春日通りは、津田駅前の学研都市線沿いに通る府道「交野久御山線」を少し南の近畿大阪銀行の前から、津田駅前1丁目から津田元町1丁目、津田元町2丁目の古い町並みをとおる旧道である。 春日の村落は、中世まで津田山の東南麓にあったとされる畠田村が、洪水による衰微に伴い、その住民が春日・津田へ移り住んで春日の集落が形成されたという。村落の周囲には濠を巡らしており、大和や摂津・河内・和泉の中世村落に多く見られる環濠集落であった。 激しく車が行き交う府道から、車がやっとすれ違える細い道に入ると、すぐ右手に津田駅前郵便局があり。この辺りから暫くは古い住居と新しい商店などが入り混じった町並みが続く。右手に大きなため池があり、黒沢池の向こうに4階建ての特別養護老人ホームアイリスが建っている。 やがて一段と道が狭くなり、蔵と土塀の続く古い町並みに入る。右手の奥に大きな石灯籠がある道を入ってゆくと、この集落の氏神「春日神社」に出る。春日神社の前には、環濠村落の跡を残す濠があり、立派な石の橋が架かって、こんもりとした茂みと趣のある佇まいが見える。春日神社は、畠田村の祭神を分霊したものといわれ、天児屋根命・比売大神・武甕槌命・経津主命を祀っている。元は神宮寺として、薬師仏を本尊とする真言宗正楽寺があったが、明治はじめの神仏分離令によって廃寺となり、薬師仏は融通念仏宗大聖寺(春日元町2丁目)移された。本殿は鉄筋コンクリートらしくやや趣に欠けるが、社の裏には市の保存樹木に指定された大きな楠が茂っている。 神社を出て元の春日通を行くと、中世の村らしく見通しができないよう道路がクの字に曲がっている。大きな土塀と蔵を持った旧家がいくつも並んでいる。春日西町の田んぼや畑が広がる道路とぶつかりここで終わる。 冨田朝己記 |
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