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地域に密着した社会貢献活動の一環として、今年は南中振の「蹉跎神社」の清掃を10月6日(日)に実施しました。「蹉跎神社」の清掃活動は今年で2年目ですが、昨年度の倍に近い35名の方に参加していただき、早くも定着化した活動になっています。
9月1日(日)に実施しました茄子作「春日神社」の清掃活動とあわせてその地域に住む会員さんを中心に80名以上の会員さんが参加していただくようになり、地域に密着した社会貢献活動を推進しています。
集合時間の9時前は秋の季節のここちよい風が吹き、清掃には絶好の日になりました。この日は蹉跎校区の秋まつり子供太鼓みこしの巡行が予定されていて、蹉跎神社の駐車場で出発前のお祓いをされて、太鼓をたたく・みこしを引く子供や地域の人が大勢が集まり、地域への巡行に出発していきました。今回は来週の蹉跎神社の秋祭り例大祭に合わせた日程となり、宮司さんからも大いに期待されている清掃活動となりました。
9時少し前には32名の会員さんが集合。櫻田支部長から参加の御礼と今回参加いただいた松愛会で社会貢献を担当している山元副会長、兵庫西支部の稲垣副支部長と松愛会事務局の村瀬さんの3名のご紹介と、蹉跎神社近隣の出口に住まれている番匠枚方市議会議員が来られることを紹介しました。菅支部役員(14班)から、本日の清掃の要領が説明され、総勢35名で清掃活動がスタートしました。次第に夏の日差しになり、暑くなってきました。
集まった35名の方は暑い中を各自思い思いに熊手や竹ぼうきとゴミ入れをもって、境内に散らばり、9時から作業を開始しました。10時過ぎまで各人、境内のゴミや落ち葉の回収、草取りと今回参加いただいた4名の女性会員中心に拝殿周りの拭き掃除を熱心に行いました。当初、あまり回収物は出ないと思っていましたが、ゴミや落ち葉がビニール袋7、8個分の量を回収出来て、境内、拝殿回りは見違えるように綺麗になりました。
参加された皆さんは1時間強の時間でしたが、この成果を見て、汗だくになってやった甲斐があったと清々しい気持ちになられたようでした。1時間強の清掃後に記念撮影をして、蹉跎神社から干支のお守りをいただき、お茶の振る舞いもあり、おいしく飲んで気分良く解散しました。
南中振『蹉跎神社』 延喜元年(901年)、菅原道真が大宰府へ左遷される途中、山の上で休憩し、都の方を望んで名残を措しんだ。その場所を「菅相塚」という。その後を娘の苅屋姫が追いかけたが、あと少しの所で間に合わず、足摺り(=蹉跎)して嘆いたということから、その山を「蹉跎山」と呼ぶようになった。 大宰府でその話を聴いた道真は、三尺二寸の自身の木像を作って娘に送ったという。天暦5年(951年)蹉跎山に社殿を造営して木像を祀り、近隣25箇村の産土神としたのが当社の始まりと社伝が伝える。慶長19年(1614年)の大坂冬の陣で社殿は焼失したが神像は無事で、現在地に遷座して中振・出口両村の産土神として再建された。明治5年、走谷村の産土神であった加茂健豆美命神社を合祀して郷社に列格した。現在の社殿は明治22年3月に改築されたものである。
※『蹉跎神社』について詳しくは、当支部作成の『ふるさと枚方発見 枚方の神社 「蹉跎神社」』をご覧ください。
昨年の清掃は台風21号の直後だったため、蹉跎神社の多大の被害を受けたのを目の当りに見て驚きました。
今年はこれを着々と修復しているのを見ることが出来て喜ばしい限りです。
今回参加いただいた皆様は大変ありがとうございました。支部では今後も、社会貢献活動も含め多くの支部行事を開催しますので、皆様のご参加・ご協力をお願いします。
写真:中溝・松島・中村 記事・HP作成:中村