穂谷川清掃工場の横にある穂谷川橋を渡り、日置公園の前を穂谷川緑道をUターンするように招提南町3の旧街道に入る。この道は東高野街道の一部で、真言宗の根本道場となった京都東寺から、空海の本拠高野山に至る道の一部である。
田圃や畑の間に新興住宅が立ち並び、車がようやくすれ違えるような細い道がうねうねと続いてゆく。すぐに招提団地の一角が見えてくる。
前方に、こんもりとした木立が見えてくるがこれが、日置天神社の境内である。この境内には日置山遺跡があり、古代から中世までの複合遺跡で、古墳や生活跡が残されていた。
日置天神社は、惟喬親王 が交野ケ原で遊猟したとき、愛鷹の姿が見えなくなったので、日没を惜しんで、『日を止め置かせ給え』と天神に祈願したという伝承から日置天神(へきあまつかみのみや)と名付けられたという。
中世この辺りは、東高野街道筋に発達した集落(日置郷)として賑わい、社寺が甍をきそっていたという。しかし、南北朝期の動乱に際し、たびたび戦禍に見舞われ、十四世紀中頃には民家・堂塔ともに灰燼に帰したと伝えられる。その後、浄土真宗中興の祖といわれる8世蓮如の子蓮淳によって、招提寺内村として栄え、この神社を氏神としていた。御祭神は天御中主神だが、更に貞享年間に菅原道真を合祀した。境内には8台のだんじり小屋があり、近くの人に聞いてみたが、今は秋祭りでも担ぎ手がなく、境内に数台出すだけになっていると話されていた。
鬱蒼と茂る境内の木々を分けるように道を進むと、畑が残る旧家と対照的に招提中町の閑静な住宅街が左手に広がり、その向こうに枚方交野寝屋川線(府道18号)の幹線が見える。少し行くと大きなため池「桜今池」に出る。この池は新大池、山田池などの近くの池と同じように渡り鳥がやってくる池だ。池に沿って右折すると間もなく、日置今池街道は牧野駅から「とうかえでの道」に抜け、国道1号線招提交差点に出る幹線とぶつかり終わる。 |