枚方の神社シリーズ 第3回 |
2012/10/19 取材 |
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枚方市の南部、茄子作1丁目から4丁目の住宅地の中心に古墳跡らしき小高い鎮守の杜があります。前日の雨模様から一転し、スカッと抜けるようなコバルトブルーの秋空の下、鎮守の杜を背にした社務所にて宮司の中村様、役員の福山様、氏子総代長の島田様から懇切な説明を受けました。 【春日神社の概要】
当神社は、室町・嘉吉元年(1441年)9月9日に奈良春日大社より御神霊を四神勧請して茄子作村の氏神としたと伝わっている。明治の神仏分離により神社近くの北町にある金竜寺に祀られていた『地主神』を合祀して、爾来五神を祀っている。明治5年村社となり、同41年12月に神饌幣帛料供進社に指定されました。 古来宮座が厳重であり、その座列は、本殿に向かって、右側に端野・堀・奥野、左側に櫻井・清水・岡市諸氏の順でありました。宮座石が一ヶ所現存している。さらに、神前儀式の厳重が守られていた上に、今も尚総代による奉仕が続いている。 本殿・拝殿は、寛政11年(1799年)に再建されており、造営資料については『平橋家大工文書』の請負文書が現存する。拝殿は割拝殿方式(拝殿の中で参拝できる)に造営されており、境内における石造物のうち最も古いのは享保14年(1729年)の鳥居(正面参道)である。 拝殿前に狛犬一対が座っている。平成16年6月2日の未明、何者かによって阿形狛犬が粉々に壊されたので新造された。古い吽形狛犬には「願主・端野久兵衛内世津女 文政7年甲申歳(1824年)九月吉日」との銘があり、北河内でも大変貴重で珍しいのは、江戸時代の狛犬の奉納主に女性の名前が残っていることである。 拝殿左側の石積台座に2頭の鹿が顔を寄せ合っている石像がある。鹿は神の使者であり、この像は台座ともに銅及び鉄製であったが、戦争中に供出されて戦後現状の石像になった。この像を取り巻く楓が紅葉の頃は素晴らしいグラディーションを現出するので、写真愛好家には恰好の被写体で人気があるとのことである。 尚、地元『春日小学校』の校名と校章は、当神社の社名と神紋『下がり藤』に由来する。
境内の一画(参道右側)に愛宕社がある。宮司さんの話では、「この宮は、戦前まで香里ヶ丘にあった軍の弾薬製造工廠に火伏神として祀られていたもので、戦後放置されていたのを当地の氏子さん達が持って来て祀ったものです」との事である。 「地主神」火産霊命(ほむすびのみこと)は、愛宕社の祭神・火之迦具土神(ほのかぐつちのみこと)の別名でもあり、そのようなことから愛宕社も祀られたのではと考えられる。 【氏子ならびに地域との連帯活動】 当神社は、季刊社報『とこわか』を発行しています。その趣旨は、神社と氏子・崇敬者の皆さん(約700軒)を結び、地域社会との融和を目指す事にあります。 活動の例として、秋季例祭宵宮では周辺の3自治会(茄子作自治会・春日丘自治会・京阪ひろ野自治会)と協同して「子供神輿」の巡行を、「杜の寺子屋」では自然や伝統文化(能楽・茶の湯・生け花等)を学びつつ短歌を詠じ、「雅楽」講習会受講生による「春日神社雅楽会」の結成と演奏会、11月の「杜のフリーマーケット・楽市宮座」や「杜のコンサート」の開催。また、茄子作の地名に因んで「なす」キャラクターを作り、今年の4月に地域の皆さんから名前を募集したところ、175名の応募があり、『なすひめ&なすのすけ』が優秀賞に選ばれた名前でした。
【取材後の感想】
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