山根の道は、古代の徒歩交通時代に使われた「山根街道」の一部で、高野山参詣に使われた東高野街道の別道として、八幡市内で東高野街道から分岐し、長尾の丘陵地伝いに通り、私部の西、上ん山で東高野街道に合流する古道である。 津田駅北のガードを潜り、マンション群を抜けると新しい住宅の裏に影見池がある。影見池は、いつも清水を湛えていたので、惟喬親王が遊猟のとき、見失った愛鷹が池面に写る姿から発見されたという伝説を残している。田を養ってきたこの池も宅地化の波にのまれその役割を終えたが、枯れることなく湧く水が惟喬親王の秘話を今に伝えている。 この地方を治めた津田周防守の山城があった国見山を右手に見ながら北に進むと、地蔵池にぶつかる。地蔵池は明治16年の大旱魃の時に津田の人々が、家伝来の系図を質入してまで私財を集めて大改修をしたため池で、付近から石地蔵が沢山見付かったのでこの名前が付いた。池の横には、沢山の地蔵が祀られ、オアシス公園が設けられている。 道はここから近年整備された国道307号線への抜け道と左へ分かれて、津田の村の中の細い道をくねくねとたどる。やがて右手に円通寺が見える。浄土宗円通寺は、元は津田南東の円通谷の口の平瀬にあったと言い、惟喬親王が狩猟のとき門前でお茶を所望されたと伝えられている。かなり大きなお寺だったが、寺運が衰え、すぐ近くの春日神社境内に移され、さらに現在の地に移された。境内にあった開き松が枯れ始めたため、その根っこを地蔵尊に彫った開き松地蔵が祀られている。 津田は昔、穂谷にある三之宮神社を氏神としていたが、嘉吉2年(1442)三之宮の内宮として春日4神を勧請してできた。スーパーアルプラザのすぐ隣にある春日神社は、取材の10月18日は秋祭り(提灯祭り)の宵宮で沢山の露店が出ていた。またこの神社では、今でも氏子の祭祀組織である宮座が続いている。 春日神社の手前を右に折れ、国道307号線を斜めに横切って越えると、惣喜池に出る。昔は三ツ池と呼ばれ井出口池・中ノ池・惣喜池に分かれていたが、天保年間の地震により中ノ池と惣喜池を隔てる堤が破壊され堤防を取り除いたため二つになった。この池を巡っては、下流の穂谷川から用水を得る村々の間で幾度となく水争いが繰り返されていた。 惣喜池・井出口池の池沿いに進んできた道は、津田病院の下あたりで穂谷川沿いに進む。そして杉四丁目付近で一昨年開通した巨大な第二京阪道の高架により行く手を塞がれ、対岸の枚方東IC側にわたる「しもわたしば橋」を渡って、杉四丁目に入り、杉三丁目の村の中を抜けて国道307号線のバイパスとしてできた東部新道との杉二丁目交差点付近で終わる。 冨田朝己記
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