京阪枚方市駅南の万年寺山は、香里丘陵の北端にあり、淀川と京街道という要衝を見下ろす位置にある。その昔、この辺りを統治した貴人の古墳だった。その後、この山には、密教系の寺院「長松山万年寺」が建てられていたが、明治の廃仏毀釈により取り壊され、地域の氏神を集めた「意賀美神社」になった。
愛称道路、万年寺山周道は、駅のすぐ隣、三越横の市営駐車場近くの岡東公園辺りから、京阪沿いに万年寺山に登り、その稜線を高塚山に向かって枚方上之町の枚方小学校を廻り、丘陵を下って岡山手町から岡東町に戻る周回道である。
岡東公園のすぐ隣には、浄土真宗の「一乗寺」という大きな寺院があり、元は別府山であった辺りに、二つの尖塔を持つ特徴的な枚方カトリック教会が続く。京阪道路沿いに出て意賀美神社北坂の階段を上りきると、豊臣秀吉が枚方城主本多内膳正政康の娘、乙御前を愛し、ここに御殿を建て京の行き帰りに立ち寄ったという「茶屋御殿址」にでる。ここからは、枚方大橋越しに北摂の山々が見える展望の良い所である。
回り込んだところに意賀美神社の参道があり鳥居を潜って石段を上がる途中に、先端が崩れた十三重の石塔と長松山万年寺の石碑があり、昔をしのばせる。意賀美神社は三矢、岡、伊加賀の神社を集めた式内社である。神社のすぐ横に、戦後植えられた意賀美梅林があり。紅梅、白梅が咲き誇っていた。
神社から高塚山に向かって行く途中の崖っ淵に、河内の鋳物師を仕切っていた旧田中家の大椋の木がある。このむくの木は樹齢六、七百年で、この間、丘の上から枚方宿の歴史の移り変わりを見守ってきた。
稜線を高塚山の手前まで行くと、枚方小学校と向かい合って枚方幼稚園があり、運動場に沿って回り込むと、丘の下に坊主池公園がある。この公園は周りを巨大なマンションに取り囲まれて、中央に噴水のある池がある高低差は激しいが美しい公園である。
枚方小学校を廻りきったところから道は緩やかに、岡山手町から岡東町へと下って行き、枚方信用金庫の辺りで元の道と合流する。 |