸内に高龗神を奉祀したと伝えられています。
 明治5年村社に列せられ、同42年10月14日村社須賀神社(素盞鳴尊)、村社日吉神社(大山咋大神、大国主大神)を合祀し、翌15日境内狭隘のため、須賀神社の旧地である現鎮座地に遷座しました。同年12月に神饌幣帛料供進社に指定されました。昭和9年の室戸台風で社殿・社務所を大破、同10年10月、現社殿・社務所を復興しました。

 合併した須賀神社は牛頭天王社(祇園社)と称し、もと現鎮座地にあり、清和帝の貞観14年天下に悪疫流行の時、万年寺の開祖聖宝上人が天皇より神璽を賜わり、終息祈願のため山上に勧請、爾来諸病平癒に神験があります。万年寺は明治3年廃寺となり、社は同5年村社に列せられました。
 日吉神社は岡の地にあり、山王大権現と称しました。往古洪水に際し、日吉大神の御神体が流れ来り、村人が家に持ち帰ったが、霊験顕著なので氏神として奉祀したと云われています。一説には伝教大師が、平安京の裏鬼門に当る此の地に阿弥陀仏及び日吉大神の二像を作り、皇城の鎮護の社寺と定めたとあります。

 意賀美神社の資料室には数学の絵馬である「算額」が保管されています。これは神仏の加護により、数学者としての上達を祈念して奉納するものです。数学者の岩田清庸は当地に病気療養のために滞在し、病の癒えたお礼に文久元年、須賀神社の前身である牛頭天王社に奉納したとのことです。

画像
拝殿
画像
神楽殿
画像
社務所
画像
会館
画像
「御祭神」の表記板
画像
稲荷神社(末社)
画像
琴平神社(末社)
画像
社蔵の「意賀美神社誌」
画像
社蔵の「祭神記・沿革誌」等
画像
社蔵の歴史的写真の一例
画像
社蔵の日吉神社の「神額」
画像
社蔵の「算額」

mori

画像
  手水舎
画像
  伊加賀「蒲団太鼓」
画像
  「蒲団太鼓」案内ポスター
【意賀美神社の主な神事】
 主な神事は、上表の「主な年中行事」に記載のとおりですが、実施の規模により、大祭、中祭、小祭に分類されます。
1. 大祭
 4月15日の春祭り、10月15日の例大祭(秋祭)、11月23日の新嘗祭、2月下旬の祈年祭があります。総代も正装で参加し、巫女も笛を吹いて踊ります。
 このうち、秋祭りには氏子区域をめぐる「蒲団太鼓」巡行があり、周辺地域は多くの人で賑わいます。「蒲団太鼓」は枚方宿4ヵ村に伊加賀村、枚方村を加えた6ヵ村が、氏神の意賀美神社、須賀神社、日吉神社の3社に奉納することに始まりました。
2. 中祭
 1月元日の歳旦祭、6月30日の大祓式(夏越の祓之)があります。
3. 小祭
 1月15日の火焚祭があり、古い注連縄、お札、門松を燃やします。

【境内・周辺の見所】
 境内には磁場の反転がおこるパワースポットがあり、これを知って来社される人もいるそうです。写真は神楽殿の前の舗装面の上での方位磁石の反転を示したものです。また、日清・日露戦争慰霊の忠魂碑が建立されています。
 万年寺山への石段を上ると、淀川を臨む眺望が広がります。この付近には豊臣秀吉が枚方城主の娘乙御前のために天正13年に建立した「御茶屋御殿」の跡があり、今は広場となっています。また、展望広場の工事中に発見された「万年寺山遺跡1号石棺」の解説標識もあります。周辺は「意賀美梅林」が広がっており、梅を詠んだ句碑もあり、絶好の散策地になります。参道の石段横には、枚方八景の一つ「万年寺山の緑陰」(石塔)が苔むしており、往時をしのばせてくれます。

画像
磁場の反転(パワースポット)
画像
忠魂碑
画像
万年寺山への石段
画像
万年寺山からの眺望
画像
御茶屋御殿跡広場
画像
「御茶屋御殿跡」の説明板
画像
「万年寺山遺跡1号石棺」の解説
画像
「意賀美梅林」の標識
画像
意賀美梅林
画像
梅林の句碑
画像
万年寺山の緑陰(石塔)
画像
「万年寺山の緑陰」の説明板

【取材後の感想】
  1. 神社誌、古文書などがよく保管管理されていて、神社由緒の理解に大いに役立ちました。また、都会的な雰囲気の会館の資料室には歴史的収蔵品が多くあり、「算額」などの実物を見学できたので、「古き時代」を実感することができました。
  2. 秋祭りの「蒲団太鼓」巡行は一度実際に拝見し、その勇壮さを身近なものとして感じてみたいと思いました。
  3. 境内には「ゼロ磁場」といわれるパワースポットがあり、実際に方位磁石で確認することができました。また訪問し、その効用にあやかりたいと思いました。
  4. 境内、周辺には万年寺山の遺跡や梅林、枚方八景の一つ「万年寺山の緑陰」などがあり、観光スポットとしても価値のある素晴らしい場所です。

取材・写真撮影:坂本、永井、福本  HP作成:福本 

<画像をクリックすると大きく表示されます>

roseline  « Back